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数珠について

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最近、大人になってから初めて葬儀に参列する機会がありました。
喪服やバッグなどは揃えたのですが、数珠はまだ購入しておらず、何かきっかけがないと用意せずにまた…と思い購入を検討しています。

調べてみると略式、宗派別の本式など種類が分かれていることがわかりました。
大人ですので、ある程度しっかりしたものを持ちたいと考えています。
祖父がよく「うちは曹洞宗だ」と事あるたびに言っているので、曹洞宗の本式を持つのがよいのかな?と思っています。
しかし、我が家では特段熱心に信仰しているという感じでもありません。
そのような者が本式の数珠を持っても良いのだろうか?と言う気持ちもあり、この度質問をさせていただきました。

ご回答いただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

数珠を持つより菩提心を持つことが数珠の功徳を高めます

数珠は誰が持ってもよいです。菩提心が無ければただのアクセサリー。
あなたは賢い人ですから厳しいことを申し上げます。
数珠は、本人がどのような心で用いているか。大切なのはそこです。
数珠を持つ事で何か仏教によって守られるかのような幻想を誰もが抱きます。腕輪の数珠、アクセサリー数珠。梵字に凝ってtatooにする人のような心理で持っている人もあります。
【数珠を持して人に向かうは、是れ無礼なり。】 道元
「我が家は曹洞宗だ」…深い言葉に響きました。
曹洞宗の修行道場においては仏道修行中に数珠をもって人に対することは無礼ですらあるのです。
もちろんこれは、禅の修行道場の中においてのみです。
静けさを重んじ、自己を明らかにする仏道修行の共同生活の中ではその用い方についても厳しく戒められています。
書道塾で隣の女子のラインの音がやたら♪キンコン鳴っていたら「(-_-;)なにヨこの子?」となります。
実際、曹洞宗の修行道場でも法要中に導師以外に使う人はいません。
現代では、信仰心の現われ、個人への供養の示しとして持つべきものとさ・れ・ています。
が、本質はどうでしょう。
本山に「数珠おじさん」が時々お越しになりました。
ジャラジャラ鳴らして自分のマイペースで周りに聞こえる声でゴニョゴニョ言っておられました。
「大法要中ですのでご静粛に」と僧が語りかけた時「邪魔をするな」と怒っていました。
それではいくら数珠でも用い方はアウトです。自分の事しか見えていない。自分が救われたい供養したい一心とはいえ、周りの事が見えなくなっている。
私たちも数珠を用いる時、どのような心でそれを用いているでしょうか。
特殊な物語を自分で描いて数珠を用いていないでしょうか。グサリ
その幻想、物語、私的な見解を打ち消すものこそが数珠であるならまだしも、まじない、ただ何となく持つとそれっぽいから、という感覚で持たれるとそれは数珠ではなく、呪術。
良い質問でしたので、熱弁しました。何となく何かを感じて頂ければ幸いです。
菩提心を起こして生老病死から救われる智恵の珠を集めた方が煩悩を滅除する形なき数珠、宝珠となります。
「真の数珠はあなたの真実を求めんとするその心」

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そうしたことに関心を持っておられるだけで十分

本式だろうが略式だろうが構わないでしょう。御住まいの地域の習慣というのもあるのかもしれませんので、どちらがいいとは言えませんが個人的には本式を使いたいのであればいいのではないかと思います。
何より、数珠を持っていない人が多くなってきている時代に、そうしたものに興味を持っていられることがとてもすばらしいと思いました。これを機会に仏教にも興味を持ち、学ばれてはどうでしょうか。是非是非。^_^

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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数珠(念珠)は仏教を思い出すアイコン

身体の表面というデスクトップ・待ち受け画面に、数珠というアイコンを置いておくと、
数珠を目にしたときに仏教を思い出すきっかけになります。
数珠は、念仏などを唱えるときに唱えた回数を数えるための、そろばんのような道具です。
一回唱えたら珠を一つずらす、数珠が一周したら何回唱えた、と計算することができます。
また、数珠を念珠とも言います。
「念」には、忘れない、覚えている、よく気を付けている、みたいな意味があります。
仏の教えを思い出し、よく気を付けて心をコントロールすること。数珠はそれを思い出させてくれるアイコンでもあります。
略式でも何でもいいですが、お通夜や葬儀で身につけるものなら、仏具屋(仏壇屋)さんを訪ねてみるのも面白いと思います。
普段、なかなか入る機会がないでしょうから。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

⚫︎邦元さま
ご回答ありがとうございます。
もやもやした気分でいましたが、本式の数珠を購入したいと思います。
また、仏教やお寺には非常に興味があり勉強したい気持ちはあります。
しかし、奥が深すぎてどこからどのように手をつけたらいいのやらという状況で足踏みしております…。
お寺に行くことが好きなので、ご朱印帳を持って出かけるというのが今現在実行できていることです。

⚫︎願誉浄史さま
ご回答ありがとうございます。
このような事を考えるきっかけができましたので、この機会にいろいろみて気に入ったものを持ちたいと思います。
数珠のお話も大変興味深かったです。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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