大好きな上司
今年からお世話になっている上司がいます。
みんなのことを我が子のようにたくさん可愛がってくれる上司です。
わたしも上司を自分の父のように慕っています。尊敬もしていますし、人柄が暖かくて優しい上司が大好きです。
上司の存在は、みんなの仕事のやる気につながりました。一生懸命頑張る私たちをたくさん支えてくださっています。
わたしの部署は入れ替わりが早いのため、その上司に1年もお世話になることはできません。我々の異動の話も出ています。
これから新しい人が入ってくるため、異動の日も近づいてきました。
大好きな上司ともっと一緒に仕事をしたいです。
わたしが甘えん坊で寂しがりやだからでしょう。限られた時間、仕事をとにかくめちゃくちゃ頑張っていますが、異動の日が近づいてくるにつれて切なくなります。
心細さや切なさはどうしたら良いでしょう?
神経過敏なところがあります。繊細すぎるかも。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
善き出会いに感謝し、善き出会いを糧とする
素晴らしい上司に出会え、いい雰囲気の中でやりがいのある仕事が出来て良かったですね。人事異動とは会社のに居るあ限り避けて通れないことですが、そういう善い上司と離れることは寂しいですね。
或る小学校4年生の話です。その小学校は2年ごとにクラス替えが行われます。5年生になれば、クラスも変わり、クラスメートも変わります。その子のクラスは担任の指導も良かったし、クラスのみんなの協力しあったので、とても良い雰囲気のクラスでした。その子はもう一人の友達と一緒に校長先生のところに行きました。「校長先生、私たちのクラスはみんな仲良く、とても良いクラスです。来年もみんな同じクラスにしてください。」と校長先生にお願いしました。校長は「来年も同じクラスで居たい。そう希望してもらえることは、校長先生としてもうれしいことです。でもね、5年生になったら、クラス替えをするという決まりを、あなたたちのクラスの希望だけで変えることはできないんです。5年生になったら、5年生の新しい仲間と善いクラスを作ってくださいね。」と答えたそうです。
我々は人生の中でいろんな方と出会います。じぶんにとって好ましい出会いもあれば、残念ながら不快な出会いもあります。「嫌な上司の下では働きたくないけど、会社を辞めるわけにもいかない。」という苦しみの中にいる方は多いと思います。(仏教で説く四苦八苦の中の怨憎会苦にあたります。) 優しい両親、大切な伴侶、素晴らしい上司同僚に恵まれても、永遠に一緒にいることは出来ません。期間限定なんですが、其のことになかなか納得できないまのです。(愛別離苦)
私たちは日常生活の中で、常ならざるものを常であるように、楽ならざるものを楽であるように、我(アートマン)ならざるものを我と思い、浄ならざるものを浄であると、願い望みがちです。(仏教用語で、顛倒(てんどう)と言います。)
どんなに慕い尊敬する上司であっても、ずうっと同じ職場に居続けることは不可能だと思います。でも、お互いが元気でいる限り、子弟的な友好な関係はすうっと続けていくことは可能だと思います。そのためにも、上司に出会えたことに感謝し、上司から学んだことを今後に生かしていきましょう。
出会いがあれば別れもある
読まさせていただきました。
良い上司に恵まれて幸せでしたね。でも、その上司のもとでずっと仕事をしたかったと
いうのはわがままです。人生には、出会いがあれば別れもあるのです。
また他の部署に移っても同じ会社にいるわけではないですか。直接の部下ではなくても
相談に乗ってもらったりお世話になることはできないのですか?
仏教では愛別離苦(あいべつりく)大好きな人とも別れる苦しみをときます。
質問者からのお礼
鈍阿さま
回答ありがとうございます。
そうですね。とても幸せでした。(;▽;)
愛別離苦や出会いがあれば別れもあるのも自然の摂理であるということがよくわかりました。わがままや執着に打ち勝つ自分になります!
異動後にも頼るのは遠慮しなければならないと思っていましたが、そんな風に考えなくても良かったのですね。
吉田俊英さま
ほんとうに寂しい気持ちでいっぱいになります。(;▽;)
すごく分かりやすいお話を聞かせてくださってありがとうごさいます。上司含め、今いる仲間たちはすごく雰囲気が良いのです。
どんなに幸せでも、幸せは長く続かないもの、限りあるものなのですね。限りあるからこそ、ならば恵みに感謝せねばなりませんね。だから有り難いという字を書くのですね。
上司から教えてもらったことを実践していきます。離れても師弟です!(;▽;)