障害者として生まれ、働く意味
私は現在、とある企業で障害者枠で働いています。
その会社は世間一般で言えば一流企業で、ニッチな業界ではありますが世界シェアNo.1です。羨ましいと言われることも少なくありません。
ですが、会社はすごいのかもそれませんが、私は何一つとしてすごいことなどないのです。障害者として採用されているので、任せられる仕事は誰でも出来る、単純作業のようなものだけ。重要な会議などに呼ばれることはありません。
正直、障害者雇用率の為に仕方なく雇われている、という気がしてなりません。
とは言いつつも、会社員ですから与えられた仕事に文句を言う訳にもいきません。不承不承、仕事をこなしています。
ハンデを抱えた自分を雇ってもらえるだけでもありがたいのは理解しています。ですがやはり虚しいのです。
気を遣われ、単純作業をこなし、お金をもらって、なんとなく苦しいと感じながら生きるのは辛いのです。
死にたいとまでは言いませんが、生きている意味はわかりません。
好きな人でもまた違うのかもしれませんが、障害を抱えた身でおこがましいとも感じます。
私は何の為に生きればいいのでしょう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教を学んでみてください
仕事に生きがいを見いだせない状況なのでしょうか。
しかし、仕事は人生の一部にすぎません。
仕事以外の生きがいをみつけられてはどうでしょうか。
たとえば、仏教を学んでみてください。
仏教を学び、人生を幸せにするスキルや、今まで知らなかった真理を知る喜びを感じてください。
冥想をやってみるのも良いと思います。
何も負い目に思われることはありません
Haruta様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ハンデを抱えていることを何も負い目に思われることはありません。
そして、ハンデを抱えられた皆様は、長い間、差別されたり、社会的、人権的に不遇な立場におかれてしまわれていた過去もございます。
そんな過去からの長い闘争の末に、今となり勝ち得てきた大切な権利でもあるのであります。
支え合い、助け合い、分かち合いにより成り立っているのが人間社会でもあります。
福祉の制度に対しての遠慮は無用であるかと存じます。
ただ、どうしても、色々な面で制度に甘んじることができないということであるならば、一歩飛び出して挑戦されるのも、もちろん応援致したいと存じます。
また、仕事とは別の分野で人生を充実させていく方法もたくさんあります。
仕事は仕事、人生の充実は人生の充実として、割り切ることも。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
先人たちが勝ち取ってきた権利歴史を意識すると気持ちが軽くなりました。
大変、ありがたいお言葉、感謝いたします。