最高にくだらない質問ですが…仏様って、泣くんですか?
いつもお世話になっております。
常々考えていたことなのですが、阿弥陀様やお不動様も
悲しみや悔しさなどの感情により涙をお流しになる、
ということはあるんでしょうか?
たとえばチベットのターラー菩薩様などは、
観音様が、どんなに頑張っても一切の衆生を救いきれないことに
悲しみ、また悔しさのあまりポトリとこぼした涙から
お産まれになったと言いますし…
最近など、
「お不動様の顔って、あれは怒ってるんじゃなくて
実は我慢している、また悲しんでおられる顔なんじゃ?」
などと思い始めています。
どうなんでしょうか…?
ご意見お待ちしております。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
同事(どうじ)
くだらない質問なんてことはありませんよ。疑問に思ったことはまず自分で調べたり考えてみたりして、それでも聞きたいと感じたことはなんでも聞いてくださいね。
さて、「仏様は泣くかどうか」という問いは教義的疑問というよりは信仰的疑問なのかなと思います。
仏様や仏様の教えと出会った一人ひとりがどのような自覚をいただいていくかという問題ですからね。
この問いについてとても良い詩があります。有名な金子みすゞさんの詩です。
さびしいとき
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。
私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。
私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、
佛さまはさびしいの。
「金子 みすゞ全集」(JULA出版局)より
仏様の大悲は常に私たちに寄り添ってくだります。その究極の姿勢が「同事(どうじ)」や「同悲(どうひ)」、「同苦(どうく)」と呼ばれるものであり、つまりは立場を同じくしていただくというものです。
私たちが悲しい時、私たちを慰めてくれたり、励ましてくれたりする存在はいるかもしれません。
でも本当に気持ちを同じくして共に悲しみ、時には共に泣いてくださる存在は仏様しかいないのではないでしょうか?
もちろんその仏様はどこかに実体的に存在するということではなく、教えを通して仏様の智慧に触れる時、大悲のはたらきとして個々人に自覚されるものとしての存在でしょう。
ロータスさんが阿弥陀様やお不動様を信仰するならば、阿弥陀様やお不動様の前でロータスさんが涙するならば共に泣いてくださることでしょう。
青山俊董さんの話だったかなぁ?
小さい頃からお寺に預けられていたのですが、師匠のお坊様から、お寺のご本尊さまが怒っているときは、普段丸いはずの手の法界定印が三角になっている、と言われ、悪い事をしたときは、ご本尊様の手が三角になっていないかどうかそっと見に行った、なんて話を聞いたことがあります。
また、亡くなった方の遺影が、拝む人の気持ちによって、笑って見えたり悲しんで見えたりする、という話もあります。
仏さまは、あなたの気持ちに寄り添ってくださっています。あなたの気持ちが悲しければ一緒に悲しんでくださり、楽しいことがあれば一緒に喜んでくださっていると思います。
質問者からのお礼
【吉武文法 先生】
ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまい申し訳ありません!!
信仰的な問題ですか…ならば私は、仏様を悲しませるようなことはできませんね…
敬愛する「親様」を泣かせるような真似はしたくないので。
【光禪 先生】
ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまい申し訳ありません!
私、遺影を飾っていないんですよ…でも、お寺で仏様の前に座った時に、
仏様が笑ったり泣き顔になったり、という風に見えることはありますね。