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彼と上手く交際していけるでしょうか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 39

私は中1の時に長崎県の五島市から長崎市にきました。

五島にいた頃は家の近くにお寺とキリスト教会と2つあり今となれば変な感じですが、どちらにも良く行っていました。

長崎市に来てから五島には一切帰る事を許されることが無く、お盆にお彼岸に正月にと時間は過ぎていくばかりでした。
修学旅行と高校受験の時と、グループカウンセリングの時の3回だけお寺や神社にお参りした事を覚えています。

それから好きな人が出来ました。彼の仕事は僧侶で、浄土真宗という宗教だそうです。

全く分からない全く触れた事もない話しをされると頭がパンパンでした。とても不安でした。

『ごめんなさい。よく分かりません』と言うのが怖かったのです。

最近は少しずつですが彼の仕事に対してちょっと興味が湧くようになりました。
勉強とまではいきませんがネットで彼が言っていたあの言葉は何だろうって調べるようにもなりました。例えばですが、門徒さんとか。

でも彼は正月ですらお参りに行かない、宗教に関わる事も無い私を好きでいて不安にならないのでしょうか?
とても悩んでいます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世界で一番優しい彼

お坊さんは仏様の教えに従って生きています。彼もそう。
だから、彼は世界で一番優しい男なのです。安心なさい。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

どちらも立場を優先させなければOK

物事の本質は宗教という事が外にあるのではなく、この身心が宗教的な行動をとれば宗教的になるだけです。
坊さん夫婦がケンカしたら、それは宗教ではなく争いです。
僧侶がコメディーをやればコメディアンです。
僧侶が泥棒すれば泥棒。
仏教だキリスト教だといっても、寝てる時はただひたすらに眠る人。
彼もあなたも寝ている時に肩書きも宗派もありゃしません。
ただの人として見てあげてください。
たまたまお立場として取り扱っておられる分野がそういうお立場であって、本質的には仏教といっても思想ではなく立場や宗派ではないはずです。
あなたがそこまで見極めれば相手がどんな人でもただの人同士対等に接し合えるから安心です。
お釈迦様は「私は仏教です」とは言っていません。仏教って、そういう宗教ですから、仏教は別に思想のたぐいではないものです。
あなたも彼が好きなら相手が〇〇宗派の人だからと、相手の人間性まで肩書きや立場で決めつけないであげることです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

分かり合えないことから

そうですか、好きな方ができたのですね。それはステキな事だと思います。
これは、どんなカップルでも言えると思うのですが、日本人同士だとしても、共通しているのは「双方とも日本語が使える」程度だという事です。つまり、「共通している事、お互いを繋ぐ糸は、最初それほどまでに細い」という事です。好意を寄せられたのなら、何らか共感できるものがあったのでしょう。それを増やしていく、見つけていくのが「お付き合い」なのだろうと思います。
ですので、「私はこれが分からない。教えて欲しい」と問うのは、とてもプラスの営みなのです。お寺に育つと、当然その世界観を背負った人間になります。言葉も特殊なものがたくさんあります。それを改めて人に伝えようとすることは、結果として彼の考えや信仰に肉付けしていくことになるのです。頭から疑っていなかった事を改めて問うてくれる、新しい視点を与えてくれる人は、有難いのです。
その過程では当然、あなた自身に埋め込まれている価値観と向き合う事も出てくるでしょう。そうやって、価値観のキャパを拡げていけるといいですね。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

彼は大丈夫ですよ

その不安は彼の不安ではなく、あなた自身が起こした不安です。
知らないことがあっていいのです。今の日本には熱心に宗教を信仰している人の方が少ないでしょう。そこは気にするところではありません。

彼とお付き合いする中で、気になることを素直に学んでいけばいいでしょう。
それどういう意味?教えて。 と尋ねたらいいのです。

あと一つ、お坊さんは仕事であるようですが、その人の生き方です。その彼は職業として僧侶をされているのかどうかわかりませんが、人によりその辺のスタンスが違うのも事実です。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

こんばんわ。今回、回答してくださった僧侶の皆様本当にありがとうございました。
安心し、反省し、なおかつ元気になりました。前向き考えれるようになりました。
本当に改めてありがとうございましたm(_ _)m
個人的に返信もしようかと考えましたが、今回はやめておこうと思います。
長文は目に悪いですからね(´∀`*)

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