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若くて、健康体でないと、出家得度はできないのでしょうか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 97

うつ病を患って、22年になります。
その間、離婚、両親の死、交通事故等、最近では、大阪北部地震にあい、被害を受けました。
今年の3月下旬ごろから、うつ病が悪化し、辛い日々を過ごしています。
身の回りの何もかもが、できなくなり、廃人のようになってしまっています。
お寺にお参りに行くのが好きで、動ける時は、お参りに行って、よい治療効果があるのですが、今は動けず、お参りにも行けません。
生きるのが辛くて、死ぬことも考えます。
離婚した時から、尼寺に入りたいと思っていましたが、その後、交通事故にあい、膝や腰が悪くなり、正座もできません。
年齢も50を超えていて、うつ病も患っていますが、心身を病んだ人間でも、出家得度はできるでしょうか?
心身を病んだ人間でも、受け入れてくれる、お寺を探しています。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出家できたとしても…

日本では出家して僧侶になるということは、将来的にどこかのお寺を継ぐということとほぼ同義です。
そしてお寺を継ぐということは、お坊さん同士の独特な濃くて逃げ場の無い人間関係、お店と比べると全員VIP待遇のようなお檀家さんとの人間関係(もちろんそのVIPの中にモンスタークレーマーもいます)、一般人よりハードルの高いモラルハラスメント、宗教や坊主に対する差別的な偏見や中傷といったものに晒されながら生きるということです。
世間で思われているような安楽な場所ではありません。お坊さんに変な人が多いのは、並の神経では潰れるからということもあるのです。脅すようで申し訳ありませんが、あまり期待なさらないでください。人と人との出会いは運次第ではありますが、病状が悪化する可能性も十二分にあり、しかも一度入ると非常に抜け出しにくい世界です。

南方で住職を目指さないお坊さんが大勢出家しているのは、初期費用から生活費など一切合切の経済支援を家族親族と檀信徒さんが全額負担し、養うから実現できていることです。日本にそのようなシステムは存在しません。
結局、大きいお寺にはお金があるけど時間が無く、小さいお寺には時間はあるけどお金がないため、後継者以外の弟子を取れる条件が揃うお寺は本当に限られてしまうのです。そこからさらに住職にその気と能力、経験があるかどうかも絡みますしね。そうすると全体の1%未満まで限られてしまうでしょう。

一方で在家の人が泊ま(字数制限のため削除)

私は梅花講や報恩講などへの参加をおすすめします。実際に梅花講を通じて鬱が改善した方はいらっしゃいますよ。
そもそもな話、大乗仏教とは過度な出家主義に対して「在家でも修行できる!」と主張して分派し、その路線で進化してきた一派です。出家生活による救済よりも、在家のままで仏道に親しむにはどうすれば良いかという方向に伸びています。そこの所は押さえておいて下さい。hasunohaで出家のご質問がくると必ず「在家でも修行できますよ」という回答が付くのは、次善の策ではなく日本仏教がそのように出来ていることの現れです。

追記
思い当たるお寺のリンクを貼ろうと思いましたが、ホームページに18〜40歳、重労働ができること等が条件で、最後に『療養所ではありません』と一言添えてありましたので自粛させていただきます。
梅花講などを重ねてお勧めいたします

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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現実的には難しい。佛教大学の通信教育は?

授戒(戒を授かって正式な仏教徒になる)を受け、戒名(仏教徒ネーム)をもらうことは、誰にでもできます。(もちろん、生前に。)
さらに、得度(小坊主になり、僧籍に登録してもらう)も、やってくれるお寺はあるかもしれません。
得度の儀式と書類登録だけなら。

しかし、現実的にお寺に受け入れてもらうというのは、就職するのと同じです。
お寺のスタッフとして働くことになるのですから。
若くもなく健康でもない人を雇う会社は少ないでしょう。

授戒については、菩提寺や近所のお寺で聞いてみてください。
縁のあるお寺やお坊さんに教えてもらいながら、自宅で在家信者として仏教を学んでいくことが、現実的だと思います。
また、仏教を学ぶのは在家でも充分可能だと思います。
京都の佛教大学では、通信教育でも学べます。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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先ずは菩提寺のお寺さんに相談してみてはどうかな。
宗派によって大きく違いますが、浄土宗の場合、私が道場で研修を受けたときは50代60代の方もいましたから、正座ができないことさえ道場側が認めてくれたら可能だと思いますよ。
ただその前に、菩提寺なり、師になってもらう方を見つけること、そこで心身共にしっかり準備することが大切です。
お釈迦様のお弟子さんには120歳で弟子入りした方もいたそうですし、お釈迦様から見たらわたし達は皆病に侵されているそうですからね。
仏教を学ぶことが病の克服や低減に繋がるといいですね。
良い師と巡り会えますように。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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なかなか困難ですが不可能ではない

読まさせていただきました。

出家得度だけなら、若さも健康体も関係ありません。得度式という儀式だけですから。
得度式を受け、僧籍登録を行うと、お坊さんにはなれます。

ただ、正式な坊さんである住職資格を得るとなると、なかなか大変で、住職になれる
坊さんになるというのはそれだけ大変なことなのです。

基本的に大学を出なくてはなりません。宗門大学(浄土宗なら佛教大学と大正大学)で、単位を
取ったり、ほかの大学の人は養成講座を夏休みに受けて、加行資格を取ります。

そして、加行を受け、宗脈戒脈の相伝を受け、晴れて住職資格が得られ、正式な坊さんに、
なれます。

浄土宗の修行は正座がきついなんてきついうちに入らないきつさですが、あなたは正座が
できないようだから少し心配ですね。

うつは病状が収まっていたら何とか可能ではないですか?わたしも20代でうつを発症して
いますが、それでも修行に行きましたし、大学出てから本山にも行きました。

ただ、修行するなら若いうちだと思いますね。今からあの厳しい修行の毎日を過ごせるかと
いうと無理に感じます。

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おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

ご回答をいただき、ありがとうございました。
お寺に就職したい気持ちからではなく、現在の辛い状況を、なんとかしたくて、出家得度をしたいと、考えていました。
悩みや苦しみを救ってくれるのが、仏教であり、お寺であると、思っています。
その中に、身をおいたら、病気が治ると、思っています。
お寺のお手伝いでもいいので、そのような環境がないものかと、思っています。

三宅 聖章様

ご回答をいただき、ありがとうございました。
菩提寺の僧侶には、何度か相談したことはあるのですが、とても頼りなく、いいアドバイスはいただけませんでした。
それで、ハスノハで、思い切って、質問させて頂きました。

お釈迦様の弟子に、120歳の高齢の方がおられたとは、知りませんでした。また、お釈迦様が、私達は皆病に侵されていると、説いておられるのも、知りませんでした。
教えていただき、ありがとうございました。

よき師僧に巡り合うこと、難しいかもしれませんが、縁があれば、と思っています。
ありがとうございました。拝

大慈様

ご回答をいただき、ありがとうございました。
日本の仏教界の現状、わかりました。

在家の人が泊まり込みで、修行生活ができる所、そこで病気を治せるような所があればいいなあと、思います。
人生に絶望した人、心を病んだ人、社会生活に耐えられない人達の受け入れ先としての機能を持っているお寺、このようなお寺はないものかなあと思っています。

わずかながらでも、あるのであれば、教えていただきたいです。よろしくお願い致します。

鈍阿様

暖かいお言葉をかけて下さり、本当にありがとうございました。感謝しております。おかげさまで、うつ病の方は、すっかり良くなり、治りました。うつ病の時に、苦しくて、藁にもすがる気持ちで、ハスノハさんに、相談しましたが、正直、きついことを言われると、本当に、うつ病が悪化してしまいました。でも、鈍阿様や、三宅聖章様のような、暖かい、お心をお持ちのお坊様に、助けていただき、本当に救われました。ありがとうございました。

あとは、膝の問題だけですが、今、医学は進歩していますし、医師に相談してみようと思っています。トップの膝の専門医、数名に、相談してきましたので、もう一度、相談に行ってきます。

修行するところは、見つかりました。修行して、私が、いい僧侶になり、私のように、どん底に陥った時に、助けてあげられる、駆け込み寺、女人救済のお寺、うつ病を治してあげられるお寺、困っている人に、手を差し伸べてあげるお寺、とにかく、何でも、救済してあげられるお寺を作りたいと思っています。

本当にありがとうごさいました。感謝をしております。

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

僧侶になり、お坊さん便に加盟したいです

 現在60です。  最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。  まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。  どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。  そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。  僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。

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田舎の寺を継いだが辞めたい

はじめまして。 地方の田舎の寺を親から継いだ40代独身です。 20代で修行を終え、最近登記も済ませ、住職となりました。 姉(独身)と父(もう高齢化してきてます)と私の3人でやってます。 母親は檀家の紹介でお見合いし、父と結婚。しばらくアパートで暮らしてましたが、姉が産まれ、しばらくして、弟である私が産まれました。 その後、寺に入ってほしいと祖父母からの要望で、田舎の寺で祖父母と同居となりました。 母はそこそこ有名企業で収入もよく、当時結婚が当たり前の時代、相手はほかにもいたというのに、なぜ寺なんかに嫁いだのか・・・。 私らの子育てがあったので、仕事をやめ、寺で生活してましたが、慣れない祖父母との同居生活、加えて急に来る檀家の対応等で精神疾患となりました。 どうしても無理だと思った母を見かね、父は私らを連れて寺を出ることになりました。寺から1時間程度離れた別の場所に家を建て、そこで私らは育ちました。住所変更も済ませ、学校などもそちらの地元を出ました。 その後、私は専門を出て就職したのですが、父が病気にかかり、寺を継いでやってくれと頼まれまして、仕事をやめ、そのまま修行を終え、寺に入って住み込みで約10年ほどやってきました。 田舎の檀家寺になりますので、近辺のほとんどが昔からの檀家です。 付近の住職死亡後誰もやらなくなった無住の寺を代務でいくつも抱えており、その負担が私に全部来るようになってます。 朝でも夜でも電話もなく、いきなり急に来る檀家が多く、毎回相当なストレスを感じてしまいます。少しでも出れなかったり、いないと、なんでいないんだ?どうなってるんだ?と怒鳴る檀家もいて、もう寺にいたくないとさえ思うことが多いです。 葬式が入れば、戒名いらない、葬式だけ1日でやってくれ、寺に親が昔勝手に建てた墓があるから仕方なく、住職を呼ばないと納骨ができない・・・そんな感じの檀家がほとんどで、毎回対応するのがものすごい大変です。 今はまだなんとか父がいますので、いろいろ聞きながら、私が檀家の接客電話担当、姉は裏方で主婦みたいな感じでやってます。 もう姉も私も結婚は難しいと思ってますし、檀家は全部あわせると400件ほどおり、次はいったいだれがやるのか・・・。 できることなら私と姉はやめて、寺から出ていき、よそから住職呼んで継いでもらいたい・・・甘い考えなのでしょうか?

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回答数回答 1

鬱病でも仏門に入りたい

今年24歳になります。色々とあり発達障害、鬱病の診断を前々からされています。 もともと10代の頃から、おばあさんになって自分のやりたいことが出来なくなったら仏門を学んでみるのもいいかもしれないと思っていました。 通信制の学校を卒業し、やっとやりたいことをみつけ、SNSや動画を作ったり個人で活動をしていましたがメンタルも体調もよくならずやっと3年続けて折れてしまいそうです。 こんな自分を変えたいと思い、筋トレを始め、たまに仏教や神様のことについて調べて、自分を愛す、諦める、という方法を試したつもりでしたが 自分はだめだ、という固定概念が覆せずやりたい事、今まで楽しかったこともダメになってしまい これでは人を笑顔にするのはおろか、自分のことも幸せには出来ないと嘆いてばかりです。 バイトを始めれば人間関係が上手くいかず、働かなければ罪悪感に苛まれ、休むこともままならない中、 修行僧を募集しているお寺さんがあることを知りました。 ここで2つ疑問があります。 自分は、仏教について趣味程度の知識しかなく、学校にて学んだことはありません。 精神病について悩んでいる方も迎える、と言ったお寺さんがあることも知っていますが 自分を変えるため、自分のため、と言った理由でも、履歴書をちゃんと書いて、ゆくゆくは人の為に祈りたいと仏門に入ることは許されるのでしょうか。 また、大学に入って学ばなければ修行僧としての受け入れは、やはり難しいでしょうか。 まずは家でやれる写経や座禅、やってみました。 近くのお寺では説法会?など予定が何年も前からずっと更新されず体験出来ていないのが現状です。 頭の硬い私にはなかなか効果がでず、悪い言い方になりますがいっそ 厳しい世界でシバいて だめならシバかれた経験を生かし自分に強く生きていきたいと思っています。 女の体として生まれたので壁もある世界かもしれませんが、頑張りたいと想ってもいいのでしょうか。 お坊さん本職の方から意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

得度に関して

私は、海外在住50代の女です。真言宗にて得度をうけたいと考えています。尼僧になるのが、目標ではなく これから仏道の道を歩み、学んで行きたいという決意です。自分でできる限り調べておりますが、女の得度については情報がなかなか見つからずにいます。師となって頂きたい方がおります。お遍路の大雨の中避難先ののご住職です。もし受け入れていただけるのであれば、年に一ヶ月くらい 住み込みで勉強させていいただきいと思っています。お手紙にて思いの丈をお伝えしたと思っているのですが、このように突然見ず知らずの一度お会いしただけの私のようなものが、このようなお願いを送って失礼はないのだろうかと一歩踏み出せずにおります。私の住む街の寺院名を仮にAとBとさせていただきます。 寺院Aには、ご住職にお願いしまして、お掃除をさせていただいております 週末外庭とお掃除、その後依頼されて納骨堂(期間限定)のお磨きをさせていただいており、2年が経過しています 特に感謝の言葉をお声がけいただくこともなく、自分自身の修行であり感謝の言葉を期待すべきでないと言い聞かせています。一度、ご住職に仏道に進みたいと相談したものの、写経に参加しなさいという回答のみでした。 寺院Bの先生は、私が得度を受けたいと思っている師の元で、修行をされています。それがわかったのは、その寺院にて避難させていただいていた同じ時に、いらっしゃいました。 この先生は、少しずつですがこの寺院にて学んで行ってはいかがでしょうと行ってくださいました。実際、専修学校にいくお金を今工面できないために、日本に行けない間は、こちらで学ばせていただこうと思っています ただ私は、どちらの檀家でもありません。同宗派とはいえ自分の寺院を一つにするべきとと思うのですが、いかがでしょうか?寺院AもBもご住職は、日本語でないため、日本本語の話す師のもとで得度し、前進していきたいと思います。 師を日本にもち、寺院Bの先生に学び 寺院Aにてお磨きさせていただいたいと思うのは、欲張りなのでしょうか?また、現実的な金銭的なお話ですが、得度をお願いする際に、どれくらい用意しておくべきかアドバイスいただけますでしょうか?、またその師には、毎月、または毎年お礼として上納するのでしょうか? まとまりのない文章で失礼いたします。 ご意見をお聞かせいたけましたら幸いです。ありがとうございます

有り難し有り難し 4
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女性の在家の出家を認めてくれますか?

禅の独自の方法で集中的に在家修行をして、3年以上になります。6年前に大学院在籍中に、気づきの瞑想の型を習得し、研究で理論を創造し、理論を実践の内容とし、禅の独自の方法として理論を修行に応用化させました。 今の境地を顕すなら、宇宙の理を見ることができるようになりました。私がどういう仕組みで、どういう自然の流れで生かされているのか、理解できるようになったのです。この真理の構造を知る事によって、他者や物理的法則がどういう意識、又は秩序の構造か、知る事も可能になりました。 今、困っているのが、食欲が減退し、ご飯は無理矢理食べています(死にたくないからです。)、睡眠欲が完全に無くなり(今、書いている時間帯まで眠れません)、性欲も気持ち悪くなってから、追求しなくなりました。他者に配慮したり、他者のペースに迎合すると、忽ちに気力が無くなってしまいます。この時、呼吸も乱れて、身体に力が入らなくなり、動けなくなります。今は、生きるのに思うようには行きません。 出家したら、自分の主体が乱れるのも危惧していますが、このまま一人で暮らせば、誰も加護してくれない場合、私は生きていけるのか、漠然としたシコリがあります。出家の本来の意義は、生きるか死ぬかの狭間で、世に殺されない為、即ち、世との軋轢で自殺しない為にあると、ささきしずか先生の本で見たことがあります。私は、日本社会の隅っこで、唸り続けながら、死ぬしかないのでしょうか。出家するしかないのではないか、といつも思っていますが、何故か今は、念仏して拝みたい欲に駆られて、仏様の側に居たい気持ちでいっぱいです。誰か、助けてください。

有り難し有り難し 32
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