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念仏

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念仏を1度唱えるだけで死後の極楽は保証されますか?
唱えただけで悟りを開いたことになるのですか?
唱えても何も変わりませんが、これで救われたと言えるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

お念仏の教えについて学ばれているのですね。

お念仏は仏のお悟りですが、それを称える私が今この現生で悟るかどうかはまた別かもしれません。仏のお悟りによって私が明らかになるところに救いがあるのだと私はいただいています。

しかしkei様が救われたと思わないのであればそれが全てです。救われていない、あるいは救われているということを実感できない、という状況かと思います。

「何も変わりません」

とのことですが、何かが変わることをもって救いとする、例えば私たちの身や心が変わることが救いであるならば、それは先のご質問でお答えさせていただいたように「わが身をたのみ、我が心をたのむ」という自力心です。

むしろ縁によってコロコロと変わり続ける何ともウサンクサイこの私がお念仏という「まこと」に出会えたことが救いではないでしょうか。

kei様は色々な仏教用語や解釈をご存知のようですが、それによって混乱しているようにもお見受けします。

普段はどのような聞法をされているのでしょうか?お寺に足を運んで住職さんに一対一で尋ねたり、浄土真宗の一冊の本を何度も何度も読んでみることもよろしいかもしれません。

念仏とは仏を念ずること、すなわち仏の願いを聞くことです。念仏により私がどうなるか、を問題にしているのであれば、それは仏を念じているようで私を念じていることになっているのです。念仏が念私になってしまっている。

仏の願いを法話や本に尋ねながら、実際にお念仏申す生活を送りましょう。

「死後の極楽」という物語からkei様が事実として今、救いを得られるかどうかです。辛抱強く聞き尋ねてみましょう。

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おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

南無阿弥陀仏とお唱えされたのですね。
なら大丈夫、極楽浄土を望むなら命が尽きる時に阿弥陀仏がお迎えに来られるでしょう。
本当かどうかは死んでからのお楽しみ。
比叡山で智慧第一と言われた法然上人が言うのですから信じてみる価値はありますよ。
その日が来るまで、この現世でできること、やっておきたいこと、やれるだけやっておきましょうね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

一念ごとに往生を与えられる

念仏は、往生極楽のチケット。
チケットは、一枚あれば充分。
それでも、何回も念仏して、何枚もチケットをゲットしたり、
財布に今日もチケットが入ってるな、チケットを紛失していないなと確認して、うれしくなったりできます。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

となえて終わりでなく、、、

仏、阿難に告げたまわく

汝、よくこの語をたもて。
この語をたもてとは即ちこれ無量寿仏の名をたもてとなり。

観無量寿経の一節です。

どうか、念仏いただいたらなら、その語をたもっていただけるとありがたいです。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

信じ難い仏行。

こんばんは。
念仏を一度唱えただけで極楽往生が保証されますか?
また、唱えても何も変わりません。
との疑問をお持ちなのですね。
行為に対する対価を確認されたい気持ちはよく理解できます。
事実、私もそのように考えていた時がありました。
ただ見方をを変えると、どんな理由にせよ人生で一度でも念仏を称(とな)える機会に恵まれるということは非常に稀なことです。
世の中の人の多くは人生で一度も念仏を称える事のないのが普通です。
我々の常識からすれば、念仏を称えるだけで悟りを得るとか、救われるなどというのはにわかには信じ難い事ですからね。
しかし不思議な事にこの念仏を称えるという仏行は、時代を超えて様々な国で脈々と伝えられ、現在もこの日本で生きています。
はっきり言えることは、私たち人間にとって不必要なものが、永く続く事はありません。
事実、念仏を称える事で人生を幸せに生きた人が多くおられます。
まずは、なぜ念仏は現在まで受け継がれてきたのか、また念仏によって人生を幸せに生きた人々のエピソードなどご自分で調べてみて下さい。※ネットや書籍に沢山あります。
そこから答えが見つかるかも知れません。
もしそれでも納得がいかないようであれば、それは貴方にとっては念仏は悟りを得る、あるいは救われる法ではないという事です。
別の仏行をお求めになって下さい。

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有り難し
おきもち

1966年11月13日生まれ。 23歳(男)、16歳(女)、6歳(男)の一人っ子3人の父親です。 仏様と広島カープとレゲエを人生の友として生きています。 座右の銘入は「好きにしなはれ」

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