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自分の性格に自信が無く、、

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有り難し有り難し 27

私は昔から自分の思うままに生きてきました。

それは悪い意味で、怒りの感情を思うままに相手に突き付けたり、思った事を何も考えずに相手に押し付けたり、、本当何も考えようとしずに生きてきました。

高校になった頃に間違いを指摘してくれる友達に出会い、やっと自分がいかに相手を傷つけていたか思い知らされました。それまでは恥ずかしながらなんの悪気なく言っていたのです。

それからと言うもの、徐々に自分の発言に過剰に気にしすぎるようになり、思う事をうまく言えないようになり、イラっとされるのが怖く、相手の顔色ばかり伺い、思ってもない事で機嫌を取ったりしてします。

でもちゃんと自分で相手の事を考えた上での事はしっかり指摘出来たり意見を言ったり出来るのです。ちゃんと考えられる自分が嬉しかったりもします。

嫌なのは今まで長い事、相手の事を考えずに発言していた性格が出てしまった時や、出てしまっていたんじゃないかと、感じる時です。

そして友達と遊んでバイバーイ!と楽しい気持ちで手を振った直後に、(あの時の発言は失礼だったかな)とか、(冗談のつもりだったけどイラっとしてたしてたような、、)とか考えてしまいます。

お酒を飲んでテンションがあがり、調子に乗ってしまった時など特に落ち込みます。無条件に。。周りが見れなくなる事があるので勢いに任せて何か失礼な発言してなかったかと怖くなります。

友達には(調子に乗ってごめんね)と謝って嫌な思いしなかったかと詮索してしまいます。じゃないと気が休まらないです。

呑んでる時は終始皆で楽しく仲良くやってたはずなのに帰ってくると急にそういった後悔や自己嫌悪に陥ります。次の日にも持ち越します。自分の性格に自信が無さすぎて、反省する事が多く疲れます。でもすぐに変われるわけでもなく、急激に成長出来る訳でも無く、どうしたら良いのか分かりません。何か間違っているのは分かるんですが、何をどうすれはいいのか分かりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

評価を恐れず、コミュニケーションを楽しんで♬

人から、全く嫌われない人って、いないよ。
みんなタイプや好みがあるから。存在自体に妬まれたりすることもある。
だから、言葉遣いや 振る舞いに 注意しながら、人と関わっていても、みんなが何を考えているかなんて、誰にも 心の奥底は、分からない。仏様くらいじゃないかな、お見通しなのは。

だからって、開き直ったら、好き放題な行動をしたら、当たり前だけれど、みんな離れていくよね。

あなたは、今 、すごく敏感に、極端になっている。だから、何も出来ず、不安ばかりで、勝手に反省して、オドオドばかり。
これじゃ、しんどいよね。

周りを見る、気を配る、思いを巡らせるのは、人間関係で大切だよね◎
でも、完璧なんて出来ない。機械じゃないんだから。あなたは、あなたの想いを押し殺すの? そんなの楽しくないよね。

だからね、これからも、たくさんの人と触れ合い、経験を重ね、それが、あなたの心地良い振る舞い(態度)になっていく。それでいいんじゃないかしら。
誰かに、指摘されたら、気付かずにごめんねと、素直になればいいし。相手の顔色が変わったら、あなただけでなく、気分を優れなくなったのでしょうから、大丈夫?と声をかければいい。
それもまた、コミュニケーション。
評価を恐れず、コミュニケーションを楽しんで♬

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ほどほどに…なるようになる

ご相談拝読しました。

うんうん、そういうことってありますね。友人や周りの人からどう思われているか気になるのですね。

大丈夫です。もっと歳をとってもそんなものです。そして最近のことだけでなく、何年も前の自分の若い頃の言動を思い出して恥ずかしくなったり申し訳亡くなったりもするものです。

だからこの問題で悩まなくなるということはないので諦めましょう。そして悩んだときには悩んだってしょうがないと気づきましょう。

なぜならば相手が私をどう思うかは相手が決めるからです。

相手はどう私の評価を決めるかというと私の言動を見て決めます。つまり私が気にするべきものは相手が私をどう思うかではなく、私自身が何を言い何を為すかという私の言動なのです。

言ってしまったもの、やってしまったことは取り返しが尽きませんからすっぱり諦めて次の言動を整えるしかありません。

幸いに間違いを指摘してくれる素晴らしい友人とのご縁があったとのこと。関係を大切にしてください。

それ以外のご関係で何か指摘されたり、あるいは何も言われず関係を断たれたりということがないのであればおっしゃる通り過剰に気にしすぎているということになるでしょう。

気にするのはしょうがありませんが、気にしてもしょうがない面があります。過去を省みて今これから何を言い何を為すか、それしかありません。

そして何を言い何を為しても離れるご縁もあれば、私がどんなに間違えようと私を包んで離れないでいてくださるご縁もあるかもしれません。

してしまったことばかりにとらわれて今目の前の大切なそのご縁に目を向けられないのはもったいないかもしれません。

気をつかいすぎることもなく、気をつかわず思うままにしすぎることもなく、ほどほどに…。間違えたと思ったら謝ればいい。謝っても離れてしまうご縁は諦めるしかない。

何をどうすれはいいのか分からなくてもいいのです。その分からない自分を引き受けて生きていきましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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