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前向きに生きるには

回答数回答 4
有り難し有り難し 139

はじめまして、まめと申します。
相談をさせてください。

私は自己嫌悪がとても激しく、
特に夜中になると他人と比べて劣等感を感じたり、
過去にしてしまったことについて、すごく罪悪感を感じます。
そのせいで色々考えてしまい眠りにつくことが出来ず、
日常生活に支障をきたすこともあります。
また、自己嫌悪のせいで鏡で自分の顔を見るたび
吐きそうになるほどです。

友人や家族からも自己を貶すことは良くないと言われますし、
私自身、前向きにに生きること、
自分を肯定することはとても良いことだと思います。
人と比べても仕方が無く、
過去の過ちは背負っていかなければいけないと、
わかっているつもりなのに、
なかなか前向きに考えることが出来ません。

前向きになるためにはどうすれば良いのでしょうか。
どういったことから始めればいいのでしょうか。
お言葉をいただけたら幸いです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

唯一の道。これをやれば救われる。

プラス思考の講座も開いております丹下です。
自己嫌悪
劣等感
過去についての罪悪感
顔をみると掃きそうになる
自己を貶す
…これらに共通していることは何かというと、一言でいうと「悪い事を考えている」という事、たった、それだけです。
御質問の中だけからでも、これだけのネガティブな言葉が出てきました。
無自覚ながら普段から頭の中で、マイナスワードをたくさん口にして使っているのです。
まずはそれを慎むこと。
ですが、口にしなければよいだけではありません。
口に出しているということは、頭の中で思いに出しているということです。
頭の中の泉で悪いコト、ネガティブ、マイナスな事を思い起こせば、それが情報となってからだ中を駆け巡ります。
よって、その根源を今から断ち切ります。
まず、今日からは、よくよく、繊細な観察眼をもって、ご自身の心の動きをよく客観視なさってください。
①悪い思いが出てくる。
②それにつられて悪いことを連鎖する。
③どんどんいや気持ちになる
④ふと我に返るも、気持ちが暗い。
⑤ああ、また悪い事を考えてしまったと自己を責める。
あなたは大体毎日この調子で①~⑤まで悪い思いのフルコースです。

よって、①が出たときがチャンスだと思ってください。
自分を変えられるからです。
「暗い思いが出てきた時こそチャンス」なのです。
出てきた①の思いそのものには、もともと良い悪い暗い明るいの区別はありません。
たまたま、考えてしまっただけです。
TVや何かを縁としてポワッと出てきただけ。
その①が出たときに、普段は②のように思いを展開させてきました。
ですが今から、まず練習として、悪い思いが出たときに、そのままにしておくのです。
絶対に②にしてはいけない。
なった鐘が自然に静まりゆくように、ポワッと出た思いに、一切自分の思いを連鎖させずに放っておくことが、唯一あなたを救う道です。
実は、優れた禅僧や悟りを得た人の心境というものは①が出たままで過ごしているのです。
けっして②には展開させない。
それだけコツコツとやってください。
思いを展開させる癖がなくなり、ネガティブな連鎖が一切なくなります。
今からが修行です。
思いが出てきた時、その思いを客観的に観て、そっとしておく、放っておく。
それだけです。
またわからなくなったらご質問に挙げてください。

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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

「私は、私を、許します」。

ミャンマーで瞑想していた時、思うように修行が進まず自己嫌悪に苛まれた私に、先輩が教えてくれたおまじないの言葉です。
「私は、私を、許します」。

ネガティブな感情の渦に押しつぶされそうになったら、
「また会ったね」と微笑みかけてください。
「そこにいてもいいんだよ」と寄り添い抱きしめてください。

自分の中に浮かび上がる感情、自分を取り巻く出来事はどんなものであれ、本来、自分を苦しめるものではありません。
ですが、自分がそれを許せなければ、「あるべきではない」と否定すれば、それは大きな苦しみの源になります。

仏教の修行法の一つに「慈悲の瞑想」Mettā Bhāvanāがあります。
私は幸せでありますように、私の悩み苦しみがありませんように、私の願い事がかなえられますように、私に悟りの光が現れますように…など、まずいちばん最初に自分の幸せを念じます。それから念じる対象を、親しい人々、一切の生命、嫌いな人、私を嫌っている人…と範囲を広げていきます。
「幸せになりたい」「苦しみたくない」という自分の心に気づき、認めるところから始まります。

まめ様が、ご自分の幸せをしっかりと願えるようになりますように。
劣等感や罪悪感にもほほえみを向けて、安らかに生きられますように。

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有り難し
おきもち

青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

「有り難う」で満ちてゆく

まめさま。
なごみ庵の浦上哲也と申します。

反省をするのは悪いことではありませんが、過ぎた出来事に罪悪感を感じるのは確かに前向きとは言えませんね。また、その思いが強く、日常生活に支障をきたすというのは、とても心配です。

自己を批判的に見つめる性格はそうそう変えることは出来ないでしょうから、他者からの良い評価を積み重ねていくのはいかがでしょうか?

大きなことをしろと言うのではなく、小さな親切や努力の積み重ねです。家族や回りの方に、ちゃんと感謝の言葉を伝える。何かお手伝いをする。電車で席を譲るのもいいでしょう。

まめさんと周囲の人が発する「有り難う」が満ち満ちてくれば、少しずつでも前向きになれる…というのは少々楽観的でしょうか。

もうひとつ。
まめさんが、どんなに自己嫌悪しても、後ろ向きであっても、いつも慈悲の目で見守って下さっている仏さまがいらっしゃいます。そのことが心の片隅にあると、人はほんの少し強くなれる、と私は考えています。
よろしかったら、まめさんの心の片隅にも仏さまの席を用意してあげて下さい。そこだけは まめさんを否定せず、暖かさを発する場所になってくれると思います。

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有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

確かなる灯火を

まめ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「前向きになるためにはどうすれば良いのでしょうか。」・・

まず、前向きになるためには、いずれの方向が前なのかを定めないと進めません。

前向きとは、進むべき方向へと向かって歩むこととなります。

例えば、真っ暗闇の中では、どちらへ向いて進んで良いのか分からずに立ちすくんでしまうものでございます。恐らく、今のまめ様も、そのような状態であるのではないかと存じます。その今の暗闇とは、自己嫌悪・劣等感・罪悪感というマイナスの感情によるものであるかと存じます。

仏教的には、この真っ暗闇の状態のことを「無明」(根本的無知)と申します。字の如しで「明るさが無い」のであります。真理に暗いという意味でございます。この無明のために私たちは迷い苦しむこととなってしまっているわけですが、この無明の世界を脱するためにおける確かなる道筋が仏教であり、仏法はまさに暗闇を照らす灯火です。この灯火を頼りにして無明を脱していくことが望まれることとなります。

まめ様も前へ向いて歩いていくためにも、やはり道筋を示すための灯火が必要となります。前向きになるためには、まずは灯火を持つことから始められてはどうかと存じております。

その灯火は、まめ様にとってのしかるべき目標や夢など実現したいこととするのが良いのではないかと存じます。

その灯火を頼りにして、これから前へと進むことが肝要となります。もちろん、人生という道も平坦ではありません。でこぼこ道もあれば、砂浜道や砂利道、坂道もあり、危険な岩場道もあるでしょう。雨や雪も降れば、強風の時、炎天下の時もあるでしょう。それでも真っ暗闇ではなくて、確かなる灯火さえあれば、困難(自己嫌悪・劣等感・罪悪感など)を乗り越えても前へと進むことができるのではないかと存じております。

是非、この人生という道に確かなる灯火を持って進んでみて下さい。そして、その灯火により、まめ様が歩んでいった確かなる道、自らで切り開いていった道が、またきっと誰かの役に立ったり、助けにもなるのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

「前向きに生きたい・前に進みたい」問答一覧

人生を楽しく生きるためには。

ただ生きていることが辛い。 死は生からの開放でありもう苦しまなくて済むんだよ。 考えて行動しなくて済むんだよ、足掻かなくていいんだよ。 全てから目を背けられるんだよ。でも死にたいわけじゃない。 楽しい人生を過ごしたいんだ。でもそれの逆を行っている。 大学生の頃までは自分本位に遊びまくって他人を傷付けたり迷惑をかけて生きていました。この時の方が人生は楽しかったです。 ただ年齢が上がるにつれて自分本位では生きていけないことを当時付き合っていた恋人や友人から教えもらい与えてもらいました。 他人を思いやる心、素直な心、受け入れる心。たくさんの書籍を読み漁り、人に助けを乞いそれらを学び行動していきました。今では自分の成長を感じます。 その成長により得られたものは友人だと思います。社会人になっても付き合ってくれる友人はそれなりにいると思います。ありがたいことです。 親や兄弟といった家族もいます。人に支えられて生きていることが実感できます。 でもいつかは友人も疎遠になり、家族もあと2-30年もすれば先に死にます。 またMBAに通って政治経済・経営・心理・歴史と色々なことを学び得た代償はとても大きかったです。現時点では未来に希望がありませんでした。 私は希望を探すためにこれからもずっと学び行動して行かなければいけません。 ただ学んだ先に希望と絶望のどちらに行き着くかはわかりません。 私は学ぶことが好きなわけではありません。どちらかと言うと苦です。 でも自分に何か科していないと自分という存在が足元から崩れそうで怖いです。 歳を重ねるごとに虚無感が増していきます。 なぜこんな悩んでも解決しないことに時間を費やしているのか。 それは逃避だから?逃避だとすれば学びからの逃避なのか? これから頑張って生きていこうと学び足掻いても辛い。 足掻かずにただテレビ、ネットをするだけの人生も辛い。 わがままで傲慢ですね。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

恋人に前向きになってほしい

こんにちは。初めてこちらに投稿します。よろしくお願いします。 現在、私には恋人がいます。年下の大学生です。彼はもうすぐ卒業なので、仕事を探しているのですが、どうも自分に自信が持てず、就活も上手くいっていないようです。 自分は勉強ができない、能力がない、自分には何ができるのか、どんな仕事をしたいのか分からない…… もともと彼は考えすぎるきらいがあります。そしてそれが原因でストレスが溜まり、気持ちが沈んでしまうということも度々あります。 ですが、就活時期の学生の多くは、このように悩むことが多いのではないでしょうか。私も同じような経験があります。 これらのことを彼にも話し、あなただけの問題じゃない、自信を持って、大丈夫だよ、と言ったのですが、やっぱり自信がないと言います。 実は私も自分に自信が全くありませんが、楽観的な思考でもあるため、彼のように落ち込むことは少ないです。このことも彼に話しました。 たしかに自信を持てと言われても、そう簡単に持てるわけではありません。それでも、彼にはどうにか前向きになってほしいと思うのです。 彼にどのような言葉をかけてあげればいいのでしょうか?

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回答数回答 1

人生の時間が止まったままです

私は現在28歳で定職に就いておりません。 高校卒業までは、紆余曲折ありながらも何とかギリギリ人並み程度に留まって生きてこられたと思います。 ただ、それまでも常にコンプレックスや自己肯定感の無さに苦しんでおりまして、「生まれ変わりたいな」と常に思っておりました。 そして大学に入学後、大学にあまり馴染めずに、大学にも人生にも積極的になれませんでした。そんな中、両親との会話の中である言葉を言われ、自分の中で何かがプチっと切れた感覚がしました。(それ自体は大した事ではないのですが、カップの水が水際で留まっていたのが最後の一滴で溢れた感じです。もしくは逃げ道を失った感覚です) 大学にはほかの学生よりも長くかかって卒業することになりました。その間に友達もでき、恋人もいた時期もありました。今振り返れば、悪くない時期だったのですが、どうしてもあのプチっと切れた音を聞いてからの人生が、空虚なものに感じられるのです。 どうしても自分の人生に本気で向き合えない。何故ならばあのプチっの瞬間に自分の人生は終わって、それ以降は余生だから。 それ故に、例えば消費者金融で絶対お金を借りるなと親に口酸っぱく言われていても、「いいよどうせ」と借りてしまう。人との約束、自分との約束を守れない。意志が弱い。全てにおいてルーズになってしまい、夜中にもう消えたい。と思うようになりました。 たまにふと前向きに頑張ってみようという気になるのですが、どうも頑張る時期がズレてるような感覚がする。(プチッの時点で私の時計は止まっているので、それ以降どんどんズレてる感覚です。) 両親へは莫大な罪悪感と、それと同じぐらいの恨み(それくらい自分にとって人生が切れた一言は大きかった)もあり、ろくに会話もしておりません。実家に住まわせてもらっており、一人立ちしたいのですが、援助を求める事もできません。 友達もいるにはいるのですが、一緒にいると劣等感に苛まれ、たまに全ての人間関係をリセットしたくなります。 大切な恋人がいたのですが、半年前に前進しようとしない私に愛想を尽かして別れてしまいました。それからというものどうしようもなく孤独です。 これ先もずっと、自分の人生もう手遅れだと感じるのかと思うと、未来に希望が持てません。 どうやったら止まった時計を進めることができるでしょうか?

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

前に進むには

何度も同じような質問すみません。 まだ不安から抜け出せずにいます。理由は過去の質問と同じです。不安から抜け出そうとなぜ怖いのか、どう怖いのか考えてきました。不安について対処法など前に進むために色々調べたりしました。 まだ家族や友達に過去のことを知られてもいない、もしそうなった時も大丈夫だと自分に言い聞かせていますが、どうしても不安になります。大丈夫だと思える時もありますが、気がついたら後悔と不安でいっぱいになっています。また漠然とした不安がずっと頭の片隅にあって、これがとても苦しいです。大丈夫って思えるのに、思った途端に苦しい状態でいないとより最悪な事態になりそうに思えてくるんです。 親にはこのまま黙っていて良いのでしょうか。そもそも話す勇気はないのですが…(もし悪用されたときには相談しようと思っています)親には言いたくないのに、こんな汚い自分を隠して黙っているのが辛いです。時々親に話そうか迷うときもありますが、やはり言えません。汚い自分のことを話して謝罪するのが良いと思えません。親のことを考えると涙が止まりません。 今はこの状況で休みなので問題はないのですが、ほとんど自分の部屋で布団を被ってスマホと向き合って現実逃避をしたり、不安について調べたり、そんなことばかりしています。学校から出された課題をちゃんとやれるようになりたいです。 前に進むにはどうしたら良いでしょうか。 また不安についてと、親に隠し事を続けることについてもお言葉をいただきたいです。お願いします。

有り難し有り難し 4
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楽しく生きるには

はじめまして。 私は3年程前に慢性腎臓病と診断されました。新入社員として入社した1年後です。 その日から食事制限が始まり、仕事もオフィスワークしか出来なくなってしまいました。 今の会社で海外駐在することが夢だったのに、腎臓に負担をかけられないので、残業ですら多くなりすぎないように気をつけています。 1人暮らしですが、食事には気をつかいお昼もお弁当で基本的には自炊した食事を食べて、規則正しい生活を送るよう気をつけています。 それでも私の腎臓病の進行状態は悪く、病院に行くたびに少しずつ悪化しており、毎回気分が落ち込んで泣いてばかりです。 私はこの先、自分の腎臓に限界が来ても、人工透析をする気は一切ありません。透析になったら今より制限が多くなりますし、透析をして無理に寿命を延ばしたいとも思いません。 落ち込むことが多い私を両親や姉、友人は心配していつも励ましてくれますが、それがとても辛いです。なぜなら、落ち込んでいる時はネガティブな発言しか出来ず、皆んなを困らせて悲しい気持ちにさせていると分かっているからです。 こんな時、いつも早く自分なんて死んでしまえば良いと思ってしまいます。腎臓は悪くなるばかりで生きる希望はありません。 現在は食事や仕事とに制限をかけて腎臓病の進行が少しでも遅れるような生活を送っていますが、そんな事をして寿命を延ばす必要があるのか、好きなように生きて2、3年後に死んでも良いじゃないかと考えます。 落ち込んで、気を取り直して、落ち込んでの繰り返し。明るく振る舞うのも辛いです。先日、病院に行ってまた落ち込み、こんな生活に疲れてしまいました。 全てがどうでも良いように感じます。 私はどうしたら、楽しく生きる事が出来ますか? とにかく、毎日が生き地獄で辛いです。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 3
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常識人すぎて面白い小説が書けない

以前、作家になりたくて文芸誌の新人賞に投稿して入選したり地元の同人誌に投稿したり合評会に出たりしていました。 やがて普通に社会人になり、非正規ですが仕事にありつき、しばらく小説を書くのを止めていました。 それから音楽に目覚め、貯金ができたこともあり仕事もリタイアして音楽活動を始めました。 そして時間ができたので小説の方にも取り掛かり数篇書いたのですが、自分は小説を書くには狂気へのマインドブロックが強く、常識人すぎるというかバランス感覚が取れすぎていることに気がついたのです。 夏目漱石や芥川龍之介は統合失調症だったらしいし、太宰治や武者小路実篤はADHDだったらしいのですが、私は彼らほど病んでいないし異常でもないのです。 文学は人間の実存を豊かにする役割もありますが、作り手の実存は破綻しています。 私にそういう要素がないので、物語を書いたとしても、常識的な予定調和の部分が出てしまうし、人間の内心の描写がいまいち深みが足りないのです。狂気へのマインドブロックを外せば人間の心象の機微を掬いとる細やかな感性を手に入れ名作が書けるかもしれませんが、確実に実生活は破綻し太宰治みたいに酒や薬物や女に溺れるとか芥川龍之介みたいに自殺とかしかねません。 どうもそのあたり、自我の防衛のためのホメオスタシス機能が働いているのかもしれません。 私小説というジャンル自体、私事を作品という形で公衆の面前に暴露する行為ですが、私は自分の実存をさらけ出すのが大の苦手で私の内にある妄想で紙幅を埋めてしまいます。 よく商業文芸誌の選考委員の作家が「作文ではなくて文学で応募してくれ」みたいなコメントを新人賞を目指す作家に向けて出していますが、私の作品は彼らが言う作文の範疇から出ていない気がします。 鋭敏な感性は狂気と隣り合わせですが、常識人である私はそういう修羅の境地にわざわざ足を踏み入れる必要はないのでしょうか? 表現活動として音楽をやっていますが、こちらは狂気を表現してても観客の前で披露するので文学ほどではないとは思います(それでも薬物に走るミュージシャンは枚挙にいとまがないのですが…)。

有り難し有り難し 5
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