仏教と児童虐待
お釈迦様は親から虐待される子供になんと仰っておられますか。また、子供を虐待する親のことはどのように仰っておられますか。
また、宗祖のお坊様など過去にいらっしゃった高僧の方々で、虐待について書いたり言われたりなさったものはありますでしょうか。
親への愛着を持ちながら親から虐められる子の苦しみはいかばかりかとよく考えます。現代では親子愛が称揚されることしきりですが、慈悲の心を欠いた親もいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教に育てられた一社会人として
釈尊をはじめ、過去に現れた諸師方の中には「子どもを大事にせよ」との旨の言葉を残しておられる例も見られますが、【児童虐待】や【ネグレクト】に関して直接何かを言っていた、書き残したというはちょっと聞いたことがありません。もちろん、単に私が知らないだけだという事も十分に考えられるのですが。
しかし、【仏教者】あるいは【仏弟子】のアイデンティティーの下、仏教に育てられた一社会人として様々な取り組みをしてこられた僧侶はたくさんおられました。ちなみに私は僧侶としては三流以下ですが、実際に保護児童を預り養育里親として活動しています。
”親から虐められる子の苦しみはいかばかりかと”
はい。記録を読んでいるだけであまりの胸糞悪さに吐き気がすることもしばしば。そして、人間の尊厳と誇りを見失ってしまった子の荒れようといったら、本当に目も当てられない…。
”慈悲の心を欠いた親もいます”
間違いありません。
しかしながら、そんな親たちを糾弾するよりも、被害に遭ってしまった子どもたちをケアし、人間回復の道を指し示すのが私の役割だと考えています。
みんな自分が一番かわいい
児童虐待に限らずの話ですが、お釈迦様は次のように説かれました。
誰でも自分が一番愛しい。だからこそ、他人を傷つけてはいけない。
ということは、自分がされて嫌なことは他人にもしない方が良いのです。
自分が虐待されたら嫌なわけですから、子どもにも虐待してはいけない。
お釈迦様の教えはシンプルだから、時代が変わっても応用できるのだと思います。
父母恩重経のこころ
『父母恩重経』というお経があります。これは中国で作られた偽経とも言われますが、日本でも大事にされたお経です。内容は子はいかに父母から愛情を注がれたか、お釈迦様が説かれたとされており。いかに親の恩は海より深しということが書いてあります。逆に言えば、虐待などしてはいけないということなのだと思います。
逆に保護したので有名なのは栃木の太田の大光院の呑龍上人は周りで捨て子や間引きが横行していたことに心を痛め寺に弟子として寺に受け入れ寺の費用で養育したため、子育て呑龍と呼ばれました。
また、目黒の祐天寺に名前を残す祐天上人も間引きの後に悩む女性の怨霊を払ったとされ、
有名でした。(『江戸のエクソシスト』に詳しい。)
江戸時代の虐待とはもう虐待のレベルが子殺しまで行っていたということなのですね。それに対して、様々なアプローチで手を差し伸べたのが、お坊さんということなのです。
ちょっと主意がちがうかもしれませんが、ご回答まで。
質問者からのお礼
転落院様
お言葉ありがとうございます。転落院様のお言葉に深く考えさせられました。
わたくしは身近な大人に弱みを見せられぬ状況が長かったため、何か分からぬことがありますと本を調べて独力で解決しようといたします習慣を身につけて参りました。そういったことから、経典などをものされた過去のお坊様方のことをご質問致しました。
しかしいま現代、同じ時代を共にして下さっていらっしゃいます御坊様が、虐待された子供たちのために血の通ったリアルな救いの活動をして下さっておいでになりますこと…なにか痛み入り恥じ入る気持ちです。
わたくしは本ですとか名ですとか、そういった権威めいたものにどこか縋るような考え方を持っておりました。父母を恨み、懲らしめたい、気づいてほしい、変わってほしいという、己の欲に引きずられていたのかもしれません。結果地に足のつかない生き方になり、余計に己を苦しめ、生かされている命も大切に生かして来られなかったように存じます。
転落院様の御本意とは少し違ったことでありましたかも知れませんが、非常に大切なことをお教え頂きました。本当にありがとうございます。
里子様方のご健康を陰ながらお祈りさせて頂きます。
願誉浄史様
わたくしは母から強烈な洗脳を受けた結果、自分を痛めつけてまで親へ尽くしていました。親からの屈辱的な扱いに自尊心を破壊され心身の病へ追い込まれようとも、親を幸せにせねばならぬ、親のために生きねばならぬという暗示が長らく抜けませんでした。長期間の暴力暴言で仕込まれた暗示はなかなか抜けないものでした。運悪く当時周囲にいました大人も、常識論で、虐待などあり得ないと決め込んでいましたので、わたくしは孤立無援でございました。
数年前に某居酒屋系ブラック企業が問題になりました。ガリガリの体で目だけが異様な光を帯び、こけた頬で社長への忠誠を語る社員が報道され、一時話題になりましたが、わたしは彼とそっくりでありました。
母は母の身を可愛がって良かったのですが、わたしは駄目だったのです。
わたくしが自分を肯定することはまるで悪魔の所業のように責め立てられておりました。わたくしが意思を持ちますと母の便利なロボットでなくなるからです。
人はみな我が身が一番可愛いものだ、その上で思いやりの心を持つのだと言っていただき、自分も自分を慈しんでよいのだと、心底ほっとした思いでございます。
我が身我が幸せ我がこころを思いやれないばかりに自ら不幸を選ぶ人生でありましたが、これからは変えて参りたいです。
お言葉ありがとうございました。