hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
家から匿名・オンラインでお坊さんと話せる!hasunohaオンライン個別相談
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

虚しくなります

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

現在大学二年生です。

入学当初は「頑張って勉強していい会社に入りたい!」と意気込んでいましたが、
元々胃腸が弱く体調を度々崩し、そして人間関係でも悩むようになり、つらくて授業にもあまり出なくなってしまいました。

幸い、最近は体調の面も解放に向かっており、授業にもほぼすべて出ています。

しかし、もう2年生も終わり。来年には就活が始まります。
他の人と比べると学んだことの差は大きく、焦燥感と劣等感でいっぱいです。

目標があって大学に来たのに、最早その目標も諦めで自分の中で薄れてしまいました。

親にはたくさんお金を払って貰っているのに、今まで私何してきたんだろうと、情けなさで消えたくなります。

少し話が変わりますが、私には最終目標のようなものがあります。
ターシャ・テューダーさんという外国の絵本作家さんがいらっしゃったのですが、その方のように自給自足で自然の中で暮らしたいというものです。

実家は農家を営んでおり、幼少期から大自然の中で育ちました。
なので、大人になってお金がたまったらこんな生活がしたいと思っていたのです。

しかし、現実ではそんな夢物語を実現するのは難しいと悟りました。

ターシャ・テューダーさんも、きちんとした収入があり幅広い人間関係を持っていたからこそ、あのようなライフスタイルを築き上げられたのだと思います。

しかし、私は人間関係も何もかも上手くいかなくて、将来に希望を見いだせず、灰色の街でギリギリの生活をしながら独り身で死んでしまうんだろうな、と泣きたくなります。

理想と現実のギャップで虚しくなります。
それでもなお夢物語を思い描いてしまう自分が悲しいです。

なんの為に生きているのか分からなくなってしまいました。もうどうすれば良いのか分かりません。

どうすればこの気持ちから抜け出せるのでしょうか。
もう夢は諦めるべきなのでしょうか。

長々と乱雑な文章を読んで下さりありがとうございました。

2018年12月10日 17:21

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夢の本気度は?

質問読ませていただきました。

自給自足で自然の中で過ごす、とても素敵な夢ではないでしょうか。実現できれば、とても穏やかに、美しい心持ちで生きていけるような気がします。

さて、お経の中で一番ありがたいとされる法華経によると、お釈迦様は多くの人々を救いたいと思い、気の遠くなるような長い時間の中、何度も生まれ変わりながら厳しい修行を重ね、その結果悟りを開いてたくさんの方を救われた、とのことが書かれています。それは、なんとしても自分の夢を叶えたいという思いの強さが結果に結びついたのでしょう。
もちろん、我々がお釈迦様と同じように「何度も生まれ変わりながら」なんて、長い時間をかけて夢を叶えようとするのはとてつもなく難しいことです。
しかし、夢は努力しなければ叶わない、というその事実は変わらないでしょう。

ターシャ・テューダーさんという方を少し調べてみたのですが、産まれた家柄もよく、他の人より恵まれていたかもしれません。しかし、望み通りのスローライフな生活を手に入れたのは50を過ぎてからです。それまでの間に数え切れない苦難があったことでしょう。それをなんとか乗り越えて、ようやく50を過ぎてそれを手にしたのです。
成功した話は美談として多くの人の知るところとなりますが、それまでにあった困難についてはあまり後生に残らないものです。

さて、ののさんはまだ大学2年生とのことですが、夢のためにどのような努力をどれだけされたでしょうか。
どんな困難があろうと夢を実現させるんだ!と突き進むもよし。
もしくは夢の実現には色んな困難があるのだ・・・と現実にぶつかって諦めるもよし。
正解なんてありません。どんな人生だろうと、それは意味のある人生です。

ののさんは、まだお若い!本気になって努力を重ねれば、色んな夢を叶えられる可能性を秘めています。
一度ゆっくり時間をかけて、ご自身の「夢の本気度」を確認してみて下さい!
それが必ず今後の生き方の指針となるはずです。

何か少しでも参考にしていただけましたら、ありがたく思います。

2018年12月10日 21:05
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の自然に囲まれたお寺で...

まだ始まってないですよー

答え出すの早すぎではないですか?まだ何にも始まってないですよ^_^
自給自足、最初は難しくても、農業の道を学んでいる中で徐々にできるのではないでしょうか。

大学で学ぶことは知識の話でしょ。正直学問はいつでも学べます。人と比べてどうとかいうことではないのです。あなたが学びたいと思えばいつからでも学べるし、社会に出たら正直知識より対応能力や誠実さが重要になるでしょう^^

やりたい事がある。それが何より一番大切な事。それでいいじゃないですか。実家で農業を学びながら、少しのお金を稼ぎやりたい事やってみたら。

2018年12月10日 21:41
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


質問者からのお礼

遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。

大学二年生でも、まだ希望はあるのですね。
まだ不安でいっぱいですが、少し気が楽になりました。

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

毎日悲しく虚しいです

孤独な人生でした。今年で25歳です。 抜け出したいと思って、今日まで必死で生きていたのですが、最後に信じた恋人と別れた事で、この運命は変えられないとわかり、絶望してしまいました。 5歳の頃に両親が離婚し、父親に引き取られましたが、父親には離婚の原因となった再婚予定の女性がいたこともあり、育児放棄され、一人暮らしをしていました。当時は家に一人でいることが自分の当たり前だったので、寂しいと思う気持ちすらありませんでした。私は父親にずっと、世界で一番愛していると言われていましたので、それを信じていました。 私は、早々に家を出て、働きました。 仕事は充実していて、仲間にも恵まれました。 大人になり、父親に再会したときに、「寂しい思いさせてすまなかった」と謝られたとき、私は、ただ寂しい思いをさせられていたのだと、ようやく知りました。 家族と、家族として暮らしたことがありません。 私は小さい頃からずっと、1人で戸締りをし、1人で寝起きし、1人でご飯を食べて過ごしています。 いつかは、素敵な人と結ばれて、子供を産んで育てて、温かい家庭を築けるのだと、そう願っても良いんだと信じて来ました。 けど、失恋くらいで、大袈裟かもしれませんが、私はやっぱり1人で生きていくしかないのかなと思うと、この寂しさや虚しさが一生続くかもしれないのだと思うと、涙が止まりません。 恋人には、一人で生きていきたいと言われて振られてしまいました。 これまでお付き合いした方に、別れ際にまで一緒にいて欲しいなどと、食い下がるようなことはありませんでした。 ですが、別れを決めた彼の気持ちが分かった上で、あなたにだけは一緒にいて欲しい、私を選んで欲しい、どうか1人にしないでほしいと言ってしまいました。 結局、お別れを覆すことは出来ず、泣き腫らし、生きる気力もありません。 私は、孤独が恐ろしいです。 年齢を重ねる毎に強くなっている気がします。 いつかはこの手をとって、ずっとそばにいてくれる人に会える、その時まで生きようと決めていました。 けどもう、なんだか疲れてしまいました。 どの道孤独しか用意されていない人生なら、と、歩くことが出来なくなりました。 塞ぎ込む毎日です。生活費も遅かれ早かれ尽きてしまうのが分かっています。 寂しくてたまりません。 消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

ただ無為に生きている

わたしは26歳女で会社員をしています。 恋人もおり、収入もそれなりにあり、身体に大きな問題もなく、生きています。 ですが、自分自身生きることにあまり意味を見いだせておらず、積極的に「生きたい」と思えません。 かといって積極的に死にたいわけではなく、「痛みを伴わずに死ねるなら死にたい」くらいの気持ちしかありません。 多くの人間が当たり前に願う「長生きしたい」「子孫を残したい」などに共感できず、ただ死ぬのは痛いから惰性で生きています。 かつては家族に対して不誠実な行いをした父親に対する怒りや、恵まれた環境に生きる人への反骨精神のようなもので精力持って生きていたのですが、いまはもう、父親とはほぼ縁を切りそこそこの学歴と職を得て、そういった負の原動力も消えました。 今生きているのは惰性です。 恋人のことも、抱きしめたときの温かさに心地よさや愛しさこそ感じますが、それが「だから長生きして一緒にいたい」とつながりません。 あたたかくて、いまこの瞬間の心地よさに包まれて目を閉じて眠り落ちて朽ちたい、そう思ってしまいます。 わたしはなぜ、こんなにも空っぽのまま生きているのでしょうか。どうしたら、活力が生まれ、生きることに向き合い丁寧になれるのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

人生の虚無感が拭い去れない

時々、人生の全てが虚しく感じて、猛烈な自殺衝動が訪れます。30分くらい経てば衝動は消えていって、憂鬱な気持ちだけが残ります。 そうなると、全てが嫌になってしまいます。昔からずっと馬鹿にされてきたこと。友だちがいないこと。ずっとスクールカースト最下層だったこと。不登校になったこと。精神の病気になったこと。通信制高校に転校したこと。体力不足であること。自分の性能が低すぎること。目を引くような美人でないこと。異性からも同性からも蔑ろにされること。自分に直さないといけないところがたくさんあること。今、大学でやらないといけないこと。将来、厳しい社会で働かないといけないこと…。 愚かだと思われるかもしれませんが、私は社会に出て働くくらいなら、死んでしまいたいと思ってしまいます。もちろん社会に出たら楽しいこともあるのではないかとは思いますが、私は人間関係を上手く構築できず、魅力がなく、馬鹿にされて生きてきたので、このまま毎日孤独で嫌な気持ちを抱えながら働くんだと思うと、消えてしまいたくなります。みんな、社会は学校より厳しいと言います。今より厳しいのが社会なら、どう生きていけば良いのか分かりません。 生きる意味はありません。朝起きると自分が生きていることを責めながら生きています。じゃあ、自殺しようかって思っても、中々実行できません。死なない理由を探してしまいます。「生きてたら何かいい事あるかも」とか、「ゲームのサービスが終了するまでは死にたくないな」とか。自殺は二度失敗してます。親を泣かせました。最初から生まれてなかったことにならないかなぁって思います。 マイナスの感情ばかり吐き出してしまって申し訳ありません。でも、私は弱く、近くの人間にこの苦しさを相談できません。涙が溢れて、泣いているうちにアレルギー反応のように体が痒くなって、ブツブツができて、息がしづらくなります。この世から拒絶されてるみたいで、苦しいです。 自分を救いたいです。生き方を教えていただけませんか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

容姿だけ褒められて虚しい

容姿を褒められて虚しい 聞きたいことは、他人からの承認ではなく、自分で自分を受容するにはどうすれば良いかということです。以下、その考えに至った理由です。 表題の通り、容姿を褒められて虚しい毎日です。初対面の人には必ず「綺麗だね」「かわいいね」「色白で綺麗なお嬢さん」などと言われます。中学生から60代のおばさんまで男女問わずです。 人に見られる仕事(教育系)をしておりますが、遠くから「あ、あれが言ってたかわいい人?」「あの先生かわいいよな〜」など、ひそひそ話しているのを1日に何回も聞きます。男子生徒と話していると「先生かわいいからなんでも言うこと聞く」「年上の女って感じでかわいい」など直接言われることもあります。舐められていると思います。 既婚男性の間で「私さん、いいよね」「いやいや、お前やめとけよ〜(笑)」などと言っているのを聞いたことがあります。流されやすく、彼らのうちの何人かと不倫してしまったこともあります。そんな自分が嫌いです。断れない、心が弱い自分が嫌です。この点についてのお叱りもいただきたいです。 彼女がいるのに出会うたび「私さん、かわいいわ〜」「かわいいから許す」「私さんは俺の彼女〜(笑)」など何度も言ってくる上司もいます。最近、容姿を褒めてくる男性全員が敵に見えてきました、、 彼らは性欲や何かしらを満たしたいだけなのはわかりつつ、褒められて嬉しい自分がいます。しかし、他人からの承認を支えにしていてはいつまで経っても虚しいことも理解しています。これでは幸せに結婚して暮らしていくことは無理です。 しかし、どのようにして自分で自分を認める、受け入れれば良いのかがわかりません。どなたか、他者の評価に頼らず自分を律する方法を教えてください。もう限界です、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

立ち上がる気力も動機も、もはやない。

朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。そう信じてきた。 思春期の到来と同時に、心の裡にある虚無感と自殺願望に気付いた。 人は無意味に生まれ無価値に死ぬ。だが今死ぬのも怖い。生きるに足る何かを自身で見出さねばと決意してから20年が経った。 何度も膝が屈した。 不登校になり高校は辞めた。だが、何かを見出すためには外と接点を維持しなければと高認を受け大学へ行った。 就活に折れ何年も家にこもった。それでも社会に出て広がる視野もあるだろうと公務員になった。 虚無感も自殺願望も消えてくれなかった。 情熱は無く、熱意は無く、意欲は無かった。 心理学や哲学をかじった。アドラーとニーチェは劇物だった。 ある日唐突に恋人が出来た。歓喜した。無辺の海原を彷徨うが如き人生に、共にゆく同志が現れた! 彼女もまた人生に悩んでいた。陰鬱な話題も多かったが、共に解決していけると信じた。 別れを切り出されたのも唐突だった。 何を間違えたのだろうか。 仕方ない。それが彼女に必要な事ならば身を引こう。どうか幸福を掴め。私は応援したい。そう伝えた。 「応援とかいいから。とにかく別れて」 それが返答だった。 愛おしいのに憎い。「愛憎」の意味を知った。 人はこうも真っ直ぐに他人を呪えるものか。人はこうも醜くなれるものか。 親らしいことを何一つせず消えた父にも、いじめパワハラを繰り返されたかつての同級生や職場の上司にも、こんな憎しみは抱かなかった。 結局、罵詈雑言の応酬で15ヶ月の泡沫の夢は醒めた。 出会いがあれば別れがあるもの。でもきっと次の出会いが。恋愛は人を成長させる。 そうなのかもしれない。 痛みを知るからこそ人は優しくなれる。 仰るとおり。 癒やされるには傷が必要で、幸福を知るには不幸が必要で、善行を成すには悪行が必要だ。 出会いにはもれなく別れがついてくるし愛情と憎悪は表裏一体。 満たされるには、飢えていなければならない。 生きるために死に、死ぬために生きる。 もうたくさんだ。 得れば失う。そんなものは賽の河原だ。穴堀の拷問だ。 夜明けは無い。掴んだと思った幸福は手から零れていった。 海原だと思っていた人生は無間の闇だった。 20年足掻いてはみたが、いい加減幕を引きたいと思う。 朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。それがただの夜であるならば。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

幸せなのに虚しいのは傲慢でしょうか

初めまして、道草と申します。今回初めて質問させていただきました、もし宜しければお手空きの際にご覧頂けますと幸いに存じます。 私は、今学校生活でも様々な機会に参加させていただきありがたい状況に置かれていると思います。 機会をいただき、チャレンジし、感謝される機会もありました。人の相談に乗り、感謝された時はとても満ち足りています。 成績が良くなったり、何か大会やコンクールで優秀な賞を取れた時はもちろん嬉しいです。 就活も、ご縁あって現在2社ほどに最終面接を受けさせていただき結果を待っています。第一志望の会社も決まりました。 もちろんうまくいかないことはあるにしろ、自分の努力が認められるのはとても嬉しいことです。家族とも、お互いに良好だと感じています。 ですが、たまに、賞をもらったり自分が努力する、今までのことが虚しくなる時があります。 ふ、とその瞬間になった時、「自分は幸せなはずなのに、こんなことを思うなんて傲慢なんじゃないだろうか」と思ってしまいます。自分がこんなふうに思ってしまうだなんて。 それなら、もっと努力している人がこの成果を得る方が公平ではないかと。自分よりももっと努力して夢に進んでいる人はたくさんいるはずだ、だからその人がもっと報われた方がいいのではないかと。 勿論今書いているこの文章そのものが、傲慢で、上から目線だと自負しております。 もし宜しければ、このような虚しい気持ちに襲われた時、どのように現在の状況を受け入れ満足していくか、その方法がございましたらご教授ください。また、傲慢さを抑え謙虚に生きる方法もありましたら、お教えくださると幸いです。 長文になってしまい申し訳ございません。 私の立場から申せたことではございませんが、気温が急激に変わる時期も続いております。何卒お坊様方もお身体大切になさってください。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

情熱も冷めて怒り、虚無感、後悔

幼少からとある分野の技術を学んでおりました。将来それを使い独立したいと考え、20代で大きな団体で師が常時5、6人いる所に所属し直し、6年間学んだのち、半独立しました。 半独立というのは、その団体に所属し、定期的に講義を受けたり、費用を払い続けないとその資格者を名乗れない為です。 関わりを断つと資格も記録もなくなり今までの積み重ねがなかったことになります。 その団体の師の一人が私に特別当たりが強く、大勢の前でプライベートなことを質問したり、叱責したり、やたら高額のものを買うよう勧めてきたり、努力も結果を認められなかったりという事が続き、その分野で長年やってきても報われない悔しい思いも今まで蓄積していた為、虚無感が募り道具を見るだけで怒りと悲しみで耐えきれなくなるまでになり、心が限界になりました。 その師がいなくなるまで1度離れようと決め、2年間、費用だけ払い所属しつつも極力思い出さないよう過ごしていました。 半独立したはずでしたが収入にはできず、今は別の仕事をしています。 心の中で怒りと執着がずっとあり、辛いです。 心理学を学んだり、時間が解決するからと自分に言い聞かせたりしても、その分野で活躍している人を見聞きすると、心の中の地雷が爆発するような、怒りと嫉妬と、悲しみがごちゃ混ぜになった感情が度々おこります。 頻繁に感じる気持ちは、認められたくてあんなに努力したのに報われないという怒り、自信が全くなくなり好きだったものが避けたいくらいに嫌いになったという悲しみ、応援してくれた期待してくれた人に申し訳ない気持ち、理想通りにいかずダメになってしまったという後悔です。 気分が落ち込んでいる時、 こんなしょうもない人生を送ってしまったとぐずぐず考えてしまいます。 冷静な時は、そんなことくらいで馬鹿げてると思い直せるのですが、執着と後悔が消えません。どのように考えたら、前に進めるでしょうか。 その団体をやめて、もう一切かかわらないようにしようと思いつつ、ふん切りがつきません。自分の気持ちがなんとかなり、またやりたいという気持ちが強くなって復帰できる未来を望んでもいます。でもそう思い続けるのはただの執着かもしれません。 何か、その状況から脱するヒントをご教授いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る