回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
次は正当化かい?
”自殺は悪いことなど誰も言っていません。”
あなたが知らんだけや。
”言ったもん勝ち、やったもん勝ちの世の中”
あなたが勝手にそう思っているだけや。
”犯罪でもありません”
犯罪者として警察に捕まらなければ何をやってもいいと?
そんなことだから、あなたはどこまでも不平不満が止まらんのや。
”ただ自殺する気力もなくなっていました”
ほう、そいつぁー結構な事だ。
今のうちに、生きている間に、どうか目を覚まされますように。拝
<追記>
ちょっと脈絡がよくわかりませんが…。
とりあえず人助けやポジティブなのはいい事なんじゃないでしょうか。
自殺というか、自殺に至る心が問題
「なぜ自殺はいけないのか」という問いに対して、さまざまな議論が交わされていますが
自殺そのもの、というよりも、自殺に至る心もちが問題なんです。
自殺という行為だけでいえば、ジャータカ物語(お釈迦さんの前世譚)に登場するうさぎなんかは、腹を空かせた仙人に施しをするために自らの身を捧げます。(実は仙人は帝釈天で、このうさぎがお釈迦さんの過去世。命を賭した施しです。)
同じように、釈尊の弟子でも飢えた虎の親子に身を捧げた者もいました。
また、人を救うために身を投げ打つ人、子のために命を捨てる母親...
これらも行為としては自殺ですが、その心が「他者のため」という大前提があるのです。
そうしてみれば、自殺という行為自体に、良いも悪いもありません。
しかし、なにが罪かといえば、自殺に至る心なんです。
辛いから死ぬ、絶望したから死ぬ、というのは、過去の自分の行いや、周りの思いを顧みないエゴなんです。
自分を殺して、悲しみしか残さない行為です。
自殺をするまえに、いまの自分に至ったすべての行いを振り返ってみてください。
自殺をするひとは、「自分のせいじゃない」「周りが悪い」「私はなにも悪いことをしていない」と言いますが、そうした発言自体が、「自分を見つめることができていない」という罪なんです。
自分の行いをありのまま見つめ直す行為が、仏教のみならずあらゆる宗教のスタート地点である「懺悔」です。
懺悔せず、周りを憎み、恨みのまま命を断つのは「瞋」の罪です。
もちろん、理不尽な状況や、本当に良い行いしかしていないのに不幸になってしまう人もいます。
そんな時のために、仏様がいるのです。
一度、ご自身の行いを振り返ってみてください。
決して悲観的にではなく、俯瞰で、フラットに、です。
それでもまだ自殺が頭をかすめるなら
また、このhasunohaにご相談ください。
悪いっつーか、辛いでしょ
「体と心と仏教と。」で調子が上がって、「空虚」から怒涛の下がり具合で心配してましたが、また会えて良かったです。
自殺する気力がない。それでいいと思うんですよね。
傷付けることって、案外にエネルギーのいることです。不快な感情に不快な行いを上乗せして、また不快な思いをする。案外にしんどいことです。
しんどいからやらない。それでいいとワタシャ思うんだけどなぁ。
お釈迦さまだって、盗まない方が楽だから盗むな、不倫しない方が楽だから不倫するな、傷付けない方が楽だから傷付けるな…って言ってるだけじゃんって、思うんですよね。
家族から離れた方が楽なら離れればいい。他の仕事にした方が楽なら他の仕事にした方がいい。でも、考え無しに親から離れたり転職したりして、やっぱこっちの方が大変だった!ってなるのは愚か。よくよく天秤にかけて、先の見通しを立てて、んで、選ぶ。
「こうしなきゃ悪いこと」なんて縛られること無いんです。だってさ、本来なら自殺してたものと思えば、家族と距離置こうが仕事捨てようが変わらんでしょ。
こうあらねばならない自分なんてどこにも無い。生きながらに死ぬんです。死にながらに生きるんです。
話は飛びますけど、世の中にはストレスに強くなる漢方なんて物も売ってるんですね。要するに自律神経の乱れがストレス耐性の弱体化に繋がってるそうです。そうすると心って何なんだよって話ですよね。『案外に自分が思っているほど、自分が考えているわけではない。』まわりの環境や生活習慣の1つ1つから楽になれるように治していきましょう。
天寿
拝読させて頂きました。悪いかどうかはわからないですけどもやはりご縁に恵まれて与えられた生命を先ず尊重なさり大切にしたいと思っています。
死にたいと思うことは生きている中では何度も何度もあります。けれど私もあなたも周りの人たちもその中で生きていますから少なくとも与えられた天寿は全うすることが善であり正しいことだと思います。
どうぞあなた自身の生命、心も体もいたわり大切になさりながら幸せな毎日を生き抜いてくださいね。
自殺したがる感情は、悪
悪とは、自分や他人の悩み苦しみの原因になること、ではないでしょうか。
自殺したいと思うとき、苦しんでいるのは本人です。
自殺したいと思わなくなれば、苦しみは消えます。
だから、「自殺したい」という感情を消すほうが善いのです。
「自殺したい」は自分を苦しめる感情だから。
しかし、人間にはプライドの煩悩があり、自分で自分の間違いを認めたくない。
「自殺したい」という思いが自分を苦しめているにもかかわらず、「自殺したい」という自分の考えを他人に否定されると腹が立つのです。
自分の考えを自分で否定する。
自分に自分でツッコミを入れる。
悩み苦しみにつながる妄想雑念をスパスパ斬り捨てる、智慧の剣を持ちましょう。
自殺は良くないですよ
御質問有難うございます。自殺はあまりにも寂しいと思います。死ぬ事は避けられない身でありますが、少しでも生きているうえで大切な部分を見つける事が大事ではないでしょうか。合掌
質問者からのお礼
転落院 様
ご回答、有難うございました。
言ったもん勝ち、やったもん勝ちを違う方向からみたら、
言ったもん勝ち→スーパーに買い物に行ったら、商品を探しているお年寄りに声をかけ、探している商品のところへご案内しました。
有難う、と微笑んでくれまた。言ったもん勝ちの嬉しさを感じました。
やったもん勝ち→勉強して仕事の技術の幅を広げています。派遣切りして後悔するのは客先です。