動物の殺生について
年に数回は熊やイノシシなどの動物が村や市街等に出没したいうニュースを見ます。
それらは遭遇したら危険な場合が多く、人間を襲い大けがを負ったり最悪の場合、死んでしまうというケースも少なくありません。
また、動物園の動物が暴走し人間を殺してしまうという大変悲しいニュースも見かけます。
たいていの場合、そういった動物達は地元の猟師や警察等に殺されてしまいます。
被害にあった関係者へは大変失礼な話かもしれませんが、だからといってそういった動物達を殺すというのが理解できません。
野生の動物たちは日々生きるのに必死で本能に従って食料を求めているはずです。自分たちの住処で得られなくなった食料を求めて探し回っているはずです。
人間を食べるために襲っているというわけではなく恐怖を感じたり、自らの命を守るため自衛手段として襲ってくるのだと思います。
趣味で山へ登山したり、森等で山菜採りやキノコ狩りなどする人達は動物達の住処に無断で土足で入り込んでいるのと同義だと思います。
見ず知らずの他人が自分の土地へ入り込んだら警戒するのは当然のことです。
動物園の檻に入れられた動物達は保護されたものもいるかもしれませんが、人間の利益・私利私欲のため無理矢理檻に入れられ、育てられ、見世物にされています。
別の話ですが保健所では捨て犬や捨て猫たちがどこかで毎日のように殺処分されています。無責任な人間たちのおかげで命が無駄に失われ続けています。
地球は人間だけのものではないはずです。動物には動物達の命があります。
なのにむやみやたらと食べるため以外の無駄な理由でなぜやたらと殺すのでしょうか?
殺せばそれで終わりで簡単ですが、傲慢すぎやしませんか?もう少し尊重できないのでしょうか?
自分や、自分の大事な人達が襲われたらどうするんだ?等と怒る人達も出てくるはずですが、
そういう話をしたいのでなく大きい命であろうが小さい命であろうができるだけ大事に考えたいという事です。
きちんと棲み分けできればそれでいいのですが、それも難しく人間と動物達がよりよく共存できる道がないのかと日々考えされられます。
人間たちが地球に住まわせてもらってるという感謝の気持ちが失われていると思います。
あまりに好き勝手ばかりしていると動物達と人間の立場が逆転しても文句は言えないのでは?と思うのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問読ませていただきました。
たしかに、人間は自分勝手な都合で生き物を殺したり、もてあそんだりします。
色んな犠牲の上に、我々の快適な生活が成り立っているのだということを忘れず、感謝の気持ちを常々持つことが大切です。
たとえば、私たちは水道から水を確保するためにダムを造ります。それによって何万、何十万もっとそれ以上の生き物の命や生活の場が失われます。昔の人は水道やダムなんてなくても生きてこれました。つまり、ダムや水道というのは生命活動の最低限のものではなく、人間の贅沢品ということです。これをよしとせず、水道を使わない生活をすることは難しいでしょう。
もしくは、私たちの身の回りのモノは工場で作られたものばかりです。テレビがあり、パソコン、スマホ、衣類からプラスチック製品、ほとんどのモノが工場で作られています。その工場から出る煙、工場排水が自然に流れ出ることで大量の命が奪われているのです。
工場でモノを作らなくたって、昔の方達は生きてきました。つまり、これらは人間の贅沢品なのです。これをよしとせず、そういうモノを一切使わずに生活するのは難しいでしょう。
また、地球の生き物は動物だけではありません。植物にも命があるのです。しかし人間の都合で「雑草」と名づけたモノを引っこ抜き、山を切り崩して大量の植物の命を奪ったりするのです。
健康第一さんのおっしゃる事例に限らず、我々人間は自分たちの贅沢のためにたくさんの命を奪っています。今更その贅沢を全て捨てて、地球と共存というのはなかなか難しいことでしょう。
ですのでおっしゃるように、傲慢になりすぎることがないよう謙虚と感謝をもって日々の生活を営んでいきたいものです。
そして健康第一さんも、その素敵な考えを実現したくさんの大切な命を救えるように、色んな活動に参加してみたりして下さいね!
何か少しでも参考にしてみて下さい。
鉾先
山間部の実情をご存知ない方々よりも、駆除の現場の方々のほうがずっとずっと自然界に敬意を持っていらっしゃいます。
山間部の人の感覚では、別にイノシシが人里に来たから駆除するわけではありません。作物をおすそ分け程度ではなく、文字通り根絶やしにされる死活問題だから生存競争をしているだけです。野生の動物もグルメです。山の食べ物より人里の作物のほうが美味しいと覚えた個体は、山に充分な食べ物があっても作物を奪いに来ます。
悲しことですが、そもそも太古の昔から競争相手なんです。生物と生物の関係とは、本来そういうものです。逆に人間が知恵によって共存できるようになっただけであり、現代人が愚かだから動物を敵に回したわけではないのですよ。自然界とは混沌とし、おどろおどろしい所です。そういう自然界の特性を直視し、学び、尊重することが自然界への敬意です。人間の美談に当てはめることは敬意ではありません。
人間社会と自然界の線引きのために『里山管理』というものがあります。ここ数年でようやく見直されてきた概念です。
しかしそれに従事する人手が圧倒的に足りません。それ以前に関心も需要もまだまだ全くと言っていいほど足りていません。仕方ありませんね、こうやって農村部での営みを悪者にされる声ばかりが目立つ世の中ですから。
あなたの主張は、本当に人間社会と自然界の線引きのために働いていらっしゃる方々を、精神面だけでなく運営面でも苦境に立たせるものです。そういう軽率な批判は控えましょう。見えない人々に敬意を持ちましょうというのは難しいことですが、少なくともあなたの望む世界に逆行する言動ですよということだけは書いておきます。
そして、世の中にはやりたくない仕事でも他に選択肢がないためにやらざるを得ず、それがゆえに好き勝手な誹謗に晒され、さらに選択肢が狭まっていくという地獄のような悪循環があることも添えておきます。
ペットをめぐる問題は闇が深いですが、動物園は見世物屋ではありません。将来的な個体数の激減に備え、今のうちから種の保存のノウハウを研究し、人間が協力できる方法を探すことが第一義です。だから◯◯動物園で何々の繁殖に成功したとか、失敗したということが大ニュースになっているわけです。そのための運営資金の問題があるから一般公開しているだけです。
蚊もイノシシも人間も
イノシシなどの哺乳類も、蚊やゴキブリも、人間も、一つの命ですからね。
殺さなくてすむようにしたいものです。
ただ、蚊は平気で殺すのに犬や猫は可哀想とかいうと、矛盾を感じます。
鳥インフルエンザや豚コレラなど、家畜の病気が流行った場合も、大量に殺処分されますよね。
いつかは食べられる(殺される)ために飼われている家畜なんですが、食べずに殺すのは、やるせないですね。
しかし、動物も人間も、他の生きものを殺さずには身を守れません。
猫のオスは、メスが育てている他のオスとの間の子供を殺します。子供を失ったメスを発情させ、自分の子供を産ませるためです。
人間に限らず、動物はけっこうひどいことをするのです。
結局、私達は、輪廻転生の世界で生まれかわりながら、殺し殺されています。
そのような酷い世界から解放され、輪廻転生から卒業するには、仏教の修行で悟って成仏するしかないのです。
おっしゃる通りですね。
とはいえ何百年何千年と長い年月をかけてできた今の人間と動物の関係ですから変えることは簡単なことではありません。
私達個人がそれぞれ出来る範囲で共存に努めるしかないのだろうと思います。
例えば、動物の売り買いをしたり、ペットの飼育を放棄したり、必要以上に満腹になるほど肉や魚を食べたり、食べきれないほどの食材を買って廃棄したり、そのようなことがないように努めたいですね。
そして、多くの命に感謝して生きていきたいですね。
なお、最近は猟師の人数が年々減少しており、反対に熊等の生息数は年々増加していますから、山だけではお腹を満たせなくなり、里や町に下りてくる数も年々増えてくるでしょう。
そうなると人間の命を優先するために、とても申し訳なく残念なことですが、動物の命を奪わざるを得ないでしょう。
共存することは考えれば考えるほど難しいことですね。
それでも、各個人がそれぞれ出来る範囲で努めていきたいですね。
質問者からのお礼
多くのご回答・ご意見いただきありがとうございます。
いつも色々勉強になることばかりで大変参考になります。
自分の考え方とは違った視点からのご意見もあり大変興味深く読ませていただきました。
感謝の気持ちを忘れずに謙虚な姿勢をもって日々生活しなければならないと強く気付かされます。
ありがとうございました。