眼鏡選びを失敗しました
長年使っていたお気に入りの眼鏡が壊れ新しい物を買いに行きましたが一件めで気にいった物がなかったのでもう一件行きました。
旦那と8ヵ月の子供は車で待っていたのですが、行く前に旦那に「気にいった物が、なくてももう何件も探せないからここで決めてくれ」と言われました。
その時は私も旦那と子供を待たせているんだから仕方ないななんて思ってました。
でもいざ眼鏡を選んでいると全く自分に似合う眼鏡というかしっくりくる物がなくて悩んでました。
これから毎日生活していく上で自分の顔となる大事な物で何年も使うので5000円ちょっとでも妥協したくないのが私の考えでした。
ですが、旦那の言葉が頭の中でこだまして…待たせている罪悪感から一番マシかなと思う物をやっと探しました。
帰宅してその眼鏡をしたら別人でした。
お店の照明の下ではそれほど変ではなかったはずが…
色が少し暗いだけできつい印象になってしまい印象うんぬんより自分の気持ちの落ち込みが激しく嫌だな嫌だなと本当に落ち込んでしまいました。
以前使っていた眼鏡の素晴しさを改めて感じました。
旦那に「本当に別人だなちょっと残念な感じになっちゃったね」と言われ更に落ち込みました。
どうしてこんな大事なものを妥協して選んでしまったんだろうと…
本当はもう一件くらい見てから決めても良かっただろうなと…眼鏡を買いに行った日の事ばかり繰り返し思いだして旦那のせいにしたりしてしまう自分がいます。
もし自分に似合わない物でも自分が気にいってさえいれば他人にどう思われようが構いません。
でも似合わない上に自分が嫌だなと思う物を身につけて生活しなきゃいけない事ほど苦痛な事はないと思います。
「一年後に仕事復帰したら新しく買いなおすからいいや今は我慢する」と私が言ったら旦那に「お金もったいないよ」と言われました。
その言葉にカチンときてしまいました。
今すぐにでも買い直したいくらい嫌なのにです。
旦那と子供を待たせてでも自分の意見を貫き通せば良かった。
最初から眼鏡の重要さを旦那に説明してわかってもらうべきだった。
最後に選んだのは自分なのにずっとモヤモヤしています。
今からでも旦那に頼んで自分のお小遣いで買いなおすべきでしょうか?それとも自分の我儘だと思って使い続けるべきでしょうか?
毎日毎日本気で悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「眼鏡は顔の一部です」なんてCMがありました。
檀家さんが亡くなった時、棺に眼鏡なしで寝ていらして、そのお顔を見て、印象が違いすぎて葬式会場間違えてしまったか思ってしまうこともあります。
そのくらい、眼鏡はその人の印象を変えますね。
このたび「失敗」と思っているようすですが、まるで別人と言われたという事は、イメチェン大成功って事ですよね。あたらしい自分こんにちは。そのうち、今までの眼鏡が似合わないねと言われるようになりますよ。
わたしも眼鏡をかけていますが、買った後で少し後悔したりとかはよくありますよ。眼鏡で大切なポイントはよく見えることはもちろんですが、目が疲れないか、耳が痛くならないか、滑って度々眼鏡を指で戻さないといけないか、という事も大切なポイントですね。
デザインはその後のことです。
あなたの買った眼鏡がデザイン以外は問題ないなら、そのままお使いになった方が経済的にもそうですが、仏道修行としても良い機会になると思いますよ。次に買うときにデザインもより好みの物を探しましょう。
あまり周りの視線やご主人の言葉に敏感に反応しないようにしましょうね。それがあなたにとっての仏道修行となりますからね。
あなたが眼鏡やご主人や自分自身への怒りを捨てて、眼鏡や容姿や周囲の視線に対する執着を捨てたときに、どんな眼鏡をかけても表現できない心から明るい笑顔になれるでしょう。
お母さんの明るい笑顔はお子さんにとって何よりも嬉しいものだと思いますよ。
ご家族の皆さんが明るく正しく仲良く生きていきますように。
換えましょう
質問者からのお礼
ありがとうございました。
慣れます。