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現在の一瞬だけを強く生きるコツ

回答数回答 4
有り難し有り難し 68

先日はお世話になりました。すごく参考になりました。
新たな質問をさせていただきます。

仏教には、現在の一瞬を大切に生きることが大切であるというような
釈尊の教えがあります。私はとても大切なことであると思います。

でも私はどうしても、過去の失敗や過ちと未来への
不安にとらわれてしまいます。心身ともに疲れてしまいます。

今、現在をしっかりと生きようと決心しても、過去や未来へのとらわれから
自由になれず、今をおろそかにしてしまいます。

そこで、過去にも未来にも余分に精神を浪費することなく、現在の一瞬だけを強く生きるコツがございましたら、ぜひアドバイスをお願いいたします。

2013年12月8日 9:11

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心は思考では変えられない

hibikukagayaku様

 先の回答には、ご丁寧なお返事ありがとうございました。
 今回のご質問も、たいへんよくわかります。

 私の回答は、前回の内容とまったく同じであると、先にお伝えしておきましょう。
 と申しますのも、現在の自分から自由になるには、まずその構造を知らねばなりません。
 「私」の心の中には、いつも様々な思いや感情、常識や観念が湧いては「私」を支配します。そしてそのたびに、その感情などを「自分」だと思ってしまいます。
 サンスクリット原典をつぶさに読みますと、釈尊の内的描写についてこのような表現があります。

  「私の心にこのような思いが湧いた」

 ここで気づくことは、「私≠心≠思い」であるという点です。
 すなわち、「私」の「心」を見つめ、その中に湧いてくる「思い」を、距離をとって眺める「私」がいるというのが大きなポイントです。

 その状態を識るには、「静寂」を体験しなければなりません。
 それは思考や論理で解決できるものではないからです。
 お線香の煙が、縦に真っ直ぐ立ち昇っていくように心を鎮め、ざわめきから離れる時間をお過ごしください。

 前にお伝えした、自分のセンターへと戻る「数息観」で、呼吸の中心へと帰ることを何度も繰り返すことをお勧めいたします。

 そしてできれば、その時の発見を文字にして、客観的に固定するようになさってください。自分の内に湧く思いも常に流れていくものです。そのことを言語化するには、客観的な自分をもたないとできません。言語化してそれを読み直してみるうちに、より客観的な自分が徐々に形成されて参ります。

秀海拝

2013年12月8日 11:26
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おきもち

・浄土宗僧侶(元浄土宗寺院副住職:実家大阪市浄土宗天龍院千代田別院普請中)...

今と言っても「ま」という時に「い」はない。

本当の現在=「いま」は、「い」と言っている時に「ま」はなく「ま」と言っている時に「い」は過ぎ去っています。
◎「過去は記憶にすぎない。
  未来は推測にすぎない。
  現在も言葉にすぎない。」
これは仏教的な意味でリア充するため=本物のリアルを生きる為の禅の教えです。
現在には二種あり。
一つは、現在という言葉の表現で表している頭の上で思い描いた現在。
一つは、言葉を離れた、リアルタイムで進んでいる現実のLIVE、生々しい実物の世界。
太陽という言葉にはまぶしさはなく、風という言葉に涼しさはないように言葉は現実の中身を指し示すものでしかありません。
 本当の現在は、今現在という言葉に用はなく、
 今現在という言葉を思い起こす以前から、すで目の前にある、まのあたりにしているダイレクトの現実ライブをいうのです。
現在という言葉を知らない頃は子供の様に駆けずり回って楽しんでいたはずです。
世界にはもともと現在などという言葉すらなかった。
現実に息をしている、その一点があり続けてingいるだけです。

今という瞬間を、言葉で言わんとしても、それはどこまで行っても言葉。
よって「今」なんていう言葉があるだけで、それは考えの上のコトでしかなくダイレクトの生々しいリアル、LIVE=本当の意味での今ではない。

別に過去や未来の事を思い起こしてはいけないわけではありません。
①過去や未来を思い起こすのも、現在やっていることです。
過去に関することで気になっていることがあるのだと思います。
今後は、過去の嫌な事が思い返されたのなら、明るい未来に向けて二度と同じような失敗をしない様に慎重に行うべきであると。

②未来の事があれこれ思い起こされたのであれば、そのビジョンを明確にして夢を実現するべく、具体的に建設的に行えばよいと思います。

③今と言う、言葉に用がなくなるほど、本当に連続する現在を生き切っている姿そ仏教的リア充と呼ぶべきでしょう。(^o^)

2013年12月16日 11:37
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

もっと浪費をしなさい。

 hibikukagayakuさん。良いですね。このような悩みは青春を感じます。今結構人生楽しんでいませんか?悩みは悩んでいる内が一番楽しい。今振り返ってみると私はそう思います。
 敢えて言おう、過去にとらわれないでどうして自分をよくしようと出来ますか。未来に不安を抱かず、なぜ夢が見れるのか。結論から言うと気にするな。あって当然。浪費?大いに結構。どんどん後悔し、不安を抱き、浪費をしなさい。私が本山で修行していた時、「坐禅なんて、無駄なことに時間を使いやがって。」と心無い参拝者に言われたことがありました。自分が共感したこともあります。確かにこのことは正解かもしれません。しかし、視点が広がる切っ掛けを作ったのは坐禅のお蔭だと今でも思っています。視点が広がれば、心が広くなる。(西野カナの「さよなら」を聞きながら書くと泣きそうやね。修行時代の事思いだすわ。)そうなると、キレることも無くなってきます。憤りや怒りをせずに他人を認めようとします。ねえ、どうですか。無駄や浪費、後悔に花束を贈りたくなりませんか。
 人生はあなた一人のものではありません。一人で生きているわけではありません。親、友人、先輩、恋人、色々な人と関わって生きています。その人たちと良しも悪しも関わっているのですから、いたずらに無駄や後悔、精神的な浪費なんて言葉を使うな。過ちや間違いは償わなくてはなりませんが、人のために無駄な事や精神の浪費するのは中々出来ないことです。
 だから、もっと過去や未来に目を向けてもいいと思います。過去や現在、未来にとらわれないことが一番だと思います。

2013年12月11日 21:07
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おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「不一不異」の時間論

hibikukagayaku様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、少し難しいことなのですが、果たして過去、あるいは未来は「有る」のでしょうか、ということについて考えてみましょう。

既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。また、まだ来たらぬ「未来」は、まだ来ていませんから、「現在」には当然に有り得ません。「未来」を思い浮かべて想像して、「有る」ように錯覚してしまいますが、想像している自分は、「現在」の自分であります。また、「現在」と言っても、言った瞬間に実は「現在」で無くなってしまっています。「現在」自体も、時間が止めれない限り、基本的には「有り得ない」こととなります。

では、何が言えるのかとなると、現在における瞬間、瞬間の連続体があると捉えることができます。もちろん、「過去」、「未来」は無いわけではありません。一応は、「現在」と相対して世間一般において「有る」とは言えますが、厳密に分析すれば、「実体」としては有り得ないものになる次第でございます。

さて、ここで言えるのは、実は私たちは「現在の一瞬(一瞬の連続体)だけ」でしか本来、生きていないということなのであります。

むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も可能性としては有り得ないことになります。過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを難しいことですが、「不一不異」と言います。

ここまでつらつらと述べて参りましたが、結論的には、つまり、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解すると、自ずと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていけるようになるのではないだろうかということでございます。

もちろん、拙生もまだまだでございますが、できるだけ、過ぎ去った過去、いまだ来たらぬ未来のことにあまりとらわれずに、大切に日々を過ごして参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

2013年12月10日 8:34
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

秀海さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます。
ざわめきから離れる時間を意識的につくりたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

川口英俊さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます。
過去も未来も存在するかのように私は錯覚しておりました。でも、「実体」としては有り得ないものですね。難しいですけども、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解し、一瞬一瞬を大切に生きていけるように精進してまいります。

大鐵 さま、的確なアドバイスをありがとうございます。
「過去や現在、未来にとらわれないことが一番」というアドバイスをいただいて、気が楽になりました。
「現在の一瞬だけを強く生きる」ということにとらわれすぎていたのかもしれません。
「浪費?大いに結構。どんどん後悔し、不安を抱き、浪費をして・・・」というふうな気楽な気持ちでいきていこうとおもいます。

丹下覚元さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます
仏教的リア充・・・おもしろいですね!
現在も言葉にすぎない なるほどな思いました。小学生ぐらいまで現在とか全く考えてなかったです。Liveを一生懸命生きていました。
これからは今と言う、言葉に用がなくなるほど、本当に連続する現在を生き切るようにしたいです。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

生き方への迷い

こんにちは。 私は幼い頃から「専門の技術をもって世の中に貢献したい」「貧困や差別、虐待に苦しむ人の力になりたい」と意志を持ち、それを果たすことが自分の生きる意味なのだと考え、生きてきました。 物心ついた時には既にその考えがあったため、高校生までは迷いなく努力することができていました。 しかし高校3年生でうつ病と拒食症を患い、「自分の生まれてきた意味は何だろう?私に価値はあるのか?」と考えるようになり、周りは恋愛に夢中なのに、恋愛に興味を持てず異性に対してとても冷めている自分に気づきました。年相応の楽しい経験もせず、自分の使命のために生真面目に頑張っている私はとても浮いていました。 そこから紆余曲折あり、大学進学し資格を取り現在はやりたい仕事をすることができています。人の役に立つ仕事をできているため、自分の使命は少しずつ果たせていると思います。 現在も仕事やボランティアで「自己実現したい」という欲求は明確にあるのですが、恋愛や結婚に対してはなぜか興味が持てず、「どうしてしなければならないんだろう?」という疑問が拭えません。 職場の先輩が善意から「20代のうちに結婚しないと女は価値がなくなるよ!」と婚活を勧めてくれます。 半年ほど婚活してみたものの、短い時間で人を収入や外見で判断し、決めていかなければならないシステムに違和感がすごく、もはや苦痛です。数人の男性と食事をしましたが、どの人も結婚を考えると重く感じお断りしてしまいました。 結婚しても幸せになれなかったら?子どもが生まれてもちゃんと育てられなかったら?などと考え不安ですがたまらなくなります。 パートナーがいない、結婚していないと人として欠落しているという言説も多く、独身だと生きていけない社会の仕組みだという脅し文句もよく聞きます。 ですが本当に結婚は必須なのでしょうか。パートナーがいても居なくても、その人なりに世の中に貢献し、美しく生きていればいいのでは...というのが私の本音です。一度きりの人生を世の中の価値観に振り回され、否定したくない。 その一方で、まともに恋愛や結婚ができない自分に「価値はないのでは?」と不安になるのも事実です。 迷いなく穏やかに使命を果たして生きたいです。

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これからの生き方について

19の女です。先日、大好きな彼がいるのにも関わらず浮気をしてしまいました。 浮気をした相手は元カレです。私と元カレと付き合っていた際、元カレからはDVを受けていたのですが、洗脳状態にかかっていて、彼は神様のような人だと周りにいっていたため、心配になった家族や友達から引き剥がされて無理やり別れさせられたような状況でした。元カレに未練があった私はずっと「元カレに会いたい、私達は愛し合っているのに!」と暴れたりしてました。そこで、精神的に不安定な私を今の彼氏が助けてくれたんです。私は今の彼氏のおかげで元々あった平穏な暮らしができるようになり、精神も回復していったのですが、精神的にまいっていた際に、元カレに会ってしまい、1日だけですが元カレと肉体関係を持ってしまいました。そのあと、元カレと話をしてるうちに、元々、「この人は私のことを愛してたのに周りが誤解してそれを引き裂いた、この人は良い人なのにみんな誤解してる!」と思っていたのが、「この人は私のことをオモチャとしか思ってなくてみんなが言っていることが正しかった」ことに気付き、もう二度と会いたくない!と半ギレの状態で元彼の家から出ていきました。 今自分のしたことに対し、激しい後悔があり、もう二度としない、今の彼氏を悲しませるようなことはもうしたくないと考えているのですが、一度でも過ちを犯してしまった場合、地獄行きになってしまうのでしょうか。また、彼氏にはまだバレていないのですが、そのことを告白するべきでしょうか?それとも彼を傷つけないためにこのことを墓場まで持って行くべきでしょうか。彼のことが大好きで、本当のことを言って彼がいなくなってしまうのが怖いです。本当に自分のことを愛してくれる存在を失って、また1人になりたくないんです。私は地獄に行くんだ、と考えると死ぬことに対して恐怖心が強く感じられ不安な状態が続いています。自業自得なのはわかっているのですが、是非アドバイスをいただきたいです。

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2度目の家出

私は今回で2度目の家出をして、現在お付き合いしている彼と同居し、勉強中のWEBデザインの学校に通い、そのバイトをして、最終的に正社員として働きたいという考えを持っています。 ですが、母や父、妹にやはり反対されています。 一度目の時に傷つけられて仕事も辞めてカードの支払いも負って帰ってきたために、また家を出ることが本当にありえない、ということで大反対しています。 1度目の時ですが、大学卒業前、当時付き合っていた元彼と住むために家を出ていきましたが、結局別れてしまい、また当時彼との生活費もすべて私がクレジットカードで払っていたため、実家に戻ってから約4ヶ月間、支払いで苦しんでいました。 その後、新しい男性と出会い、支払いも落ち着き、心も安定してきました。 いまお付き合いしている彼は週に一度しかない休みの日にも私と会ってくれ、帰りも彼はわざわざ埼玉県から神奈川まで毎週車で送ってくれたり、離れているときもずっと心配してくれたり、フリーターである私の将来のことを一緒に考えてくれ、2人の将来のことを真剣に考えてくれ、何より私のことを1番に考えてくれています。 確かに親は間違ったことは言っていませんし、本当に今まで私のためにやってくれたことにとても感謝しています。 23歳にもなって、フリーターで、大したお金もないのに、彼に頼って、一緒に暮らして、少しずつ夢を実現していくのは、やはり親不孝になるのでしょうか。 今回の家出では、必ず正社員になって、彼と幸せになって、今までお世話になった大学費用などを含めて、親にお金を送ることを目標としています。 その努力をする覚悟もしています。 親の言う通り、先に正社員になってから、彼氏と住む、という順番を追うのが普通であり、それをするべきなのでしょうか。 どうしても自分の意志が強く、親の意見や順番、といったものを理解はできるのですが、取り入れることができず、かといってこのまま家を出ればきっと家族はまた傷ついてしまうのだろうと思うと悲しい気持ちにもなります。 葛藤がありますが、何かこの私の悩みに有難いお言葉を頂けると幸いです。

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自分の進むべき道

長文失礼致します。 ここ1~2ヶ月の間、あることを切っ掛けに特定の宗派のお寺に伺うことが増えました。 その中で、あるお寺のお弟子さんとお話しさせていただいた時に「お坊さんにならないのか」と問われ、その事についてモヤモヤとしています。 何故言われたのかはなんとなく理解できています。 それというのも、縁があり菩提寺とは別の宗派のお坊さんと知り合いになり、そのお坊さんに娘のように可愛がっていただいていました。 そのお坊さんに本当に色々なことを経験させていただき、そのお坊さんがいなければ今の自分は居ないと思うほどです。 亡くなってしまったため今は直接会う事は叶いませんが不思議と淋しいという感情はありません。 このようなことをお弟子さんにお話ししたところ上記のような発言となったのです。 恐らく「経験」の内容が水行等、修行に関することが多かったからなのでしょう。 さらには「そのお坊さんは貴女をお坊さんにしようとしていたのでは」ともお弟子さんに言われました。 しかし上述のとおり、懇意にしていたお坊さんは亡くなってしまったため真相はわかりません。 でもなんとなく私に色々な経験をさせてくれたのは自分で自分を守るためなのではないかと思っています。 いずれにしろ真相は分からないのですが… ここまでであれば私の性格上「こんなこと言われたな」程度で終わるのですが 先に書いたとおり特定の宗派(懇意にしていたお坊さんと同じ宗派)のお寺に伺う機会が増えたと同時に そのそれぞれのお寺でお経が始まる確率がすごく多く 必ずと言って良いほど伺ったお寺でお経を耳にするようになりました。 ちょうど御開帳が始まったり、こんなタイミングあるのか?と不思議に思うほどです。 そして何故かずっと開経偈が頭から離れないのです。 特に今の生活を変えたいとか思ったことはありません。 ただお坊さんになりたくないとも思いません。 行く先にその選択肢があるのなら選ぶ確率はゼロではないと思います。 最後になりましたが ・お坊さんにならないのか聞かれたこと ・お経を耳にすることが急激に増えたこと ・開経偈が頭から離れないこと これらの事は何かを意味しているのでしょうか。 またこれらのことから今私自身がすべき事はなにかありますか。 ご教授いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

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