勉強への意欲
私は看護師を目指す大学生です。最近、どうも勉強へのやる気が起きません。
周りは皆一生懸命勉強しているのに、自分も勉強しなきゃいけないのは分かっているのに、中々取り掛かることができずにいます。今までは無かったのに、最近は勉強を一生懸命している友達を冷めた目で見てしまう自分がいます。
私は中高一貫校に入学し、高校受験を経験せず、また大学も推薦で合格したのもあり、今まで楽して生きてきたような気がします。このまま楽な道を進むと、将来看護師になるための国家試験もあるのにそれを乗り越えられるのか不安です。周りはこんな私のことを「なめている、甘えている」と思うでしょう。どうやったら気持ちを切り替え、頑張ることができるのでしょうか。そもそも、「頑張る」ってなんなのでしょうか。
行き詰まった時、どうやって気持ちを切り替えたら良いのでしょうか。
長々と申し訳ございません。アドバイスがいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの学びを必要としている人がいます。
亀山純史と申します。
なぜ勉強をするのか。そして誰のために勉強をするのか。
私の高校時代の倫社(倫理社会)の恩師(恩師はクリスチャンでしたが)は、「勉強は人のためにするものだ。今君たちが学んでいることのどれが、いつ人のために役立つのかわからない。だからこそ、今、多くのことを学び、将来、人の役に立つ人間になるために、勉強しているのだ。自分のために勉強しているという考えは傲慢な考えだ。」と言っていました。当時の私は「勉強は自分の成長のためにするものではないか。」と思っていましたから、その先生の発言は非常に理解しがたいものでした。周囲の友人にしても同様で、誰一人として、先生の発言に共感できた人はいなかったように思います。
それから20年近くが経ち、世界的に高名な仏教学者であった中村元氏の死を通して、当時の恩師の言葉の意味がわかったような気がしました。中村氏は、ご自身の死の直前まで学問に打ち込まれた方でした。もはやそれはご自身のためではなく、後世へ引き継がれていくべき人類の遺産を作り上げる作業ではなかったのか、と思えたのです。仏教の教えに「自利即利他」があります。自分を益することが他を益することへ繋がらなければいけないのです。
ですから、どうしたら勉強する気持ちになれるか。それは勉強とは自分という狭い殻の中でもがくことではなく、必ずや将来において自分の学びが他を幸せにするものへと繋がっていくという思い、あるいは、あなたの学びを必要としている人が必ずいるという思いを持つこと。それが勉強しようとする第一歩ではないかと思っています。
以上が私からの回答です。
2パターン用意しました。
こんなことやってて意味あるんかな。
若い今のうちにやっておきたいこともあるけど。。
そこまでして看護師の勉強ってやらなきゃいけないものなのかな。
そんな思いが頭の中巡っていませんか。
現場出てからも勉強することはいろいろ出てくると思います。
配属された診療科目ごとの現場で必要な知識も出てくるでしょうし、
小児や看取りなど年代に応じた専門性もあるでしょうし、
勉強に終わりがあるのか不安に思うこともあるかもしれません。
職業とするならば専門的な学びを深めることで、
お金をもらうレベルの質をキープしようと思うのはどの業界も一緒です。
勉強って
意味がなきゃしてはいけないって訳じゃないですよ。
あるいは、、、
ひとことモノ申す!!
あいすの本気っていつ見れるんやーーー!
一度くらい本気の勉強見せてみたらどうなんやーーー!
命かかってる仕事やろー!
中途半端なまま、時間過ごしてるな!
あいす一人前になるのを待ってる患者が世界中のどこかにいること忘れるなーーー!
という感じで、
喝いれたほうがよかったでしょうか。
大きい文字とか使えると良かったのですが、
思いは伝わりましたでしょうか。
いずれにせよ、自分のための学びが誰かのためにはたらく業界です。
また、勤務と休みをうまく使ってる方も多いですよ。
頑張ってください。陰ながら応援してます。
物事が見えてきたように感じます。
こんにちは。「楽して生きてきた」、そこに疑問を生じたのですね。鋭い!
多分この国は、戦後メタメタな中から始まって「何が人間の価値なのか?」というに対して「楽して生きられる」を仮の答えにしてやってきたのだと思います。
それは多分、国が攻め入れられ、占領され、世界中からの評価と思惑と…いろんな力を押しつけられた故だと思います。
とにかく物が無かった。貧しかった。だからお金を手に入れ、物を手に入れた。それは確かに幸せだったのだろうと思います、「当時の視点から見れば」。生き物はそもそも、あまり急激な環境変化に備えていない(進化は何百万年単位でしょう)のに、滅茶苦茶な大変化があった。現代いろいろ起きている苦しさとか異変とか不安とか不満とか、多分この「生き物として無茶」な時代を経てきたからではないか、と感じています。
で「やっぱり、これは仮でしかなかった」と露わになり、いま改めて仏教が注目されているのだろうと思うのです。何せ出発点が「この世には苦しみがある。苦しみとは思い通りにならない事だ」なのですから。
ここを受け入れないと、多分いけない。「ああ苦しいなぁ、嫌だなぁ」と思いながら勉強すればいいのよ。「それって意味なくね〜」とか言う人は必ずいるけれど、かなり条件を絞った時ですよ、「嫌々の勉強には意味が無い」というのは。
「頑張るって何か?」言葉の意味とか定義とかはね、結構どうでもいいの。そこを追っかけて言葉の専門家になるなら面白いけれど、日常会話・日常思考としては追究する価値あまりないです。それは暇つぶしだけ。「続けられる・嫌でも続ける」という辺りかしら、意味内容としては。
勉強について、いま尾籠な例を思いついた!
お手洗いで終わった後、おしりを拭くようなものかしら。「嫌だなぁ」と思いながらしている事かも知れない。幼い子どもの場合、親御さんに拭いて貰うことが習慣化しちゃってる子がいて、幼稚園に来て「嫌がって自分で拭けないので、先生やってください」という相談が稀にある…そうだんです。
「お通じは生きていくのに必要だけど、勉強はそうじゃない」と思った? それはね、あなたの価値観。あなたのストーリー。あなたのルール。「まるでトイレにいくように勉強する」「まるでトイレに行くように本を読む」「まるでトイレに行くように日々から何かを発見する」…うん、いいなぁ。
看護師は素晴らしい仕事です。
私には看護師の義妹が居ます。
ほんとにハードな仕事ですが、
それ以上にやり甲斐のある仕事です。
私の娘も、
義妹を倣って看護師を目指しています。
あなたは看護師までもう少しのところまで来ています。
それが現実味を帯びて、
少々ひるんでしまったのかもしれませんね。
質問者からのお礼
皆様、貴重なご意見本当にありがとうございます。
泰庵様
最初の数行、今まさにわたしが考えていることでした。専門的な学びを深め、将来の患者さんのために勉学に励んでいきたいです。また、喝を入れていただき光栄です!自分の学びが、いつか誰かの役に立つよう、学んでいきます!
佐藤様
苦しくても、日常的に、当たり前のことのように勉強に日々取り組んでいこうと思えました。頑張るとは何か、考えなくても良いと思うと楽になりました。
p.s.「…そうだんです。」クスッとしてしまいました(笑)
亀山様
将来や他人のために勉強する。「自利即利他」という素敵なお言葉、拝見して直ぐに勉強中のノートに書き留めました(笑)とても納得しました、看護師という職に誇りを持ち将来誰かの役に立てるよう勉強に取り組んでいきます。
和田様
現実味を帯びてきてひるんでしまっている、本当にその通りです。やり甲斐のある素晴らしい職だ、と看護師を志望するようになりましたが、想像以上に大変。理想と現実は違うのだと感じていました。しかし、やっぱり素晴らしい職だと思います、今学んでいることに誇りをもち、将来の為に勉強します。
皆さんのお言葉を拝見し、気持ちを入れ替えることができました。今はテスト勉強の合間に返信をさせていただいています。今まで嫌だった勉強も、将来の為、誰かの為になると思うと、「よし、やろう!」と思えるようになりました。これからも勉学に励んでいきます!これからも、皆さんのお言葉を胸に、勉強していきます。今回相談して良かったです。本当に、本当にありがとうございました。