日本の宗教に対する意識と新興宗教について
日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか?
話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。
あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。)
比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。
お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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独り言
私も一僧侶ですが、それこそ自分の宗派以外のことはほとんど知りません。勉強したこともありません。それを声を大にしていうこと自体がおかなしなことだと思いますので、発言の無礼無知はお許しください。
まず思うのは、所詮、宗教は人間の都合で作られたもので作られていくものだと思います。もちろんマスターと呼ばれる聖人(お釈迦様、キリストなど)は、真理を説かれているのでしょう。しかし、弟子をはじめ後世の人々によって、その時々に経典などを解釈する人の力量や時代、環境、風土、政治などにより、多くの宗教宗派が誕生したのでしょう。仏教、キリスト教、イスラムなど既成宗教でさえ、様々な教団、会派、グループがあります。しかし、それぞれに教学教義が立てられ、それによって綿々と継承されてきたのです。
又、様々な人生経験で得たことが信仰の原点になり、新興宗教もこうした個人の経験から誕生していることも多いと思います。又、既成教団が布教に力を入れなくなったことで、新興宗教が台頭してきたことも否めません。お坊さんが助けてくれないなら、私たちでということでしょう。
又、新興宗教の場合は、教祖と呼ばれる人が亡くなったり、組織内の権力争いで分裂し、さらに分裂と、教えや行っていることはさほど変わらないのに、教団の数だけは増えていくのも事実です。お寺と檀家の関係ではなく、宗教が身近に感じることも一つの要因かもしれません。
いづれにしても、自分が誕生した時の環境(両親、祖父母等)によって、宗教心が大きく作用されることは否定できません。又、誰から教わる訳でもないのに、神仏を信じる思いは個々に違います。ゆえに成長する中で価値観も違ってきます。そんな時に何らかの宗教に出会うと信仰へとつながっていくのでしょう。
頭で考え理論が成立して納得できても宗教とはなりません。それは哲学です。それに信仰、信じる力と祈りが加わって、宗教となるのでしょう。
春の雪さんが、もっとお知りになりたいことは各方面からお話があると思いますので参考にしてください。
危険な宗教チェックポイントというのがあるので確認してみましょう。当てはまる項目が複数あるなら極めて要注意です。一つでもあれば気をつけましょう。
1、組織名や団体名、その正体を隠す傾向がある。
2、団体名や内容と異なる名称を使い勧誘する。
3、組織から与えられた情報について、疑ってはならないと教える。(組織の情報が正しく、それ以外は間違っていると言う)
4、外部からの情報を遮断する傾向が強い。(反対派の陰謀だと言う)
5、組織の教えが絶対で、自分で考えたり判断することは間違いであると指導する。
6、真理は、その組織や教祖(会長)に占有されており、その組織や教祖を通してのみ知ることができると主張する。
7、白黒や善悪を常に分けたがる。
8、世界を、組織と外部とに二分する世界観を持つ。
9、組織や教祖(会長)が絶対の善で、外部は悪であると主張する。
10、組織内部でしか通用しない言葉を多く用いる。
11、個人の生活が制限され、組織の活動や寄付、勧誘活動に積極的に参加することを強要される。
12、生活が細部に渡って規定される。常に先輩や指導者の指示を受けなくてはならない。
13、迫害意識(敵の存在)を強調し、団結心や闘争心を煽る。
14、組織からの脱会について極度の恐怖心を与え、脱会の自由を奪う。(罰、地獄、サタン)
15、脱会した人の話や他の人に相談すること、接触することを禁じる。
16、家庭や社会などで何らかのトラブルが生じている。
17、有名人や学識者の名前を使う。
18、異常な歓迎を受けたり、優しくされたり、褒められたりして、喜びや感動を与えるようにする。
19、合宿やセミナーが定期的に行なわれ、教祖(会長)のメッセージを植えつけられる。
20、献金や会費が義務付けられる。(勧誘活動や奉仕ノルマなども)
21、罰、地獄、終末論(日本が滅びる、世界が滅びる)など不安と恐怖心を煽る。
(「カルトとは」全国家庭児童相談室連絡協議会 編集 より抜粋)
叔父さんとは宗教の話は避けた方がいいかな。
どの宗教も始まりは新興宗教ですから、新興宗教全てが問題あるとは思いません。しかし、既存の宗教含めて、よくよく気をつけることが必要だと思いますよ。
納得するまでは
春の雪様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
教えの真贋の見極めは、やはり、自己責任において進めることが肝要となります。
拙生の場合は、伝統日本仏教の中の教えに対しても、それが慣習的、伝統的に正しい解釈であるとしても、安易に受け入れることはなく、明らかに検証を繰り返して、やはり間違っているということは、受け入れずにおります。
現在では、チベット仏教が修習の中心となっておりますが、チベット仏教の伝統においては、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とあり、誰による教えもでも、本当にその教えが仏典に照らし合わせて正しいのかどうかを、しっかりと自分でも批判的、合理的に調べて検証してから、納得して受け入れて、そして、実践していくことが大切であるとして、拙生もそれに従って日々努めさせて頂いております。
やはり、自分で得心してこそ、やる気、モチベーションも保てるもの。懐疑の中では、やる気もモチベーションも保てません。
それは、新興宗教であるかどうかに拘わらず重要であると存じます。
(少し本音を述べれば、伝統仏教宗派の中にもカルト性、その危険性が常に潜んでいますので、やはりそれなりに気を付けないといけません。)
川口英俊 合掌