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「回向」と言う言葉

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「回向」と言うのは、どういう意味なのでしょうか?

2018年11月20日 0:09

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子供さんにお答えしました。

子供さんからの同じような質問がありました。こんな風に答えました。

回向(えこう)とは、自分がお唱え(心で念じた)したお題目やお経などが、ご本尊様に届きます。そのすべては、自分の元へと戻ってきます。そのすべてが亡き方に届けられます。届けられたことの功徳で、亡き方も自分自身も救われていきます。功徳が巡ります(廻ります)
ゆえに、自分自身が祈ることは大切なことです。

2018年11月20日 10:03
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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...

サンスクリット語ではpariṇāma

回向(廻向)は、サンスクリット語pariṇāma(パリナーマ)を漢訳(昔の中国語に翻訳、漢字で意味を表した)した言葉です。
なお、パリナーマの漢訳語には、「回向エコウ」のほかにもう一つ、「転変」という言葉もあります。
「回向」と「転変」はどちらも仏教用語ですが、日本仏教では、「回向」と「転変」は少し違う意味で使われています。
しかし、私個人的には、「回向」と「転変」の言葉のルーツが同じであるとしたら、それは府に落ちる部分もあります。
「回向」は、功徳(善い行いをしたことや、善い行いの効果、善のカルマ)を、何かの目的や他者のために回し向けることです。
たとえば、お経を読んだ功徳をご先祖様の来世での幸せのために回向する、とか。
また、念仏をした功徳を、自分や他人の往生極楽のために回向する、とか言います。
一方「転変」は、唯識思想という仏教哲学の中で使われる言葉です。
すべては識、つまり心からできている。
その識が過去の識の影響で次の(未来の)識に変化していく、識が変化していくのを「転変」と言うようです。
私もあなたもご先祖様も仏様も、みんな「識」(心)、深層心理でつながっているとしたら、私が善いことをした功徳や、仏様の功徳を誰かに回し向けることも可能なのかもしれません。
生きとし生けるものの「識」の転変は、目に見えないけれど、自分だけじゃなく他者の「識」の影響も受けることができるのかもしれません。
なお 、回答僧でもある藤本晃師が「功徳はなぜ廻向できるの」という著書を書いておられます。

2018年11月20日 4:03
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

「普回向」

めぐまりも様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「回向」には、「普回向」というものが代表的にございますが、

普回向

「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」

十の善い行い(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)に励む功徳、喜捨・布施する功徳、お経を読む功徳、真言・念仏・題目をお唱えする功徳、写経・写仏する功徳、仏様にお供え物をする功徳、塔婆を立てる功徳など、仏事の功徳から、日常の少しの親切や気遣いでできる功徳、苦しんでいる者、困っている者、悩んでいる者を救うための功徳など、それらの功徳を、普く一切衆生へと回り向かわせて、皆が共に悟り・涅槃へと至れるための、ほんの少しでも力となりますように、として行なうことが大切なものとなります。

積みました功徳は、できましたら、一切衆生たちのために、として上記の「普回向」を唱えて、及ぼせられるように調えて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

2018年11月21日 9:02
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

願誉様、鈴木様、ご回答ありがとうございます。

「廻る思い」と捉えれました。全てのものがひとつの輪なんだなぁと。

今は亡き人への思いや、神仏への思い…自分の為に祈ったり手を合わせるだけでなく、全ての人の為に祈れるようになりたいです。

ありがとうございました

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 42
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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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