辛くても生きるべきですか
よろしくお願いしたします。
夫が二年間の単身赴任で海外にいき、先日帰国しました。その間三人の子供と家でまっていたのですが、二年の間に数回、他の女性と体の関係を持ったことがわかり、信じ切っていた私はパニックになってしまいました。
わかってからの日々は毎日味わったことのない苦しい日々で、でも子供達が不安にならないようにわらっていました。
主人もとてもとても反省してくれて、やり直そうと思うのですが、ふとした瞬間に気持ちが激しく沈み、主人を疲れされてしまいます。
普通の仕草や行動でも疑ってしまいます。
私と一緒にいたら主人は疲れ果てて、しまいに私を嫌いになるのではないかと思っています。
そんな不安ばかりの毎日につかれ、最近はずっと死ぬことを考えてしまっています。
しかし、残された子供や両親の事を考えると、絶対に自殺はだめだと思えます。
でも…それでも…と、そんな事を日々繰り返しています。
私が全て許して、忘れて過ごせれば問題解決なのはわかるのですが、私の性格がわるいからか、なかなか忘れてあげられません。
こんな私では、救いはないでしょうか?
子供達を置いて死んだら、子供達に残酷な思いを刻んでしまうのでしょうか。
どうしたら前を向いて、二年前のような、疑いもない素直な幸せな気持ちにもどれるのでしょうか。
支離滅裂な文章で申し訳ございません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな気持ちも否定しなくてよいのです。
ご相談拝読しました。それは大変お辛い思いをされましたね。
死にたいとまで悲観してしまう気持ちも、ご主人を責める気持ちも、あるいはご自身を卑下してしまう気持ちも…どんな気持ちも否定する必要はありません。気持ち感情に正しいも間違いもないのです。
なぜならば感情は起こすものではなく起きるものだからです。様々な条件・環境・要因により自分の思いを超えて湧き上がってくるものです。自分で起こしたものでないものに良いも悪いもありません。どんな気持ちもあなたの大事な気持ちです。
しかし、その気持ちをうけてあなたが実際にどんな行為や態度を選択するかという問題は非常に重要です。その後の気持ちの起き方にも、あるいは夫婦関係にも大きな影響を及ぼすと考えられるからです。
けして無理をする必要はない事は前提です。その前提の上で、もしあなたがそれでもご主人を許すという態度を選択するならば、その態度に沿った行為を選択していきましょう。
必要以上にご主人を責める発言をやめるとかそういうことです。気持ちは責めたままでかまわないのです。でも行為としてはグッとこらえてご主人とやりなおすための行為を選択していく。
その内に段々と夫婦関係もあなたの気持ちもあなたの望むものに近づいていくかもしれません。
もちろんんこれも思い通りにならないことですので断定はできません。しかし少なくとも気持ちをきちんと受け入れていくという態度選択を取るならば苦しみは減少していくのではないかと思います。
生きるか死ぬかということへの善悪の判断を仏教的にくだすということはできないかと思いますが、仏教を学ぶ一人の人間の判断としては、生きることをオススメしたいところです。
是非生きて、生きたままでこの度のご縁を引き受けていただきたいと思います。なぜならば仏教では苦を滅する道があると説かれているからです。苦を滅するとは苦を活かす事。この度の悲しいご縁はなくなることはありませんが、その縁を受けての夫婦の態度選択如何によってはけして「もう幸せな気持ちにもどれることはない」なんてことはないと思います。
何度も言いますが無理はしないでください。ご主人を疑ってしまうご自身を責めないでください。
またいつでもご相談ください。
今目の前の旦那様はどうですか
旦那様がしてしまったことは誠に残念な話です。しかし、もう一つ言えることは、もう今はしていないということですよね。反省されているとのことですので、きっと二度と同じ過ちは繰り返さないことでしょう。
それは今の旦那様を見ていてあなたが感じることですが、どうでしょうか。
過去のことを切り離し今の様子から考えてみてください。疑えばキリなく疑えるのが人間です。どこまでも疑うことはできてしまう。だから余計なことは想像せず、ありのままの今の旦那様を先入観なしに見てあげてください。
自ずと答えが出てくるのではないですか。
赦せるかお別れするかの二択です。
旦那様を信じることができればあなたも楽になれるはずです。
質問者からのお礼
回答いただきましてありがとうございます。
お二人に直接お礼を申し上げたく思いますが、ここから失礼いたします。
自分の気持ちも冷静に見れるよう、心を穏やかに、そして強く持てるように、無理しすぎないで頑張りたいと思います。
本当にありがとうございました。