如来にはなぜ複数の種類があるのですか?
如来のモデルは釈迦である。と、授業で習ったのですが釈迦はこの世界でたった1人の存在であるのに如来には複数種あるのでしょうか。中には釈迦如来もあり頭が混乱してます。教えていただけますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「土方十四郎のモデルは土方歳三」の「モデル」とはちょっと違う
お釈迦さまの人生や人格をモデルにしているのではなく、お釈迦さまの格好をモデルにしていると言われています。
菩薩→『出家する前(王子だった頃)のお釈迦さまの格好がモデル』
⇅それに対して
如来→『悟りを開いた後(お坊さんになってから)のお釈迦さまの格好がモデル』
という感じです。菩薩はアクセサリーがジャラジャラで、(例外はあるけど)如来はおとなしい服装でしょう?そういう程度の話です。ぶっちゃけ如来じゃなくてもお坊さんのお袈裟もお釈迦さまの服をモデルにします。それも同類項ですね。だからどれだけ複数種あってもいいんです。
もっとも、如来は世界のあり様を暗喩(例え)で表現したものなので、仏教物語の登場人物という感じではありません。さわりだけリンクを貼っておきますが、この辺↓を学校で習えるのは大学に行ってからになるでしょうね。
https://hasunoha.jp/questions/4497
だからお釈迦さまの格好をベースとして、そこに色んな例えとしての特徴づけがされています。お釈迦さまの格好がモデルといっても、お釈迦さまの服装や姿と如来の服装や姿は必ずしも完全にイコールではありません。
追記
これも貼っておきます。「旗の色」の項をご覧ください。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/仏旗
こんな感じで如来は手の形や持ち物、毛穴に至るまで何かを象徴しているんです。具体的に聞かれても全部忘れちゃいましたけど(←オイッ!!!)
多くの人が救われるために。
こんばんは。亀山純史と申します。
如来とは、仏教の真理を私たちに教えるために、真理の世界から来られた者です。つまり、先生ですね。先生にもいろいろな先生がいるでしょう。怖い先生、厳しい先生、優しい先生、面白い先生、教え方が上手な先生、という感じに。そして、いろいろな先生がいるから、多くの生徒が成長していけるのです。A君にとっては、厳しい先生にビシビシと指導してもらったほうが良かったり、一方、Bさんはあまり勉強が出来ないので、教え方が上手な先生に指導してもらったほうがよかったりと。そのように、如来にもいろいろな如来がいることで、多くの人が救われていくのですね。一度、いろいろな如来について調べてみるといいと思いますよ。その中で、自分に合った如来に出会えたら最高ですね。
我が身心に本来そなわっている如来
「あ」
如来って多くに人は外に立てる。
でも本当は違うと思います。
自分自身の事にならんとねぇ。
一切の感覚も現象も心理作用も来たるがごとく、去るがごとく。
如来如去。
今さっきまで冒頭でみていた「あ」はもう通り過ぎた過去の作用。
そんでもって、今はこの「12345」という数字を見ている。
数字がこの身に現われる。
「い」
この文字を見ている時は「あ」も「12345」も通り過ぎて「い」。
ただ「い」という事があるばかり。
耳にはあなたのいる空間で聞こえている音。
およそ半径数メートルの聞こえるSOUNDがあなたの身心の上に現われる如来。
呼吸一つも来たるがごとく去るが如し。
みな授かりでしょう。
いずくんぞイボイボ頭の謎の如来キャラを如来と思い誤ってはるか遠くの世界に描かん。
みんなそうやて仏像、仏教、如来をこじ自身の上のこととしないことが本当の如来、本当の仏を拝めなくさせている仏教でありながらも仏教業界に染み付いている仏教っぽい仏教ウイルスなトコロがある。
「サンタはいますよ。」
でいい人は、サンタをそのまま信じるあるよろし。
何を言っているんだ。
あんな赤い服着たヒゲもじゃのおじさんがトナカイに乗って空を飛んで?
ちょちょちょ、オモチャはどこから?Amazon?楽天?
理知的に考える人には絵空事は信じられませんから、その内容を示す必要もある。
姿かたち、働き、作用、影響力、中身、役割の違いも出てくる。
同じサンタの作用をあらわすにも、アニメ・絵本もあれば実在の人間がやるものもあれば、ビジネスもあり、コスプレもあり、人の頭の中に描かれ、夢希望を与えて機能するものもある。
でも、サンタと言えどもらうばかりでは物乞いです。
報謝、恩返し、お返し、回向が無ければ、頂きっぱなしなのです。
つまり如来とはあなたがそうなるべきことをあらわしているのです。
あなたのその疑問をガチッと解決、得心が行くまで生涯の課題にするべきでしょう。
わが身我がことの血肉にならない如来はどこまで行っても仏像や架空の存在になってしまうものです。
「あ」はいまいずこ?
「い」はいまどこにある?
わが法身の如来に参ずべし。合掌
それぞれの如来が異なるわけ
ろっこー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
如来は、確かに一仏国土にお一人現れられるということとなりますが、一仏国土である三千大千世界(お一人の如来のお力の及ぶ範囲)は、娑婆世界の他にもたくさんあり、各世界では、如来が在世されている世界もあれば、今の娑婆世界のように不在となっている世界もございます。
他の仏国土で最も有名なのは、極楽浄土ですが、他にも密厳浄土や妙喜浄土、浄瑠璃浄土などもございます。
如来は、悟りを開かれて仏陀となられたお方となりますが、それぞれ遠い昔に菩提心を起こされて、菩薩として誓願をお立てになられて、長い長い修行を経られた後に、お悟りを開かれるのであります。
それぞれの如来は、菩提心は同じながら、誓願の内容はそれぞれであり、その誓願の内容、修行の変遷によって、それぞれの仏陀としての「はたらき」も異なるところとなるのであります。
仏陀の御身体には、真理としての御身体としての「法身」と、救済のはたらきを伴われる「色身」の御身体を有されるのですが、真理としての御身体である「法身」には、違いはないものの、救済の御身体である「色身」に、その誓願、修行の内容が反映されるところとなるのであります。
そのため、釈迦如来様、阿弥陀如来様、大日如来様、薬師如来様、阿閦如来様など様々に「はたらき」の異なった仏様方がいらっしゃられるのであります。
また、今の娑婆世界は、如来が不在ですが、約60億年後に、弥勒菩薩様が悟りを開かれて下生されるとお釈迦様より授記されているところであります。
それまでは、お釈迦様の残されました仏法を頼りとして、悟りへと向けて精進して参りたいところでございます。
ちなみに、余談ですが、実は、弥勒菩薩様は、お釈迦様より先に菩提心を起こされたらしいのですが、お釈迦様の菩提心が弥勒菩薩様よりかなり強いものであったため、そのため修行のスピードもかなり速く(それでも三阿僧祇劫もかかってしまっておりますが・・)、弥勒菩薩様より先にお釈迦様は悟りを開くことができたようなのであります。
このように、それぞれの菩提心(菩提心自体の内容は同じ)の強弱や、菩薩としての誓願の内容、修行の過程等で、どのような仏様となるのかが決まってくるのであります。
川口英俊 合掌