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「回向」と言う言葉

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「回向」と言うのは、どういう意味なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子供さんにお答えしました。

子供さんからの同じような質問がありました。こんな風に答えました。

回向(えこう)とは、自分がお唱え(心で念じた)したお題目やお経などが、ご本尊様に届きます。そのすべては、自分の元へと戻ってきます。そのすべてが亡き方に届けられます。届けられたことの功徳で、亡き方も自分自身も救われていきます。功徳が巡ります(廻ります)
ゆえに、自分自身が祈ることは大切なことです。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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サンスクリット語ではpariṇāma

回向(廻向)は、サンスクリット語pariṇāma(パリナーマ)を漢訳(昔の中国語に翻訳、漢字で意味を表した)した言葉です。
なお、パリナーマの漢訳語には、「回向エコウ」のほかにもう一つ、「転変」という言葉もあります。
「回向」と「転変」はどちらも仏教用語ですが、日本仏教では、「回向」と「転変」は少し違う意味で使われています。
しかし、私個人的には、「回向」と「転変」の言葉のルーツが同じであるとしたら、それは府に落ちる部分もあります。
「回向」は、功徳(善い行いをしたことや、善い行いの効果、善のカルマ)を、何かの目的や他者のために回し向けることです。
たとえば、お経を読んだ功徳をご先祖様の来世での幸せのために回向する、とか。
また、念仏をした功徳を、自分や他人の往生極楽のために回向する、とか言います。
一方「転変」は、唯識思想という仏教哲学の中で使われる言葉です。
すべては識、つまり心からできている。
その識が過去の識の影響で次の(未来の)識に変化していく、識が変化していくのを「転変」と言うようです。
私もあなたもご先祖様も仏様も、みんな「識」(心)、深層心理でつながっているとしたら、私が善いことをした功徳や、仏様の功徳を誰かに回し向けることも可能なのかもしれません。
生きとし生けるものの「識」の転変は、目に見えないけれど、自分だけじゃなく他者の「識」の影響も受けることができるのかもしれません。
なお 、回答僧でもある藤本晃師が「功徳はなぜ廻向できるの」という著書を書いておられます。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「普回向」

めぐまりも様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「回向」には、「普回向」というものが代表的にございますが、

普回向

「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」

十の善い行い(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)に励む功徳、喜捨・布施する功徳、お経を読む功徳、真言・念仏・題目をお唱えする功徳、写経・写仏する功徳、仏様にお供え物をする功徳、塔婆を立てる功徳など、仏事の功徳から、日常の少しの親切や気遣いでできる功徳、苦しんでいる者、困っている者、悩んでいる者を救うための功徳など、それらの功徳を、普く一切衆生へと回り向かわせて、皆が共に悟り・涅槃へと至れるための、ほんの少しでも力となりますように、として行なうことが大切なものとなります。

積みました功徳は、できましたら、一切衆生たちのために、として上記の「普回向」を唱えて、及ぼせられるように調えて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

願誉様、鈴木様、ご回答ありがとうございます。

「廻る思い」と捉えれました。全てのものがひとつの輪なんだなぁと。

今は亡き人への思いや、神仏への思い…自分の為に祈ったり手を合わせるだけでなく、全ての人の為に祈れるようになりたいです。

ありがとうございました

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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