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恐怖感をなくすにはどうしたらいいでしょうか。

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はじめまして。
周りの人に相談しづらく、行きつけのお寺もなく、でもだれかに相談できないかと思い投稿させていただきます。

私は、子供の頃からホラー系のものなどが怖いです。
でも自分の性格の1つと思って、お化け屋敷は行かない、ホラー映画は見ないようにしようなど自分なりに対策をしていました。
しかし最近、私が怖いのはそういういわゆるホラーなもの、というわけではないのではないかと思いました。

直近の体験のお話をさせてください。
神奈川県横須賀市にある記念艦三笠、という船の見学に行ってきました。
歴史を感じられるような博物館や記念館は好きで、今回も途中までは内装や展示品を眺めて楽しんでいました。
しかし、ある一室に入った瞬間体がすくみ、恐怖心から目をつぶって耳を抑えて丸くなって(又はとにかく逃げ出して)大声を出したい気持ちになりました。
怖い、怖い、としか頭は考えられなくなりました。パニック状態でした。
そこは、艦に乗っていた方々の遺品や写真を展示している小さな部屋でした。
一緒にいた友人が引っ張ってくれ、なんとか部屋を出たのですが、彼曰く「あそこには、いっぱい(霊が)いらっしゃったからね」ということでした。その時知ったのですが、友人はそういうものが見えるそうです。
そのまま他の展示もせっかくなので見て回ったのですが、別の部屋(沈没船の写真の飾ってある部屋)の前でも足がすくみ、話を聞くとそこにも大勢いらっしゃったとのことです。

人生を思い返してみると、このようなパニックに近い恐怖を感じたのは
・沖縄の旧海軍司令部壕
・長野市の善光寺のお戒壇巡り(お気を悪くされましたら本当に申し訳ありません)
・祖父母の葬式(葬式まで遺体が安置されている場所にも近づけませんでしたし、顔も見れず、体にも触れられませんでした)(これもお気を悪くされましたら本当に申し訳ありません。)
などです。

きっと悪霊ではないことはわかります。(と信じています。)
でも、そう考えても溢れるほどの恐怖心はなくなりません。

そこに霊の方々がいらっしゃるなら、私が恐怖心を抱いていることも申し訳ないですし、一緒にいる人にも迷惑をかけてしまいます。
なによりも将来自分の身内に不幸があった時にこのようなパニックになってしまっては困ります。

どのように心を持てばいいのか、教えて頂けないでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生に「もしも」は無いことを認識する。

拝読させていただきました。

もしも、こうなったらどうしよう?と考えると思考回路は不安に走ることが多いです。しかし、人生には「もしも」も無く、現実しかないのですよ。
脳が作り出す先入観がくろさん自身を怖がらせているのです。
霊が見える人には見えて、見えない人には見えないので、この先も見えないので安心してください。
幼少期の頃は、怖い映画など観た夜は想像力が増し、夢の中に出てくることがあります。これも先入観です。

私は不安を持たないために同行二人である南無大師遍照金剛と心の中で唱え、お大師さんと共に居ることで不安を跳ね除けます。

不安は先を見るからこそ芽生えるものであり、もしもを考えないことをオススメいたします。

合掌

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祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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怖さを感じるのは自然な反応

 こんにちは。何か言葉では言い表せないような感覚があったのですね。それは、人間に備わっている感覚器から脳に何かの信号が送られた、ということでしょう。
 そういうメカニズムは、たいがい自分を守る為に作動しています。だから、怖いと「感じた」ら無理せず逃げる、でよろしいと思います。
 しかし一方で、「亡くなった方の思いに(言葉などで)触れる」機会があったのであれば、それはまた受け止めて欲しいとも思います。
 色んな方の手記や遺品など、「理解」に繋がるものたち。こんな思いで戦地に赴いた人もいたのだ。こんな思いで家族と別れていったのか…。
 「そういう人もいた」を知ることは、恐らく「自分の生き方をどうすべきか?」を考えるヒントとなります。「これだけの思いをして、家族を、平和を、守ろうとしたんだ」
 その思いに背を向ける人に対しては、もしかすると「悪霊」と映るかも知れませんが、私は個人的に「亡くなった方は、怨んでも仕方ないと気付いている」と思っていますので、ただ「背を向けられて寂しい・残念」かも知れないなと思うのみです。
 あなたがその時、何歳であったかは分かりませんが、肉親との別れは学びにもなります。また、ご自身が日々すこしずつ死にながら、新陳代謝していることはお気づきですか?
 ご自身の髪の毛が抜けても、「怖くて触れない」ということはないでしょう。それはもう生きていない(伸びない)のに。
 あなたのお母さんが髪の毛が抜けても、「怖くて触れない」ということはないでしょう。それもまた、もう生きていないのに。
 あなたの爪、皮膚のあか、排泄物。みんなあなたを生かし・助け・役目を終えて分かれていきます。それに気づき、慣れていくことは、いずれ訪れる「あなた自身の、今生とのお別れ」を、少しずつ穏やかにしてくれるような気がします。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

法源さま
ご回答をくださいまして、ありがとうございます。
先入観から来る不安のための恐怖と聞き、納得いたしました。
私は他人に、思い込みが激しい、と言われたことがあるので、正にその通りだと感じました。
人生には「もしも」も無く、現実しかない、というお言葉は、はっとされられました。
分からなくて怖いことをあれこれ考えることよりも、今この瞬間の目の前にあることをしっかり考えなければならない、ということですね。
不安にならないよう、もしも、を考え込まず、生活できるよう私も強い心を持ちたいと思います。
また、この先も霊が見えないことに関しては安心いたしました。
頂いたお言葉をしっかり心に刻んで、これからも生きたいと思います。
ご指南くださいまして、本当にありがとうございました。

佐藤良文さま
ご回答をくださいまして、ありがとうございます。
怖さを感じることを自然な反応と仰っていただき、少し罪悪感が薄れました。
無理せず逃げてもいい、というお言葉も、今までの取り乱して逃げた行動を肯定していただけたように感じ、安心しました。
亡くなった方の思いにはできるだけ触れていけたらと思います。先人の思いの上に私たちは生きている、と感じます。自分がより良く生きるためにも、可能な限り、触れられたらと思います。
また、自分たちが日々少しずつ死にながら新陳代謝していること、頭ではわかっていましたが、お話ししていただいてようやくどういうことかわかったような気がします。
お話を聞いた後で、自分や家族、友人の体のひとつひとつがとても大切に感じました。
いづれ訪れる死を、別の視点から見ることができそうです。
頂いたお言葉をしっかり心に刻んで、これからも生きたいと思います。
ご指南くださいまして、本当にありがとうございました。

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