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厄年は悪い事ばかり起こるのですか?

回答数回答 6
有り難し有り難し 345

私は、今年厄年にあたります。年初め
厄払いはしたものの

今年の6月頃から 辛い事ばかりです。
当たり屋もどきのような人に車をぶつけられいまだに、解決しません。

主人からは散々責められ追い込まれ精神的に
壊れてしまいそうに。
主人は、ヘルニアに尿管結石
尿管結石では、義父に栄養管理と健康管理が悪いからだ!と嫌味を言わ
れ、自分なりにしっかり考えてやってきた事を
全否定されたようで、ショックでした。

さらに、下の子供が腕をケガし全治一ヶ月
治った所を 遊んでいて、また同じ箇所をケガ

新車納車 次の日に、青信号を通過した所を
信号無視して突っ込んできた車に 当たりそうに
危機一髪で事故は避けられましたが、
相手は、進行方向とは逆に走ってきた車でした。

厄年は、ここまで運気が無いものなのでしょうか?
それとも、何らかの試練なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの好きな数字を1~10の中で選んでください。

ちょっとテストしてみましょう。
数字の1~10の中で好きな数字を一つ頭の中で思い描いてください。
実はこれは病院の病室の番号です。
アナタだ選んだ数字は病院の病室番号です。
1号室は1番最初にお迎えが来るかもしれない
2号室は2度と帰ってこれないかも
3号室はさんざん苦しみ
4号室は死んじゃう
5号室はゴ臨終
6号室はロクでもない部屋
7号室はナがーく苦しみ
8号室はヤッパり駄目かも
9号室は苦しんで
10号室もとうとうダメかも

…と、実はこれは物事をネガティブに、マイナス、悪く考える人は(^o^)どんなものにも悪い意味を付随させて、悪く考えるのです。

反対に
1番長生き、
2ついてる、ピース、
3サイコ―
4良くなる
5ゴクローなし
6無病息災
7長生き
8ハッピー
…反対の意味にもできるのです。
要は、自分自身が、物事を何らかの不幸要素と結び付けて苦しみの種を引き寄せている状態なだけです。
結論は、アタマの中で不幸を想うから不幸になっているのです。
頭の中のスポットライトが不幸にばかりに敏感になっているから、不幸センサー、不幸サーチが働きすぎてちょっとした不幸に敏感になっているのです。
お払い、御祈祷は「それは分かっているんだけど、でもできない」その気持ちの注ぎ口を払う、といった意味合いがあります。
禅仏教は、こういう人間の意味づけによる、小さなはからいごとを捨てて、物事の根本を見極めなさいと教えます。4や9が悪いなら、四国や九州はどうなりますか?(^▽^)
なにもかも厄年のせいになさらず、あなたがより精神的に豊かな人間に成るために、人間の考えによる縛りを克服するための一つのきっかけと為さってはいかがでしょうか。

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おきもち

厄年って、90歳までに38年間もあるんです。

女性の厄年(満年齢)は、中厄が18歳と36歳、大厄が31・32・33歳です。
その他の厄年は、0・3・5・6・9・12・14・15・21・23・27・30・39・45・50・51・54・57・59・60・63・66・69・72・75・77・78・81・84・86・87・90です。

人生の約半分は厄年ってことになります。
要は「人生の幸不幸はプラスマイナスゼロ」ってことなんでしょうね。

特に中厄・大厄を見ると、人生の節目の頃ですね。
厄年だから不幸が続くのではなく、
人生の節目にあたる年頃で何か大きなことが起きる可能性があるから、
厄年と呼んで注意を促しているのではないでしょうか。

厄年だと思うから不幸なことが余計に大きく感じられるだけで、
冷静に考えれば、他のお坊さまの仰る通りだと思います。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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厄年は主役の歳?

 斉藤一人さんが「厄年は主役の年、飛躍の年」と言っていたのを思い出します。厄年は一言で気にするなと言えば済みますが、そうもいかないですね。この1年悪いことを並べましたが、いいことはありませんでしたか、考えてみて下さい。例えば、
①自分の誕生日を祝ってもらった。家族の誕生日を家族全員で祝った。(はい いいえ)
②結婚記念日のお祝いをした。(はい いいえ)
③夏休み家族でお出かけ、お泊りした。(はい いいえ)
④三食を欠かさず作り、頂いた。(はい いいえ)
⑤家族で揃って一回でも食事をした。(はい いいえ)  他にも色々・・・。
自分で幸せアンケートを作りましょう。
反対に厄年アンケートも作りましょう。
どちらが多いですか。もし、厄年の方が多ければ、「はぁー良かった。厄年来たー!」願いが叶った時のように喜びましょう。幸せが多いときは「厄年よ。なぜ、サボっておる。心配だ。」と厄年の身を案じましょう。(『日本永代蔵』には貧乏神を拝み、お供え物をして敬っていた商人が貧乏神のご加護をいただき、店を繁盛させた話が残っております。)
 一応言っておきますが、厄年が明けたら、幸せばかり訪れますか、厄年まで本当に良いことばかりありましたか?
 ここからは現実問題
①事故に関しては保険会社と警察、車のディーラーに任しておきましょう。私も今年厄年ではありませんが、接触事故しました。万が一のため保険に入っておいてよかったと思いました。私はすべて人任せにしています。
②主人のヘルニアに尿管結石は私から言わせると自己管理の問題、仕事のストレスが原因と思います。義父の中傷は嫁姑問題と同じ、嫁の悪いところを言いたいのよ。どこでも同じです。
③子供の怪我は子供だから、元気で何より。私は子供頃よく、捻挫もしましたし、転んで怪我は当たり前でした。怪我にも抵抗力を持ってください。
④乱暴な運転の車は厄年が運転していたのですか?私も当て逃げされたことがありましたが、車のナンバーを身落として警察に言っても捕まえるのは難しいと言われました。以来気を付けて、車のナンバーを見る癖をつけています。いろはさんもそうしてください。乱暴運転撲滅キャンペーンをしましょう。
 たった、4つでこの1年厄年のせいと思ってしまう。幸せは4つ以下だったのですか。

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あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのでは...
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でも、生きている。

災難が続いて、心労が絶えない日々で本当にお辛いですね。ご家族の健康が改善され、諸問題が解決することをご祈念申し上げます。

厄年は運気が無い、、、とありましたが、ご質問を読む限り、ヘルニアや尿結石はご主人、嫌味を言わねばならないような精神状態になったのは義父様、怪我をしたのはお子さんで、いろはさんは危機一髪で事故を免れた強運の持ち主のようにもとれますが…。それもこれも、もしかすると厄払いのおかげかもしれません(たまたまかもしれません)。

厄年の発祥や根拠はさておき、万事お気をつけて毎日を過ごされるのに越したことはありません。厄年であろうとなかろうと。何らかの試練なのか?と思われたのは素晴らしい発想の転換です。ひたすら落ち込むだけなのが自然なことでしょうから。

いろはさんにとって一番辛いであろう出来事とはなんでしょうか。そのことを想像し、その事が今来ていないのであれば、「厄年イコール最悪な年」という訳では無いのだ、と考えられもしませんか。

辛い日々である。それでも今、生きている、その心臓の鼓動を信じて、日々をお過ごしください。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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「何か」のせいにしたい人のサガ

いろはさま。なごみ庵の浦上哲也と申します。

危険なこと、辛いことが重なって起き、またご主人に慰められるどころか義父に責められ、辛さを増して感じていらっしゃることと思います。6月からの半年間、本当に大変でしたね。せめて私からは「お疲れさまです、大変な中よく頑張ってこられましたね」と申し上げたいと思います。

そんな厄年ですが、悪いことが大きくて見えにくいかもしれませんが、良いこともあったと思います。また、大安の日でも悪いことがおきるし、仏滅に良いことがおこる場合もあります。

つまり、生きていれば良いことも悪いこともある。けれど人間は、良いことは自分の手柄、悪いことは誰かのせいにしたい生き物なのだと思います。

お義父さんもそうですね。ご主人は、いろはさんと一緒になってからよりも、その前の人生の方がまだ長いと思いますが、その期間の栄養管理・体調管理を棚に上げ、ここ数年の管理者となったいろはさんを責めています。

ご主人はどうでしょう。「自分は仕事をして疲れて、体調不良もあって、その上事故の心配までさせるんじゃない」と責めるのではないでしょうか。でも、仕事で疲れるのも体調不良も、ご主人ご自身の問題です。いろはさんに上乗せするべきものではありません。

お子さんはどうですか? 2度同じケガをしたそうですが、お母さんを責めますか? それとも「お母さん迷惑かけてゴメンね」と言ってくれますか?

お辛いでしょうが、しっかりと引き受けて歩んでいくより他はないと思います。でも、ちょっと重荷を下ろして休みたい。そんな時にはまたhasunohaにご相談下さい。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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暦や占いの扱いについて

いろは様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「厄年」・・暦を見たり、占いをしたり、あるいは御神籤を引いたりして一喜一憂することは誰もがあるのではないかと存じます。

拙生は、暦や占いは、ある種の統計的なモノの見方の一つとして捉えています。

基本的に仏教では、占いの類は、迷い苦しみの原因になりかねず、禁止の扱いとされますが、拙見解と致しましては、例えば、注意を促す、慎重さや謙虚さを求める、強欲・貪り・慢心を諌める、誠意や努力、協調を勧める・・という点で、必要であるかとは存じております。

実際に、今手元にある暦を見ますと、拙生の六白金星の今年の盛運の月のところでも「但し、○○○」と上記のようなことが書いてあります。

私たちが失敗したり、後悔したりするような悪いことが起こる原因としましては、仏教的には「煩悩」、煩悩の大元である「無明」(根本的無知)に基づいた行いにあると考えます。

そのため、煩悩・無明を対治するべくに善なる行いを成すように求められる次第となりますが、それが上記で挙げていることともほとんど同様となります。ですので、参考とするに一つの益があるかとは考えております。

ただ、中には、恐怖や不安を煽るだけのものもありますから、誠に注意が必要となります。

あまり、暦や占いに支配されすぎたり、束縛されすぎてはいけないですが、暦や占いを全面的に否定するのではなくて、楽しみながら、一つの参考として日常生活に活かすことが大切ではないかと存じております。

以前に、問い「パワーストーンや運勢についてです。」( http://hasunoha.jp/questions/236 )にても少し述べさせて頂いておりますが、自らの人生の様々な結果は、自らの行いに縁って起こります。その行いも善い行いによってこそ、善い結果が望めることになるのであります。「善因善果」でございます。これからの日々の中で、例えば十善行(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)に頑張って意識的に取り組んで努めることからでもお勧めさせて頂く次第でございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご住職様方々 沢山のコメントありがとうございました。

嫌な事が続き 不幸の連鎖にしか考えられなくなっていました。

自分だけが不幸の連鎖 悩みだらけ

そんな考えを 一喝して頂きました。心がすっと救われた気がします。
誰からも、そんな考えや答え 言葉を言って貰えなかったので

本当に嬉しかったです。
涙が出そうになりました。

自分の考えが 前向きになれそうです。
ありがとうございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ