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念仏

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念仏を1度唱えるだけで死後の極楽は保証されますか?
唱えただけで悟りを開いたことになるのですか?
唱えても何も変わりませんが、これで救われたと言えるのでしょうか?

2018年8月9日 8:02

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

お念仏の教えについて学ばれているのですね。

お念仏は仏のお悟りですが、それを称える私が今この現生で悟るかどうかはまた別かもしれません。仏のお悟りによって私が明らかになるところに救いがあるのだと私はいただいています。

しかしkei様が救われたと思わないのであればそれが全てです。救われていない、あるいは救われているということを実感できない、という状況かと思います。

「何も変わりません」

とのことですが、何かが変わることをもって救いとする、例えば私たちの身や心が変わることが救いであるならば、それは先のご質問でお答えさせていただいたように「わが身をたのみ、我が心をたのむ」という自力心です。

むしろ縁によってコロコロと変わり続ける何ともウサンクサイこの私がお念仏という「まこと」に出会えたことが救いではないでしょうか。

kei様は色々な仏教用語や解釈をご存知のようですが、それによって混乱しているようにもお見受けします。

普段はどのような聞法をされているのでしょうか?お寺に足を運んで住職さんに一対一で尋ねたり、浄土真宗の一冊の本を何度も何度も読んでみることもよろしいかもしれません。

念仏とは仏を念ずること、すなわち仏の願いを聞くことです。念仏により私がどうなるか、を問題にしているのであれば、それは仏を念じているようで私を念じていることになっているのです。念仏が念私になってしまっている。

仏の願いを法話や本に尋ねながら、実際にお念仏申す生活を送りましょう。

「死後の極楽」という物語からkei様が事実として今、救いを得られるかどうかです。辛抱強く聞き尋ねてみましょう。

2018年8月9日 8:59
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

南無阿弥陀仏とお唱えされたのですね。
なら大丈夫、極楽浄土を望むなら命が尽きる時に阿弥陀仏がお迎えに来られるでしょう。
本当かどうかは死んでからのお楽しみ。
比叡山で智慧第一と言われた法然上人が言うのですから信じてみる価値はありますよ。
その日が来るまで、この現世でできること、やっておきたいこと、やれるだけやっておきましょうね。

2018年8月9日 17:00
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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

一念ごとに往生を与えられる

念仏は、往生極楽のチケット。
チケットは、一枚あれば充分。
それでも、何回も念仏して、何枚もチケットをゲットしたり、
財布に今日もチケットが入ってるな、チケットを紛失していないなと確認して、うれしくなったりできます。

2018年8月10日 8:03
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

となえて終わりでなく、、、

仏、阿難に告げたまわく

汝、よくこの語をたもて。
この語をたもてとは即ちこれ無量寿仏の名をたもてとなり。

観無量寿経の一節です。

どうか、念仏いただいたらなら、その語をたもっていただけるとありがたいです。

2018年8月10日 15:01
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信じ難い仏行。

こんばんは。
念仏を一度唱えただけで極楽往生が保証されますか?
また、唱えても何も変わりません。
との疑問をお持ちなのですね。
行為に対する対価を確認されたい気持ちはよく理解できます。
事実、私もそのように考えていた時がありました。
ただ見方をを変えると、どんな理由にせよ人生で一度でも念仏を称(とな)える機会に恵まれるということは非常に稀なことです。
世の中の人の多くは人生で一度も念仏を称える事のないのが普通です。
我々の常識からすれば、念仏を称えるだけで悟りを得るとか、救われるなどというのはにわかには信じ難い事ですからね。
しかし不思議な事にこの念仏を称えるという仏行は、時代を超えて様々な国で脈々と伝えられ、現在もこの日本で生きています。
はっきり言えることは、私たち人間にとって不必要なものが、永く続く事はありません。
事実、念仏を称える事で人生を幸せに生きた人が多くおられます。
まずは、なぜ念仏は現在まで受け継がれてきたのか、また念仏によって人生を幸せに生きた人々のエピソードなどご自分で調べてみて下さい。※ネットや書籍に沢山あります。
そこから答えが見つかるかも知れません。
もしそれでも納得がいかないようであれば、それは貴方にとっては念仏は悟りを得る、あるいは救われる法ではないという事です。
別の仏行をお求めになって下さい。

2018年8月10日 20:17
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1966年11月13日生まれ。 23歳(男)、16歳(女)、6歳(男)の...

「念仏について」問答一覧

禅と念仏

こんにちは。僕はこれまで様々な道(生き方)を求めて、真宗の教えを求道中だったのですが、はっきり言ってこれまでやってきたことは偽りに過ぎなかったと思い始めました。僕は真宗(本願寺派)において信心をいただきましたが、結局疑いは消えないようです。疑いあるままの救いのようですが、どうも僕にはそれが耐えられないようです。とにかく苦しくて仕方ない。 一方、真宗大谷派の方はもとより疑うべき考え方がないので、とても気が楽になり、最終的には「事実のみが救い」だと最近学びました。 真宗大谷派が最善だと思っていたのですが、僕は精神統一をしなければとても精神が不安定になることもあり、どうせなら座禅の方が良いのではないかと考えています。 これは僕の勉強不足かもしれませんが、座禅と念仏の教えは確実に繋がっているところがあるように思うのです。座禅の教えは自力だと言われていますが、僕はそうは思わず、考え方の問題だと思います。念仏だって自分の意思で間違いなく念仏申しますが、考え方としては「阿弥陀仏の力によって念仏させられる」と考え、禅宗でも「座禅が座禅をするのだ」と言っている人もいます。それに、「座禅は悟りを開くことが目的ではなく、座禅そのものが目的」だと聞きました。 他にも禅で言う大悟も、念仏の信心と似てるというか、もう一緒ですよね。「妙好人」の著書で知られる、鈴木大拙先生も念仏の教えと座禅の教えを比べながら大悟を解説していますし、大悟したと言われる一休禅師も煩悩が消えているわけではない。実際にはどういう境地なのかは分かりませんが、おそらく「仏の眼」によって煩悩あるがままでも力強く生きることができたのではないかと理解しています。 これらの事から、僕は禅の道を歩もうと考えています。 念仏の教えと座禅の教えは、ほぼ同じようなものだと考えている僕ですが、実際はどうなのかが知りたいです。よく吟味しながら求道しようと思っていますので、遠慮なく厳しいお言葉でも構いませんので、念仏と座禅の関係性、大悟や信心の類時点や相違点を教えていただけると有難いです。

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気持ちが変わってきた

こんにちわ いつもお世話になっています。 最近仏様にお祈りして頼っております。念仏を唱えると気持ちが落ち着き支えられています。 苦しい時の神頼み的で申し訳ない気もしますが… でも、何故か?唱えているとお線香の香りがして来て近くにいてくれていると感じます。 そのせいか、気持ちが変わってきて焦りではなく早く仕事に行きたいと思わせて頂くようになりました。 前はそう思っても怖い不安が先にたちなかなか面接行っても不採用にならないかなと思っていた自分がいました。 先日面接に行ってきてまだ、採用にはなっていませんが、手応えがありました。 今は仕事に行けたら嬉しいなと思えます。 体力的に自信はありませんが、当たって砕けろ的な考えです。 自分がどこまでできるか? ダメなら辞めてもいいって考えて気楽にチャレンジしてみようかなんて! 明日の事は誰にもわからないし わからないから希望ももてるし! 明日失敗するってわかっていてもそれをこなさなければならないならば、人間って生きていけない生き物ですよね? 何が起こるかわからないから期待や希望が持てる物だと感じました。例え失敗に終わってもそれはそれでチャレンジした自分がいるわけだから満足できるのかなと。 明日採用の合否がわかります。 祈っていて下さい。

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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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【浄土宗】本当の念仏行って…何?

 いつもお世話になっております。  まず、質問に先立ちまして御礼とお詫びを申し上げます。  この件に大変尽力してくださった、先生方。ありがとうございます。 そして、大変申し訳ございませんでした。  お念仏は続けていますが、あれから菩提寺を含め、浄土系の寺院には お参りが途絶えている状況です。  私自身、自分の信じていた宗の精舎がすさんでいくのを見るのが とてもつらかったのです。私では、止めようがありません。  詳細を説明すると、 ・お坊さん(布教師)の言うことがちょっとおかしい  →他宗の行をけなしたり、念仏以外の行を積むと地獄へ行くなどと平然と  言い放つ、他の仏様をけなす。   「なむあみだぶつ以外は邪教!!」「本山が喧嘩しあってる」 「平等とは何だ」など、不安を煽るようなことを平気で言う。   結果、信徒の9割がその影響を受けて変な方に考えが行ってしまった。  とにかく、私はつらかったです。悲しかった。顔で笑っていても、 腹の底で悲しむ私の姿を、お母さんー阿弥陀様に見せたくない、 そう思って、門から出ました。  本当の念仏とは何?この数年間私は考えました。恋しい「親様」のために。  「苦行に費やす時間を、目の前の苦しむ人たちのために。 来たるべきその後の時は、仏様が確実に手を引いて導いてくれる」  他の神仏の悪口なんか言っちゃいないし、好き勝手どころか、むしろ、 「良心」を前提で動く私たちの背中を優しく見守ってくれる。 「ドジ踏んだって怒らないから安心しな」と。  本当の念仏行って、なんなんでしょうか?

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