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欲と我の違いは何ですか?

私は欲と我はほぼ≒だと思っています。
合ってますか?

仏教では我はどう定義されますか?

仏教
有り難し 34
回答 2

質問投稿日: 2019年4月2日 9:29

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

藤川 誠海

我が在る故に欲が生まれる。

質問読ませていただきました。

仏教で「我」について明確な定義があるのかどうか、浅学な私にははっきりとはわかりません。
ですので、私見を述べさせていただきます。

「我」というのは「自己」であり「自分」であります。つまり自分の存在そのものです。
ですので、「我」があるから「欲」が芽生えてくるという関係になるのではないでしょうか。
たとえば「我を通す」という言葉は、「自分という存在や意見を認めさせたいという欲を押し通す」というように解釈できるでしょう。

また、「我利我利」「我利私欲」との言葉も、「自分という存在を利する為に、欲を生じる」という現象に由来する言葉であります。

このように「我≒欲」というよりは「我→欲」という関係の方がしっくりくると思います。
理屈上「欲」を消し去ることはできたとしても、「我」という存在そのものを消すことは不可能ですから。

どちらにせよ、欲望のままに貪ぼったり、我を押し通すのではなく、「自利他利」の精神で人生を歩んでいくことが大切なように思います。

何か参考にしてみて下さいね。

5ヶ月前

「五蘊仮和合」

仏教好き様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「我」とは、「私」、「自分」などと同じものと考えれば、「自分を自分足らしめているもの」ということですが、あくまでも、それも、「五蘊仮和合」として、色々な要素としての色・受・想・行・識などが集まってできているもので、では、どれが一体、「我」、「私」、「自分」なのかと申しましたら、「これだ」と言えるような実体が、実はどこにも見当たらないのであります。

そんな見当たらない「我」(という実体)に囚われて、必要以上のものを求めようとするのが、「欲」であると言えるのではないだろうかと存じます。

その「欲」も全てが悪いというわけではなく、善い欲と悪い欲を見極めていくことが必要となります。

そのあたりは、仏教における「戒律」が見極めの参考になるところであります。

「我」につきましては、実体としては成立していない「空性」ではあるものの、「縁起」として、つまり、この場合は、「五蘊仮和合」として成立しているものと考えるところとなります。

川口英俊 合掌

5ヶ月前

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