事故の後遺症 今後を生きるため
職場の事故で足に障害が残りそうです。歩くことが苦痛です。
原因が明らかなのに、全てなかったことにされ、歩くことさえままならない状態なのに、障害とさえ認めてもらえません。
人間など所詮使い捨てなのだなと感じます。気持ちが弱いから歩けないのでなく、それを越えた痛みがあるから挫けるんだと思います。
この足で、今の仕事を続けることは出来ません。この先どう生きていいかわかりません。
何か考え方を変えるきっかけを教えてください。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お彼岸です。修行です。
とてもお辛い状況ですね。
今までできていたことができなくなるというのは、苦痛であると思います。
今日からお彼岸です。お彼岸はご自分の修行の期間でもあります。物事を正しく見て生きるということについて方向性を見つけていけたらいいのではないかと思いました。
過去にこんなことをやった、こんなことができた。という事実があったでしょう。しかしその事実は今は記憶でしかない。これは一秒前ですら、そうなんです。今と思っている音は、その瞬間に過去になる。記憶、想像、考えの世界となる。
予想もしていなかった事故に遭い、今できないことがある。しかし、それが今の事実。そしてそれは、明日の状況とも違うでしょう。
事実というのは本当に「今」しかありません。想像や考えの世界は、リアルではありません。将来も事実ではありません。事実はありのままの「今」の様子の中にあります。そしてあなたの体、五感で感じていることが全てであります。それ以外本当にないのです。
ですから、その今のあなたの様子を拒絶することなく受け入れることが必要です。とことん「今」にいるのです。そして今後を考えるときは、「今」の様子から考えるのです。過去の記憶があるけれど、それは置いといて、今できることをするのです。
思いは事実をゆがめます。冷静でいられなくします。物事を正しく見る修行は、安心して過ごせる仏道です。思いに流されることなく、目や耳、鼻、舌、身体で感じた現実に生きるのです。実は初めから受け入れている自分があったことに気づくはずです。そこから新しい人生が始まっています。
質問者からのお礼
邦元様
ご回答ありがとうございます。お言葉を理解し、自分の中に吸収できるよう何度も読み返しました。
やっと自分の間違いに気づきました。思いは事実をゆがめますの部分。
何度も壊れ歩けなくなることが、ただこわかったです。でも、構える必要などない。壊れたら、何度でも立ち上がり進みます。ありがとうございました。