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現在の一瞬だけを強く生きるコツ

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先日はお世話になりました。すごく参考になりました。
新たな質問をさせていただきます。

仏教には、現在の一瞬を大切に生きることが大切であるというような
釈尊の教えがあります。私はとても大切なことであると思います。

でも私はどうしても、過去の失敗や過ちと未来への
不安にとらわれてしまいます。心身ともに疲れてしまいます。

今、現在をしっかりと生きようと決心しても、過去や未来へのとらわれから
自由になれず、今をおろそかにしてしまいます。

そこで、過去にも未来にも余分に精神を浪費することなく、現在の一瞬だけを強く生きるコツがございましたら、ぜひアドバイスをお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心は思考では変えられない

hibikukagayaku様

 先の回答には、ご丁寧なお返事ありがとうございました。
 今回のご質問も、たいへんよくわかります。

 私の回答は、前回の内容とまったく同じであると、先にお伝えしておきましょう。
 と申しますのも、現在の自分から自由になるには、まずその構造を知らねばなりません。
 「私」の心の中には、いつも様々な思いや感情、常識や観念が湧いては「私」を支配します。そしてそのたびに、その感情などを「自分」だと思ってしまいます。
 サンスクリット原典をつぶさに読みますと、釈尊の内的描写についてこのような表現があります。

  「私の心にこのような思いが湧いた」

 ここで気づくことは、「私≠心≠思い」であるという点です。
 すなわち、「私」の「心」を見つめ、その中に湧いてくる「思い」を、距離をとって眺める「私」がいるというのが大きなポイントです。

 その状態を識るには、「静寂」を体験しなければなりません。
 それは思考や論理で解決できるものではないからです。
 お線香の煙が、縦に真っ直ぐ立ち昇っていくように心を鎮め、ざわめきから離れる時間をお過ごしください。

 前にお伝えした、自分のセンターへと戻る「数息観」で、呼吸の中心へと帰ることを何度も繰り返すことをお勧めいたします。

 そしてできれば、その時の発見を文字にして、客観的に固定するようになさってください。自分の内に湧く思いも常に流れていくものです。そのことを言語化するには、客観的な自分をもたないとできません。言語化してそれを読み直してみるうちに、より客観的な自分が徐々に形成されて参ります。

秀海拝

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・浄土宗僧侶(元浄土宗寺院副住職:実家大阪市浄土宗天龍院千代田別院普請中)...

今と言っても「ま」という時に「い」はない。

本当の現在=「いま」は、「い」と言っている時に「ま」はなく「ま」と言っている時に「い」は過ぎ去っています。
◎「過去は記憶にすぎない。
  未来は推測にすぎない。
  現在も言葉にすぎない。」
これは仏教的な意味でリア充するため=本物のリアルを生きる為の禅の教えです。
現在には二種あり。
一つは、現在という言葉の表現で表している頭の上で思い描いた現在。
一つは、言葉を離れた、リアルタイムで進んでいる現実のLIVE、生々しい実物の世界。
太陽という言葉にはまぶしさはなく、風という言葉に涼しさはないように言葉は現実の中身を指し示すものでしかありません。
 本当の現在は、今現在という言葉に用はなく、
 今現在という言葉を思い起こす以前から、すで目の前にある、まのあたりにしているダイレクトの現実ライブをいうのです。
現在という言葉を知らない頃は子供の様に駆けずり回って楽しんでいたはずです。
世界にはもともと現在などという言葉すらなかった。
現実に息をしている、その一点があり続けてingいるだけです。

今という瞬間を、言葉で言わんとしても、それはどこまで行っても言葉。
よって「今」なんていう言葉があるだけで、それは考えの上のコトでしかなくダイレクトの生々しいリアル、LIVE=本当の意味での今ではない。

別に過去や未来の事を思い起こしてはいけないわけではありません。
①過去や未来を思い起こすのも、現在やっていることです。
過去に関することで気になっていることがあるのだと思います。
今後は、過去の嫌な事が思い返されたのなら、明るい未来に向けて二度と同じような失敗をしない様に慎重に行うべきであると。

②未来の事があれこれ思い起こされたのであれば、そのビジョンを明確にして夢を実現するべく、具体的に建設的に行えばよいと思います。

③今と言う、言葉に用がなくなるほど、本当に連続する現在を生き切っている姿そ仏教的リア充と呼ぶべきでしょう。(^o^)

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

もっと浪費をしなさい。

 hibikukagayakuさん。良いですね。このような悩みは青春を感じます。今結構人生楽しんでいませんか?悩みは悩んでいる内が一番楽しい。今振り返ってみると私はそう思います。
 敢えて言おう、過去にとらわれないでどうして自分をよくしようと出来ますか。未来に不安を抱かず、なぜ夢が見れるのか。結論から言うと気にするな。あって当然。浪費?大いに結構。どんどん後悔し、不安を抱き、浪費をしなさい。私が本山で修行していた時、「坐禅なんて、無駄なことに時間を使いやがって。」と心無い参拝者に言われたことがありました。自分が共感したこともあります。確かにこのことは正解かもしれません。しかし、視点が広がる切っ掛けを作ったのは坐禅のお蔭だと今でも思っています。視点が広がれば、心が広くなる。(西野カナの「さよなら」を聞きながら書くと泣きそうやね。修行時代の事思いだすわ。)そうなると、キレることも無くなってきます。憤りや怒りをせずに他人を認めようとします。ねえ、どうですか。無駄や浪費、後悔に花束を贈りたくなりませんか。
 人生はあなた一人のものではありません。一人で生きているわけではありません。親、友人、先輩、恋人、色々な人と関わって生きています。その人たちと良しも悪しも関わっているのですから、いたずらに無駄や後悔、精神的な浪費なんて言葉を使うな。過ちや間違いは償わなくてはなりませんが、人のために無駄な事や精神の浪費するのは中々出来ないことです。
 だから、もっと過去や未来に目を向けてもいいと思います。過去や現在、未来にとらわれないことが一番だと思います。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「不一不異」の時間論

hibikukagayaku様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、少し難しいことなのですが、果たして過去、あるいは未来は「有る」のでしょうか、ということについて考えてみましょう。

既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。また、まだ来たらぬ「未来」は、まだ来ていませんから、「現在」には当然に有り得ません。「未来」を思い浮かべて想像して、「有る」ように錯覚してしまいますが、想像している自分は、「現在」の自分であります。また、「現在」と言っても、言った瞬間に実は「現在」で無くなってしまっています。「現在」自体も、時間が止めれない限り、基本的には「有り得ない」こととなります。

では、何が言えるのかとなると、現在における瞬間、瞬間の連続体があると捉えることができます。もちろん、「過去」、「未来」は無いわけではありません。一応は、「現在」と相対して世間一般において「有る」とは言えますが、厳密に分析すれば、「実体」としては有り得ないものになる次第でございます。

さて、ここで言えるのは、実は私たちは「現在の一瞬(一瞬の連続体)だけ」でしか本来、生きていないということなのであります。

むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も可能性としては有り得ないことになります。過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを難しいことですが、「不一不異」と言います。

ここまでつらつらと述べて参りましたが、結論的には、つまり、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解すると、自ずと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていけるようになるのではないだろうかということでございます。

もちろん、拙生もまだまだでございますが、できるだけ、過ぎ去った過去、いまだ来たらぬ未来のことにあまりとらわれずに、大切に日々を過ごして参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

秀海さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます。
ざわめきから離れる時間を意識的につくりたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

川口英俊さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます。
過去も未来も存在するかのように私は錯覚しておりました。でも、「実体」としては有り得ないものですね。難しいですけども、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解し、一瞬一瞬を大切に生きていけるように精進してまいります。

大鐵 さま、的確なアドバイスをありがとうございます。
「過去や現在、未来にとらわれないことが一番」というアドバイスをいただいて、気が楽になりました。
「現在の一瞬だけを強く生きる」ということにとらわれすぎていたのかもしれません。
「浪費?大いに結構。どんどん後悔し、不安を抱き、浪費をして・・・」というふうな気楽な気持ちでいきていこうとおもいます。

丹下覚元さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます
仏教的リア充・・・おもしろいですね!
現在も言葉にすぎない なるほどな思いました。小学生ぐらいまで現在とか全く考えてなかったです。Liveを一生懸命生きていました。
これからは今と言う、言葉に用がなくなるほど、本当に連続する現在を生き切るようにしたいです。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

一生懸命

私は真面目にコツコツと仕事に取り組んできました。周りの人はバレないように手を抜いたりうまく誤魔化していますが私は性格上できません。このような私の性格から職場で孤立し、最終的には退職ということを繰り返しいます。 真面目にやっていたら誰か見てくれているとよく言われますが本当なのでしょうか。 誰かに見て欲しくて頑張っている訳ではないのですが、どこに行っても私はやって当たり前と思われます。最後に働いた職場もキツイ、仕事の負担が私だけ大きいので改善して欲しいと上司や本社の人に訴え、あなたは必要な人だから2週間待って考えるからと言われましたが、結局放置され、私は人間として扱ってもらえなかったと思い鬱が悪化して診断書を提出して辞めました。鬱が原因で両親とも不仲です。 性格を変えるのは難しいです。私はこのような性格で働けるところはあるのでしょうか? また退職した職場でされた対応がどうしても許せず、謝罪して欲しいと訴えようと労基に相談しています。この行為はお坊さんから見たら愚かな行為でしょうか? 長々と書いて申し訳ございません。 職場で受けた対応が、私は人間として認められてなかったと感じ、今とても生きることが苦しくご相談したかったです。 よろしくお願いいたします。

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人としての正しい生き方

はじめまして いつもお坊さんのような考え方。心掛けるようにしています。 そこで生物は生まれ持って平等ではないこと。広い心を持つ(客観的に見る)ようなことを学びました。 しかし時には自分勝手なことをしている人をみかけます。 人のものを傷つけたり大切なことを貶したり 自分は感謝の心が足りない人たちなのかなとか思います。 よく話すのがあまり良くないかも知れないのですが家畜の事です。 家畜は人に育てられて食べられるために殺されますよね?自分は命をいただくのでいただきますを大事にします。 しかし自分勝手な人はいただきますを心から言っているのか?そんなことを考えます。 そこでお坊さんにききたいのは正しく生きるってのはどのようなことなのか?ってことです。 自分らしく。周りの事を大事に。感謝の心。 実は簡単そうで難しいようなことを大事に大事にすることを自分は心掛けています。 しかしそれが正しいことか。よくわかりません。 悪い。正しい。これは自分がどう捉えるかで変わると思います。 たとえばまた動物の話しになるのですが狩りをして他の動物を食べた。これは食べられた側からしたら悪になります。しかし食べる側。狩りをした動物にお腹がすいた子どもがいたら?食べる側からしたら正しいことになると思います。 なので自分で悪い正しい。決めることはわかっていますがお坊さんの正しい生き方。正しいと言いますが人に敬われるような生き方。そして自分は正しいのか。 そのようなことをお坊さんに聞きたいです。 長くなってしまいましたがどうか意見を聞かせてください。お願いします。

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言い負かしたくて仕方がない

私はとにかく勝ち気な性格で、明らかに相手の言動が間違っていると思ったら相手が降参するまで徹底的に議論してしまいます。 ただし途中で自分が間違えていると気づいた時は素直に負けを認めますし、常に客観的に自分を見つめた上で理性的に議論をしているつもりです。 仕事上間違えた考えのまま進めてもらうと困る時など、確実に議論が必要になる時もあります。 しかし家族や恋人との喧嘩など、最終目標を「どちらが正しいか決めること」ではなく「これから仲良くやっていくこと」とする時でも、どうしても議論を仕掛けることをやめられません。 とにかく「言い負かしてやりたい」という気持ちが捨てられないのです。 相手に「私が正しい」ということを認めさせたくてたまらないのです。 おそらく学生時代ディベートをする機会が多かったことも一因だと思います。勝つことを目標にするクセが抜けないのです。 また、色々な事に敏感すぎるのだとも思います。些細なことでも目ざとく見つけてひっぱり出してすぐに争点にしてしまうのです。 「争い事は嫌な感情しか産まないし、とりあえずこの場は丸く収めましょう」という考え方は十分理解できますし、大人な対応ができてうらやましいなと思います。そうできたらいいなと心の底から思っているのですが、どうしてもモヤモヤが解消されないのが嫌なのです。 どうすればこの勝ち気な性格を和らげ、穏やかな人間関係を築くことができるのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

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善き心を保つには?

こんばんは。私の悩みを聞いて頂ければと思います。 日々の生活の中で、自分の欲望や煩悩に知らず知らずのうちに支配されていて、善き行いをすることができません。 例を出すと、路上を歩いている時に、目の前でコーヒーをこぼし手などが汚れている方がいるのに人目が気になって、そのまま通り過ぎてしまう。 人に感謝や想いを伝えたい時に、自分をさらけ出すのが恥ずかしくなって、正直な気持ちを伝えることができない。 また、過ぎ去った出来事に対しても「ああ、あの時こうすればあの人はもっと幸せだったのでは」などとその時点では気付かずに去ったことをクヨクヨ考えてしまいます。 私は「自分の想い」から生まれる行動が「目の前の人」を幸せにして、「世界を前に進める」。そして、それが違った形でも自分に返ってくることがあれば幸せだと考えてます。 小さな行動からなのでしょうが、普段の自分にその意識が浸透してきません。これは、腹の底ではそのように考えてないのではないかとも思ってしまいます。 「羞恥心を抑える術」、「気持ちを察するアンテナの感度を高める術」の心構えや考え方等、そしてそれを保つ方法が有れば御教示お願いします。

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今を生きることができない

久しぶりにhasunohaに来ました。自分の質問を遡ってみると2年前から同じようなことで悩んでいるのだなあーと思いました。いつも丁寧なお返事をありがとうございます。 改めて自分の悩みを読み返してみて、今ではこういう風に考えられてるなあと、自分のことながら成長しているなあと思います。 今までは"家族がバラバラになるかもしれない。私がなんとかしなきゃ。みんなを助けなきゃ。"と思いすぎていて、自分自身が辛くなりすぎていましたが、今は"家族といえど別の人間なのだから色んな考えがある。別に連絡を取り合わないわけではないけどいい距離感でいよう"と思えるようになりました。 弟というと相変わらず良い時はよくて悪い時は悪くて、なんだかなあという感じみたいですが、弟とも距離を保っている感じです。 でもそうやっていいときはいい悪い時は悪いのずっと繰り返しなので、状態が良い時でも"あーまた悪くなるんだろうなあ"と思って必要以上に先のことを考えてビクビクしてしまいます。 また日常のありとあらゆる場面で昔の辛かったことを思い出し、一種のフラッシュバックのような状態に陥りすごく辛くなります。 そういうことが続いてつくづく今を生きることが出来てないなあと思うのです。 将来への不安と過去の呪縛にとらわれて、ビクビクビクビクしながら毎日を過ごしています。 今考えてもどうにもならないことを考えてもどうしようもないことはわかっていますが、どうしても考えてしまいます。 考え方の癖なのでしょうが、なかなか直らなくて、これから先も常にありとあらゆることに囚われながら何時でも不安に駆られる時間を過ごすのかと思うと、さらに将来が辛くなります。 どうしていけば良いのでしょう。 拙い文章ですみませんが、お返事いただけたら幸いです。

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どうしたらいいですか。

私は、なるべくというより極力虫を逃がしたり助けたりします。 ですが・・、逆に死なせてしまう事も多々あり、自分が助けようとして逆に裏目に出てしまう事もあります。 それは、人でも一緒です。自分の自己満足なのかそれとも自分の性格なのか昔から人には優しくしています。ですが逆にそれが裏目に出て辛い事になったり、相手を傷つけてしまう事もあります。 話は戻りますが、虫さんは苦手です。苦手だけどでも自分のお節介が虫さんたちの為になっているかどうかは分かりません。 不意の事故で死なせてしまう事もあります。殺意は全くありません。 ただ、自分のお節介な優しさで勝手にやっているだけですが、 別の質問サイト等で助けてやりたいですと質問をいうと、答えとして、自然の摂理だから手を出すのはよくないと言われます。 ですが、困っている人がいたら手を貸すのは、当たり前とまでは言いませんが、放置するのはよくないとは思っています。 ただ、自分のこの行いが行き過ぎて、ストレスになっています。 なので、自分はどうしたらいいですか・・、異常に敏感になっているのも 分かっています。 お坊さん的には私のやってる事は偽善ですか、それともいい事をしていると思いますか? 追記:虫さんが死んでいた時に土に埋めたりする行為は罰当たりですか?(これも質問サイトで言われたことです) 虫さんの事で近所の方にご迷惑をかけたこともあります。やりすぎにもほどほどにしたいとは思いますが、辞められません・・。

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