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現在の一瞬だけを強く生きるコツ

回答数回答 4
有り難し有り難し 83

先日はお世話になりました。すごく参考になりました。
新たな質問をさせていただきます。

仏教には、現在の一瞬を大切に生きることが大切であるというような
釈尊の教えがあります。私はとても大切なことであると思います。

でも私はどうしても、過去の失敗や過ちと未来への
不安にとらわれてしまいます。心身ともに疲れてしまいます。

今、現在をしっかりと生きようと決心しても、過去や未来へのとらわれから
自由になれず、今をおろそかにしてしまいます。

そこで、過去にも未来にも余分に精神を浪費することなく、現在の一瞬だけを強く生きるコツがございましたら、ぜひアドバイスをお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心は思考では変えられない

hibikukagayaku様

 先の回答には、ご丁寧なお返事ありがとうございました。
 今回のご質問も、たいへんよくわかります。

 私の回答は、前回の内容とまったく同じであると、先にお伝えしておきましょう。
 と申しますのも、現在の自分から自由になるには、まずその構造を知らねばなりません。
 「私」の心の中には、いつも様々な思いや感情、常識や観念が湧いては「私」を支配します。そしてそのたびに、その感情などを「自分」だと思ってしまいます。
 サンスクリット原典をつぶさに読みますと、釈尊の内的描写についてこのような表現があります。

  「私の心にこのような思いが湧いた」

 ここで気づくことは、「私≠心≠思い」であるという点です。
 すなわち、「私」の「心」を見つめ、その中に湧いてくる「思い」を、距離をとって眺める「私」がいるというのが大きなポイントです。

 その状態を識るには、「静寂」を体験しなければなりません。
 それは思考や論理で解決できるものではないからです。
 お線香の煙が、縦に真っ直ぐ立ち昇っていくように心を鎮め、ざわめきから離れる時間をお過ごしください。

 前にお伝えした、自分のセンターへと戻る「数息観」で、呼吸の中心へと帰ることを何度も繰り返すことをお勧めいたします。

 そしてできれば、その時の発見を文字にして、客観的に固定するようになさってください。自分の内に湧く思いも常に流れていくものです。そのことを言語化するには、客観的な自分をもたないとできません。言語化してそれを読み直してみるうちに、より客観的な自分が徐々に形成されて参ります。

秀海拝

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おきもち

・浄土宗僧侶(元浄土宗寺院副住職:実家大阪市浄土宗天龍院千代田別院普請中)...
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今と言っても「ま」という時に「い」はない。

本当の現在=「いま」は、「い」と言っている時に「ま」はなく「ま」と言っている時に「い」は過ぎ去っています。
◎「過去は記憶にすぎない。
  未来は推測にすぎない。
  現在も言葉にすぎない。」
これは仏教的な意味でリア充するため=本物のリアルを生きる為の禅の教えです。
現在には二種あり。
一つは、現在という言葉の表現で表している頭の上で思い描いた現在。
一つは、言葉を離れた、リアルタイムで進んでいる現実のLIVE、生々しい実物の世界。
太陽という言葉にはまぶしさはなく、風という言葉に涼しさはないように言葉は現実の中身を指し示すものでしかありません。
 本当の現在は、今現在という言葉に用はなく、
 今現在という言葉を思い起こす以前から、すで目の前にある、まのあたりにしているダイレクトの現実ライブをいうのです。
現在という言葉を知らない頃は子供の様に駆けずり回って楽しんでいたはずです。
世界にはもともと現在などという言葉すらなかった。
現実に息をしている、その一点があり続けてingいるだけです。

今という瞬間を、言葉で言わんとしても、それはどこまで行っても言葉。
よって「今」なんていう言葉があるだけで、それは考えの上のコトでしかなくダイレクトの生々しいリアル、LIVE=本当の意味での今ではない。

別に過去や未来の事を思い起こしてはいけないわけではありません。
①過去や未来を思い起こすのも、現在やっていることです。
過去に関することで気になっていることがあるのだと思います。
今後は、過去の嫌な事が思い返されたのなら、明るい未来に向けて二度と同じような失敗をしない様に慎重に行うべきであると。

②未来の事があれこれ思い起こされたのであれば、そのビジョンを明確にして夢を実現するべく、具体的に建設的に行えばよいと思います。

③今と言う、言葉に用がなくなるほど、本当に連続する現在を生き切っている姿そ仏教的リア充と呼ぶべきでしょう。(^o^)

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もっと浪費をしなさい。

 hibikukagayakuさん。良いですね。このような悩みは青春を感じます。今結構人生楽しんでいませんか?悩みは悩んでいる内が一番楽しい。今振り返ってみると私はそう思います。
 敢えて言おう、過去にとらわれないでどうして自分をよくしようと出来ますか。未来に不安を抱かず、なぜ夢が見れるのか。結論から言うと気にするな。あって当然。浪費?大いに結構。どんどん後悔し、不安を抱き、浪費をしなさい。私が本山で修行していた時、「坐禅なんて、無駄なことに時間を使いやがって。」と心無い参拝者に言われたことがありました。自分が共感したこともあります。確かにこのことは正解かもしれません。しかし、視点が広がる切っ掛けを作ったのは坐禅のお蔭だと今でも思っています。視点が広がれば、心が広くなる。(西野カナの「さよなら」を聞きながら書くと泣きそうやね。修行時代の事思いだすわ。)そうなると、キレることも無くなってきます。憤りや怒りをせずに他人を認めようとします。ねえ、どうですか。無駄や浪費、後悔に花束を贈りたくなりませんか。
 人生はあなた一人のものではありません。一人で生きているわけではありません。親、友人、先輩、恋人、色々な人と関わって生きています。その人たちと良しも悪しも関わっているのですから、いたずらに無駄や後悔、精神的な浪費なんて言葉を使うな。過ちや間違いは償わなくてはなりませんが、人のために無駄な事や精神の浪費するのは中々出来ないことです。
 だから、もっと過去や未来に目を向けてもいいと思います。過去や現在、未来にとらわれないことが一番だと思います。

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おきもち

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「不一不異」の時間論

hibikukagayaku様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、少し難しいことなのですが、果たして過去、あるいは未来は「有る」のでしょうか、ということについて考えてみましょう。

既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。また、まだ来たらぬ「未来」は、まだ来ていませんから、「現在」には当然に有り得ません。「未来」を思い浮かべて想像して、「有る」ように錯覚してしまいますが、想像している自分は、「現在」の自分であります。また、「現在」と言っても、言った瞬間に実は「現在」で無くなってしまっています。「現在」自体も、時間が止めれない限り、基本的には「有り得ない」こととなります。

では、何が言えるのかとなると、現在における瞬間、瞬間の連続体があると捉えることができます。もちろん、「過去」、「未来」は無いわけではありません。一応は、「現在」と相対して世間一般において「有る」とは言えますが、厳密に分析すれば、「実体」としては有り得ないものになる次第でございます。

さて、ここで言えるのは、実は私たちは「現在の一瞬(一瞬の連続体)だけ」でしか本来、生きていないということなのであります。

むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も可能性としては有り得ないことになります。過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを難しいことですが、「不一不異」と言います。

ここまでつらつらと述べて参りましたが、結論的には、つまり、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解すると、自ずと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていけるようになるのではないだろうかということでございます。

もちろん、拙生もまだまだでございますが、できるだけ、過ぎ去った過去、いまだ来たらぬ未来のことにあまりとらわれずに、大切に日々を過ごして参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

秀海さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます。
ざわめきから離れる時間を意識的につくりたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

川口英俊さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます。
過去も未来も存在するかのように私は錯覚しておりました。でも、「実体」としては有り得ないものですね。難しいですけども、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解し、一瞬一瞬を大切に生きていけるように精進してまいります。

大鐵 さま、的確なアドバイスをありがとうございます。
「過去や現在、未来にとらわれないことが一番」というアドバイスをいただいて、気が楽になりました。
「現在の一瞬だけを強く生きる」ということにとらわれすぎていたのかもしれません。
「浪費?大いに結構。どんどん後悔し、不安を抱き、浪費をして・・・」というふうな気楽な気持ちでいきていこうとおもいます。

丹下覚元さま、今回も的確なアドバイスをありがとうございます
仏教的リア充・・・おもしろいですね!
現在も言葉にすぎない なるほどな思いました。小学生ぐらいまで現在とか全く考えてなかったです。Liveを一生懸命生きていました。
これからは今と言う、言葉に用がなくなるほど、本当に連続する現在を生き切るようにしたいです。

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