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自殺対策

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有り難し有り難し 20

 自殺対策は仏教の最も得意とする分野ですが、現状の効果はNPOのそれと大差がないのがはがゆいです。

 もし輪廻転生が否定されるなら、自殺対策は有害無益で、むしろ自殺を奨励すべきです。

 釈尊も若い頃自殺しました。(般若心経の呪文、梵天勧請)

 仏教の目的は、涅槃(解脱、心の死)ですから、輪廻転生が否定されれば死後が無いので心は死んでいます。

 まさに涅槃状態です。死即涅槃と言えます。

 輪廻転生が真実であっても、自殺は諸刃の剣です。

 釈尊のように涅槃状態であれば、自殺は奨励されます。

 「厭離穢土 欣求浄土」と言う佛教語もある位ですから。

 我々も、釈尊に倣って寿命が尽きる前に自殺によって涅槃を得なければなりません。

 寿命が尽きた瞬間では多分涅槃は無理だと思います。

 私はその修行の厳しさに初めから諦めています。

 「現世安穏 後生善処」ならばまだ希望が持てますので寿命が尽きるまで待ちます。

 しかし通常の自殺は防止しなければなりません。

 何故なら心が死んでいないからです。

 六道輪廻で脅しをかけるのです。

 それも真実の脅しですから遠慮はいりません。

 この自殺対策は有効だと思います。

 ちなみに自殺者と通常の死者との死後の風景は、丹波哲郎制作映画「大霊界2」で参考できます。劇場映画ですからフィクションや甘さはありますので、その点は考慮が必要です。

 輪廻転生が普遍化している国の庶民の思考については、

 NHK「世界ふれあい街歩き」の「チンプー」(ブータン)が参考になります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私はそのように思いませんね。
釈尊は苦行の中で探していたのだと思います。この世のあらゆる苦しみから脱するという境地に至ることができるのかどうか。そのような境地が本当にあるのかどうか。バラモン教など当時の既存の宗教や哲学で言われていたような、体を苦しめたら心が宇宙と繋がるということが本当なのかどうか。
そして悟りました。
それが間違いであると。
自殺したのではありません。
心が死んだのではありません。
むしろ苦しかったお城での生活から飛び出し、苦行によって必死に探していた悟りの境地、そのようなものは無い、ということを悟ったのではないでしょうか。
釈尊が悟った内容は分かりません。
釈尊自身も話していないし、もちろん本人の記述もありませんから。
ただ、話す相手に合わせて、相手がより良い人生を送れるように導きました。
その導きがお経として伝えられました。
そのため対機説法といって、相手によって教えが違うのです。これはキリスト教の聖書と大きく違う点ですね。
仏教に聖書は無いのです。
ある人にとっては般若経が聖書であり、ある人にとっては阿含経が聖書であり、ある人にとっては阿弥陀経が聖書であり、ある人にとっては法華経が聖書であり、ある人にとっては全てが聖書であり、ある人にとっては自ら新しく聖書を生み出すこともありうるということです。
専門用語では「開かれた聖書」と言います。
ですから、ある人にとっては輪廻転生は信じるべきものであり、また、ある人にとっては信じる必要の無いものでもあり、また、ある人にとっては輪廻転生とは生きている時の心の状態を表すことであるのです。
何を信じるかは自由です。
あなたの信じることも全ては否定はしません。それはそれであなたの目的を果たせるのかもしれないですから。
大切なことは命が終わるその最後の日まで、より良い人生を送ることです。
ですから、自殺を防止することは仏教の目的でもあるのです。その点はあなたの言われる通りです。
ハスノハが生まれたのも、そのようなことがきっかけの一つになったのだと思います。
自殺する人は多いです。統計的に減っているようですが、統計にはいろいろとカラクリもあります。
このハスノハや私達の他での活動が一人でも多くの人の力になれたらと思います。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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そうですね

拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるようにやはりできるならば自死を避けて頂きたいと思います。
とはいえこの世で生きることは誰にとっても並大抵ではないですからね。様々なことに追い込まれて苦しみ、死を選ぶこともあるかと思います。
できるならば誰しもがせっかく頂きましたこの生命や人生を豊かに生き抜いて頂きたいと切に願っております。
私個人の意見ですがやはりこの世に生命や人生を受けて様々なご縁を頂きましたから、そこで善き教えに巡り会い、そして穏やかに天寿を全うしていきたいと思います。
ですから真理である仏教に巡り会うことができて仏道修行することができて、そして天寿を全うした暁には必ず仏様が迎えて下さり、何の憂いもなく円満に仏と成ることができることはこの上なく有り難いことかと思います。
願わくば誰しもがそのように人として生命や人生やご縁を頂いたのですから、真理に出会い善き道を歩んで頂きたいと思います。
人の命や自分の寿命は誰にも決められるものではありませんからね。
この世に生命を受けたのには必ずその意味や目的があります。
それぞれに与えられた意味や目的がありますからね。

できるならば自ら死を選ばないで自分の寿命の中で一生懸命に生き抜いて善き道を歩んで頂きたいと思います。

その為にも私もわずかながら一助になれればと思っております。

仏様は必ず私達をお導きなさって下さり仏様のもとに生まれさせて下さいますから。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

三宅 聖章 様 私の暴言にもご丁重なご回答を有難うございます。

 他の仏教フォーラムでは凄いバッシングが還って来るところです。

 ここでは暖かく迎えてくださいまして感謝です。

 私は仏教は神がおらず説教が真理と論理で構築されておりますので、あまり何でもありでは困るのです。

 特に輪廻転生は否定と肯定では、論理が正反対になります。

 「釈尊が悟った内容は分かりません」と仰っておられますので、その内容を説明しようと思って、今気が付きました。

 輪廻転生は悟りの一つではないでしょうか?

 水野弘元先生が著書「釈尊の生涯」で次のように述べています。

 引用開始

 「成道と三明六通

  (前略)

 そのうち初夜には、過去に関するすぐれた智慧としての宿命通(宿命明)を、中夜には未来に関する智慧としての死生智通(天眼明)を、後夜には世界人生の真理に関する智慧としての漏尽智通(漏尽明)を得たとせられる。

 (後略)

 引用終了

 初夜に過去に関する宿命通とは輪廻転生の事ではないでしょうか?

 最近のではない釈尊の生涯を解説したものには、自分の何世代もの前の過去世を悟ったと書かれています。

 まさに輪廻転生ですね。

 中夜には未来の死生智通とありますが、釈尊が五百年後に仏教は滅びると語っていることかと思います。

 最後の後夜には世界人生の真理としての漏尽智通が「空」の事であると思います。

 多分「世界」は「諸法」の事だと思いますので、諸法は「宇宙」とも解釈できます。

 従って宇宙生成の真理(エネルギー)と考えられます。

 空とはエネルギーの事です。

 これが悟りのすべてです。

 間違いなく輪廻転生は真実であると思います。

Kousyo Kuuyo Azuma 様 ご回答を有難うございます。

 大変失礼なことを申し上げますが、別項にも申し上げましたように、仏教を宗教とは思わず、信心はしておりません。

 多分間違いなく輪廻転生が真実と思われますから、そうなると生まれたことが間違いということになるのです。

 仏教の目的は、生まれ変わるなと警告しています。

 今は生まれていますから、仕方なく生老病死の苦しみを甘受しなければなりません。

 死後再び生まれ変わることのないように、生きているあいだに、生まれ変わらない訓練をしなければなりません。

 私はその訓練に耐えられないので、なるべく安穏に暮らしたいと願うだけです。

 何故生まれることが間違いかと言うと、生まれたら空気と水と食料が必要です。

 食料を得るために、直接、間接に殺生を余儀なくされます。

 誰でも悪人にならなければ、生きていけないのです。

 その自覚がない人が善人です。

 親鸞上人は、だから「善人(を自負する人)なおもて往生す いわんや悪人(を自覚する人)をや」と警告しています。

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