禅や瞑想について
よく不安関係の質問でお世話になっております。
以前、いろいろ不安克服法について調べたのですが、よく禅や瞑想のことが取り上げられています。
心を落ち着かせる点で、効果的だと聞きました。
ただ、禅や瞑想について調べると、いろいろなやり方があり、どれが良いのかわかりません。
一番良いやり方があれば、教えてほしいと思い、投稿しました。できれば、家でも外でもできる禅や瞑想を知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分をしない事
外の出来事にあれこれ心を関わらせない心を坐といいます。
座るんじゃありません。
ただ坐るのでもありません。
ただはただでも「ただ」という看板・ラベルを念頭に置いたらそれもただではなくなる。
人間は黙っていてもいろんな思いがポンポン沸き起こる。
それをよく見てみてください。その思いはあなたが自然に生み出しているのではない。
全自動、まったくの自然発生です。
それを無くそうったってなくなりゃしません。
思いには、第一次発生的なおのと二次発生的なものがある。
二次発生的な思いをさせないことが坐禅の眺めです。
何故なら二次発生的な思いはすべて自分が関わらせた私的な思いだから。
それをしないスタンスが坐禅のありようです。
たとえばラインやフェイスブックで色んな情報がポンポン出てくる。
それをいちいち拾い上げが多い人は、やれベッキー、ゲスの極みだと大騒ぎする。
興味の無い人はホットケさまです。
二次的に自分にかかわらせないからです。そういう生活を坐禅瞑想でなくてもすることが大事です。
振りかえってみてください。上記の事と、反対のことをあなたはやっているのかもしれません。
出てくること、気にしていることをことごとく自らにかかわらせている。
自分にかかわらせているという事は、心の動きとして「わたくし化」する動きがあるはずです。
何でもかんでも割り込んで首を突っ込む人の心理と同じです。
それをしない生き方をして見ましょう。生きた坐禅・瞑想になりましょう。
さらにくわしく聞きたければ当山の坐禅会か、フェイスブック内のグループ「TOKYO禅」ページでご質問ください。
お釈迦さまの禅定がオススメ
降魔成道(ごうまじょうどう)
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お釈迦さまがまだ、あなたと同じ悩み多き人間だったころ、最後にしたことが禅定(ぜんじょう)でした。
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お釈迦さまは静かに座り自分の心の隅々まで不安を追い掛けて徹底的に潰していきました。それは肉は裂け骨は砕かれ血は飛び散るほどの壮絶な『魔』との闘いだったのです。
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静かに座っているだけに見える禅定も実は内面は激しく動きあらゆることに心を傾け不安をことごとく消し去る作業をしています。その先に気付けば「無漏(むろ)」になっているという事が起こるわけです。
不安が漏れることが無くなる。
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みなさんが言う「無」とは考えないようにするとか、不安に鈍感になるという意味のようですが、実は違います。
考え抜きもう不安なんて何も無い、安心に満たされた状態を「無」と申します。
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どうぞ、どんなに小さな不安も心の隅々まで追い掛けてやっつけてください。
こればかりは向き不向きがありますから何とも言えませんよ。肥満すぎる人は体重を落とす努力をし、痩せすぎの人は体重を増やす努力をしますでしょう?そこでじゃあ増やすのと減らすのどっちが優れてるの?という話にはなりませんね。それは1人1人の体調や体質に応じて決まることであり、やってみないと分からないことです。宗派の修行の違いというのはそういう所から生まれています。
不親切な回答になっていますけれども、あえてこう書くのは本当に色々やってみていただきたいからです。と言いますのも、結局は良い指導者に出会えるかなのですから。
さて、禅や瞑想…確かにたくさんありますね。宗派の数よりたくさんあります(笑)家や外でも出来るのはどこの宗派でもありますよ(浄土真宗さんはそもそも修行を否定したという所が特色だから無いかも)。分かってくればベビーカー押してエスカレーターのまわりをグルグル回りながらでもできますし、靴屋さんの椅子に座ってでもできます(←良い子は真似しないように)。
ただ、やはり最初は習いに行くべきです。独学をこじらせて変に狂信し、天狗になって人柄が難くなってしまっている人、たくさんいます。独善の方向に進んでしまうと逆効果ですし、それこそ方法論の問題ではなく、ご縁を大切にできるかどうかの問題ですから。
まずは坐禅会やプチ修行をキーワードにして近場から行ってみるようにしてみてはいかがでしょうか。お寺にお参りして手を合わせる…それ自体にも簡単な瞑想要素があるのですよ。
面壁坐禅
私は曹洞宗の僧侶ですが、曹洞宗の坐禅の特徴は
①面壁坐禅(めんぺきざぜん)・・・壁に向かって坐禅をすることにより、自分を見つめる。
②只管打坐(しかんたざ)・・・坐禅をして、悟りを開くのではなく、坐禅そのものが悟り。
③威儀即仏法・作法是宗旨(いいぎそくぶっぽう・さほうこれしゅうし)・・・坐禅の形や作法、手順を忠実に行うことが、坐禅を行うことに於いて重視される。
④一炷(いっちゅう)の坐禅が40分を。5分の経行(きんひん)を経て、10分の東司(とうす)休憩、40分の坐禅が基本。
⑤坐禅の時は丸い座布団の坐蒲(ざふ)を用いる。
お寺の中でなくとも自宅でも青空の下でも行えるのが坐禅の特徴です。仏は坐禅している自分そのものなのです。
ただ、坐禅をしたからと言って、心が落ち着くわけではありません。比較的心を落ち着かせる効果はあるかもしれませんが、現実問題が回避されるわけではありません。自分の都合のために坐禅があるわけではありませんのでそこは勘違いしないように。自分の不安克服が出来なかったからと言って坐禅のせいにしないように心から坐禅を楽しんでください。
一炷(いっちゅう)・・・9寸の線香約1本分
経行(きんひん)・・・坐禅の後、一呼吸毎に歩く事。しびれや固くなった足をほぐす効果があります。歩く坐禅と言われております。
東司(とうす)・・・トイレの事。東司を使うときにも作法がありますので、坐禅会に行ったときは僧侶に聞いてみてください。
坐蒲(ざふ)・・・元は枕と思われます。修行僧は坐蒲を枕にして睡眠を行います。因みに臨済宗は蒲団を折って坐りやすい高さにして坐禅をするらしい。
質問者からのお礼
けんしょう様、大鐵様、ありがとうございました。
坐禅にも様々にものがあるのですね。参考になりました。
坐禅だけに頼るのではなく、自分で解決した上で、坐禅を楽しもうと思います。
大慈様、丹下様、ご回答ありがとうございます。
宗派によって様々なものがある禅は、奥が深いですね。
大慈様のおっしゃってた「浄土真宗はないかも」というお言葉にビックリしました!
一応、私の家は浄土真宗だと以前、母から聞き、高校も浄土真宗の高校に通ってたので(笑)
仏教は奥が深いですね。勉強になりました。
何が良いのか、自分でも考えてみようと思います。