ANESTHESIOLOGIST
麻酔科医の主な仕事は、「体の痛み」を取り除くこと。
お坊さまの主な仕事は、「心の痛み」を取り除くこと。
患者様に寄り添う仕事。
救いを求める人たちに寄り添う仕事。
ほぼ同じようなもの。
もし互いに協力し合えれば、もっとたくさんの人たちを救うことが出来るのではないでしょうか?
でも、何だか今、非常に高い「壁」を感じています。
「どちらかだけの世界」として存在しているように感じています。
私は、そんな「偏った世界」や「無意味な壁」を取り除きたい。
「誰でもいらっしゃい!」と人を招いておきながら、互いの中に「分け隔てる壁」を持ってしまっているのではないでしょうか?
窮屈です。
息苦しいです。
全然、開放的ではない。
閉鎖的です。
この「壁」は、これからもずっとずーっと無くならないものなのでしょうか?
それだと、せっかくの「ビハーラ活動」もなかなか広まらないのではないでしょうか?
こっちはこっち、あっちはあっち。
そんな状態、良いとは思えません。
これは「喜怒哀楽」で言うならば、私にとって「怒」ではなく「哀」です。
このままだと、ここに私のいる意味など無くなってしまいそうです。
助け合いの精神とは…?
「助けたい」
これも「欲」の「煩悩」なのでしょうか?
ここhasunohaに来て1か月が経ちました。
去るべきかどうか迷っています。
hasunohaは、とても心地よく素晴らしい場所です。
しかし、何だか…
うまく言葉に出来ませんが…
迷っています…
消えた方がラクなのでしょうか…
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは壁じゃなくて秩序です
こんにちは。
例えばです。病院に医師免許のない人が、診察をしていたらどうでしょう?
または患者さんが他の患者さんの診察をはじめたらどうでしょう?
どんなに腕がよくても当然ながらそれはアウトです。それは壁でしょうか?「偏った世界」の「無意味な壁」でしょうか?
ここは、おぼうさんが、一般の方の質問に答える場です。ここの登録僧になるためには、きちんと手続きをして、お坊さんであることが証明されないと回答僧にはなりません。
確かにあなたの情報は役に立ちます。でも発揮する場所はここじゃない。
あなたはここで何か質問をするのなら歓迎です。でも質問じゃないことを書くのは歓迎されません。
質問ならまたいつでもどうぞ。
質問者も回答僧も共に仏の教えに救われる場所
トラスさんこんにちは。私見を述べますね。
「心の痛みを取り除くこと」はお坊さまの仕事ではなく、仏様の仕事です。
お坊さんはただの一人の人間。質問者様と同じく迷える存在です。
よって、僧侶の回答が常に正解であるわけでも完璧であるわけでもありません。ですから質問の内容によっては僧侶が答えるよりも例えば看護師資格があり医療の知識があるトラスさんの回答の方が有効な場合もあるでしょう。
しかしそのようなサービスはyahoo知恵袋やSNSで既にあります。
現に私はここに頻繁に質問していた方で重い精神障害をお持ちの方が、他サービスで回答者側として活動し活躍している事例を知っています。
ここはここで仏教に特化していることに大きな意義があるのだと思います。
そして、仏教に特化しているからこそ、ここの回答はけして単純に質問者様が求めるものを与えるというものではありません。
場合によっては質問者様が聞きたくない耳が痛くなるような内容をお伝えする場合もあります。
それはお坊さんが目的としているのは表面的な救いや、対処療法的な場しのぎや、感情が満足するだけの耳触りのよい言葉をかけることではないからです。
言うならばhasunohaがなくなっても、その方がその先も仏様の教えと自らを支えに歩んでいけることです。
それが根本的な救いです。
生きている限りは人間には苦しみが生じます。苦しみの一つ一つを場当たり的に解決するのでなく、苦しみを持ってしまう人間自身が救われていく、つまり苦を自らが引き受けていくことを見据えているのです。
もちろん回答者様の状況・性格・性質によって今はとにかく優しい言葉が必要な場合や、信頼を築くためにまずは求めるものをそのまま提供する場合もあります。
そこが臨機応変ということであって、根本は質問者様も回答僧も共に仏様の教えに学び、共に救われていくものであることにブレはありません。
だから僧侶の回答も不完全な試行錯誤であり、もどかしく見えることもあるでしょう。
しかし餅は餅屋で、医療は医療機関で、hasunohaは仏の教えで…というスタンスこそが、あらゆる人が苦に向き合っていくためにhasunohaができることだと私は思います。
そもそも論な話、hasunohaはプラットホームです。回答僧は質問者と同じく利用者に過ぎません。回答僧は運営者ではないのですよ。hasunohaの将来をどうこうする立場にありません。
Hasunohaは運営者さんが個人で立ち上げたサイトです。運営者さんが自腹切って数百万の累積赤字を背負いながらここまでやって来られたんです。今年度になってからは仕事辞めてhasunohaに専念なさっています。まだまだ収益化は軌道に乗っていないにも関わらず。。。
今は運営者さんが食っていけるようになるのが最優先です。そうでなければhasunohaに明日はありません。そっとしておいてあげて下さい。お願いします。
hasunohaとは
「hasunohaは、あなた自身や家族、友人がより良い人生を歩んでいくための生きる知恵(アドバイス)をQ&Aの形でお坊さんよりいただくサービスです。」(「hasunohaとは」より)
hasunohaというこのサイトは、この説明以上でもこの説明以下でもありません。
これからも、hasunohaを宜しくお願いします。
聖俗の壁はあるが薄いもの
読まさせていただきました。
私は最近回答僧になった若輩者で、あなたが残りのお坊さんにも意見を問うていたので、
私なりに書いてみます。
前半はおおむね同意です。麻酔科医が体の痛みと限定するのはともかく、内科医も胃の痛み
を取ってくれたりしますね。ただ、心の痛みを取るのは精神科医の役割と私は思っていますが、いかがでしょうか?
仏教は健康な心をさらに良くする方法論であって、病んだ心は精神医学の範疇化と思います。
餅は餅屋です。切り分けが大事かと思います。
ただ勘違いしてほしくないのは、精神科医は心の専門家ではないということ。心の病気の
専門家です。そこが精神医学の限界だと思います。
医療も仏教のうちにありました。しかし、今は仏教の外にあります。だから、チーム医療の
ようにしてはどうかという提案。
はすのはで行うのは先輩諸氏が書いているように、違うでしょう。ここはお坊さんが、答える
ことに特化したサイトです。また質問者が回答者になることはNGでしょう。
閉鎖的と言われようが、世に質問サイトはたくさんあるのだから、どうしても回答者になりたいのならあなたはそちらで活躍なされることをお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
光禪様、亀山純史様、お返事ありがとうございます。「秩序」や「資格」、言葉としては美しく、正しいように感じますが、それが「壁」となっていると思います。「見えない壁」でなく「見える壁」です。
緊急時、誰でも人の命を救える「AED」があるように、緊急時、誰でも人の苦難を救える「hasunoha」があっても良いのではないでしょうか?
「お祈り下さい」→「お祈り致します」→「ありがとうと返事が届く」、それなのに、「お祈り下さい」→「(祈らず)病院へ」→「何も返事が届かない」となっていることは事実です。せめて「お祈り下さい」には、お祈り下さい!
お坊さまが「お祈り致します」その一言を返すことで、救われる方がおられるのに、「病院へ」とおっしゃっられると、返事を書きたくない、悲しくなってしまう、まるで自分が排除されたように感じてしまう、その気持ちが、痛いほどこちらに伝わってきます。
「AED」のように「助け船」を出すことが、何故、そんなにいけないことなのでしょうか。皆「緊急」の「SOS」なのに…。
いろんな人の力を合わせなければ、また取り零されてしまう人があらわれます。
仏教は「臨機応変」だとおっしゃっているお坊さまがおられました。hasunohaももう少し臨機応変になられることを期待致します。
217名のお坊さま
「医療におけるAED」のように、ここが「仏教におけるhasunoha」のようになることを切に望みます。
病院で医師免許をもたない者が治療するのは
アウトです。しかし、病院の一歩外へ出たら、誰かが誰かを救う為に動かなければなりません。呼吸が止まっている人を見つけたら、見つけた人がAEDや心臓マッサージをする、そこに医師免許は必要ありません。
私は、何もお寺さんの中で手術したいとは言っておりません。お寺さんの中でお坊さまのように振る舞いたいとも思っておりません。
ここhasunohaはお寺さんの中なのでしょうか。お寺さんを一歩出て、いろんな方をお救いするのがhasunohaの役割なのではないでしょうか。
私は何人もの人たちに、手を差し伸べたのではありません。あるお一人の方をお救いしたいと思い、質問することで助けになれば、と思いました。それも秩序を乱す行為なのでしょうか。
もう少し柔軟性を持たせることは不可能なのでしょうか。
hasunohaには、たくさんのファンもいらっしゃいます。それなりに有名なサイトでもあります。本も販売されています。広告も多いです。
しかし、ほんの少し、もうほんの少しだけ敷居を低くすることは出来ないのでしょうか。
たった私1人で、217名のお坊さまを動かす力などございません。
それを分かった上で、hasunohaのお坊さまの皆様にお願いしたいです。「SOS」に答えられなかった場合、緊急処置的に、返事を書けなくなった方を救う「質問」もありにすることは…「全否定」「NO!」か、「時と場合による」「Yes!」か、お考えいただければと思います。
柳原貫道様、お返事ありがとうございます。すみません、お返事遅くなりました。hasunohaが成り立たなくなるほど、1人を救う行為がダメなことなのでしょうか?では、その仏様の道をきわめた方々で、ちゃんと取りこぼしなく、1人残さずお救い下さい。悲しむ方をつくらないで下さい。助けを求めてくる方、お一人でも悲しむ方をつくらないで下さい。見ていて痛々しい気持ちにさせるようなことはしないで下さい。
私は、今後一切、質問以外の質問は致しません。その代わり、必ず、1人残さず、救って差し上げて下さい。宜しくお願い致します。
吉武文法様、お返事ありがとうございます。私が仏教を学び辿り着いたのが、ここhasunohaです。特別な場所であることは、他サイトと見比べれば分かります。でも、比べる、比較する、そういう場所ではないとも思います。
先ほど述べました通り、今後一切、質問以外の質問は致しませんので、ご安心を。
皆様の志は高い。それも犇々と感じております。
ですから、どうぞ特別な場所だからこそ、特別になり過ぎない場所であっていただきたいと思います。
頑張って下さい。
大慈様、お返事ありがとうございます。
私も自腹切って、医療の無料相談を致しております。こちらも無料ながら、相手となる患者様もお金がない方々、また、保険証が無いため病院へ行けない方々もたくさんいらっしゃるので、運営者様のご苦労も少しは理解出来ます。お察し致します。
何度も書いておりますが、今後一切、質問以外の質問は致しませんので、ご安心を。