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死への恐怖を改善したい

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有り難し有り難し 9

初めて質問をする者です。
よろしくお願いします。
当方、大学4年生で就活活動中です。
タイトル通りなのですが、
いわゆる自分はタナトフォビアなのだと思います。
きっかけは恐らく
幼稚園の頃に経験した祖母の死
小学生の頃に経験した祖父の死
高校生の頃に経験した母親の死
だと感じています。
身の回りにこれだけの身内の死を経験した人がいなく、あまり共感はされません。
仕方のないことだと分かっています。
避けられないことだとも分かっているのです。
しかし、怖いのです。最近時間があるせいか、毎日のように死んだらどうなるのか、これからの別れに耐えられるのか、生きる意味とは何なのか、そういうことばかり考えています。
何も手につかなくなってしまいます。
周りの人たちは、こういうことを考えず前向きに将来のことを語っているのに、今の私にはそれが出来ません。私も前向きに将来を語りたいです。
心配性なところもあり、果たして自分はいつまで生きることが出来るのか、考えても仕方がない未来のことを心配してばかりいます。
周りからは明るい人間だと言われるのですが、今はとてもそんな状態ではありません。
きっと母親の死が大きすぎたのですが、高校生活が忙しく、適切に処理出来ていなかったのだと思います(泣いたら駄目だと思っていました)

同じように悩んでいらっしゃる方をここのサイトで知ることが出来、私だけではないのだと感じることが出来たのですが、やはり心配性、恐怖は改善されませんでした。様々なQ&Aを見てきた中で、なぜ仏教を学ばないのかと不思議に思うことがあるという回答をしていらっしゃったお坊さんがいたのが印象的でしたので、初心者にもおすすめな本などがあれば教えて頂ければ幸いです。

避けられない運命を、せめて受け入れられる考え方、心得を教えてほしい、助けてほしい。

以上、長文にお付き合いいただきありがとうございます。

2019年3月28日 18:59

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死の恐怖を持つのは当たり前のこと

質問者様は身近な人が「死」によって離別したことを「我が事」に感じていることでしょう。現代のように高度な文化文明が発達している上京においては、「他人事」に感じているひとも多数おられると思います。しかしこの世に生命を受ける万物は年齢、性別、貧富に関わらず、必ず「死」をも無条件に受け入れざるを得ない定めです。仏陀釈尊も仏教の法を見出だしたきっかけは「なぜ死ななければならないのか?」という苦悩より始まりました。「死」を恐れることは本来生命を認識するところにおいて、意識すべきものです。他ならぬ仏陀釈尊こそ、この究極の命題を解決するため、一般の生活を離れる「出家」の道を選んだのです。質問者様が纏う「死への恐怖」を理解し、どの様に対処するか?という大いなるヒントは、仏陀釈尊が説かれたことを纏めた「経」に記されています。先ずは中村元先生の著作、例えば岩波文庫「ブッダ~の~」などのシリーズを熟読しては如何でしょうか?生硬な文体で少々読みづらいかもしれませんが、きっと得るところはあると思います。肝心なことは、仏教書を読み、共感することがあれば、知識で終わらせず、自身になぞらえて実践することです。さすれば必ずや死の恐怖をはじめとした様々な悩みにも光明が見いだせる筈です。

2019年3月29日 13:56
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有り難し
おきもち

だからこそ

拝読させて頂きました。
あなたが死について恐怖や畏敬の念を持たれるのは当然のことです、それはあなただけではありません。
「タナトフォビア」という言葉は私はしりませんでした。それでも私もあなたも皆さんが死について様々に感じ考える事は必然です。
身近な人の死によって普段忘れている死について考えざるを得ない状況に全ての人は直面します。
そしていずれ自分の死を考えざるを得ないのです。

昨年私も母が天寿を全うしていきました。最近大切な友人が亡くなりました。
昨日は本当に親しい檀家さんが亡くなりお葬儀をお勤めさせて頂きました。
私達は様々なご縁によって生かされています。だからこそ親しい方ご縁のある方の死そして葬儀は本当に大切な機会を私達に与えてくれます。

私もあなたも誰しもが恵まれてその生命を頂いて沢山の方々やものごとに育まれて今を生かされています。
そのことに気がついて生きる意味を見出していくきっかけを与えてくれるのが死です。

寝ていても起きていても毎日私は死を考えながら生きています。
それが日常です。

死は怖いですけれども受け入れていくことでもあります。
そしてだからこそ限られたこの生命をどう生きていくかが大切です。

私はこの生命を頂いて多くのご縁を頂いた事に感謝します、そして有難き仏教に巡り合えた事を感謝しております。

あなたもきっと様々な出会いやご縁の中で様々な経験を通して大切なことを見出していかれることでしょう。

どうぞ素直なお気持ちで無理のない範囲で死に向き合い、そしてあなたの豊かな人生を歩んで行って下さいね。

あなたがこれから素晴らしいご縁の中で大切なものを見出していかれ心から豊かに実り多き人生を歩まれます様切にお祈り申し上げます。

2019年3月30日 10:57
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして8年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

「死ぬのが怖い」問答一覧

死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

死について考えるとパニックになります

死ぬことがとても怖いです。 死んだ後、こうやって今文字を打ってる、自分という存在はどうなるのかと考えると、怖くて仕方ありません。 死は逃れられないのだから、どうにか死を受け入れられるように、死というものに悲しいイメージを抱かないようにと、お釈迦さまの考えや、聖書など様々なものを読みました。 ですが、いざ死について考えた時、魂という存在や天国、地獄など、それらのものが無かったら?と考えてしまいます。 最近はニュースなどで殺人や自殺など誰かが亡くなってしまう内容を見ると、死は突然訪れるのだと強く感じ、とても苦しく、死にたくないと叫び泣いてしまいます。 こういう話を周りに相談すると、後悔の無いように生きることを全うする、考えても仕方ないのだから考えないようにするなどアドバイスをいただきます。 ですが、後悔の無いように生きても、私は死にたくないんです。死ぬ前に生きてて楽しかったな、なんて思える気がしません。 不老不死でいいのかと言われたら、それで構いません。私という存在が無くなることの方が怖いです。 死からは逃れられないという気持ちと、死ぬことが怖いと思う気持ちどちらも交互に出てきて、また教えやアドバイスを受けても、実際はどうなのか分からないじゃないかと考え受け入れることが出来ない、そんな自分はどうすればいいでしょうか。 まとまりのない文章となり申し訳ございません。お願いします、助けてください。

有り難し有り難し 39
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