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欲と我の違いは何ですか?

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有り難し有り難し 41

私は欲と我はほぼ≒だと思っています。
合ってますか?

仏教では我はどう定義されますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

我が在る故に欲が生まれる。

質問読ませていただきました。

仏教で「我」について明確な定義があるのかどうか、浅学な私にははっきりとはわかりません。
ですので、私見を述べさせていただきます。

「我」というのは「自己」であり「自分」であります。つまり自分の存在そのものです。
ですので、「我」があるから「欲」が芽生えてくるという関係になるのではないでしょうか。
たとえば「我を通す」という言葉は、「自分という存在や意見を認めさせたいという欲を押し通す」というように解釈できるでしょう。

また、「我利我利」「我利私欲」との言葉も、「自分という存在を利する為に、欲を生じる」という現象に由来する言葉であります。

このように「我≒欲」というよりは「我→欲」という関係の方がしっくりくると思います。
理屈上「欲」を消し去ることはできたとしても、「我」という存在そのものを消すことは不可能ですから。

どちらにせよ、欲望のままに貪ぼったり、我を押し通すのではなく、「自利他利」の精神で人生を歩んでいくことが大切なように思います。

何か参考にしてみて下さいね。

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京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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「五蘊仮和合」

仏教好き様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「我」とは、「私」、「自分」などと同じものと考えれば、「自分を自分足らしめているもの」ということですが、あくまでも、それも、「五蘊仮和合」として、色々な要素としての色・受・想・行・識などが集まってできているもので、では、どれが一体、「我」、「私」、「自分」なのかと申しましたら、「これだ」と言えるような実体が、実はどこにも見当たらないのであります。

そんな見当たらない「我」(という実体)に囚われて、必要以上のものを求めようとするのが、「欲」であると言えるのではないだろうかと存じます。

その「欲」も全てが悪いというわけではなく、善い欲と悪い欲を見極めていくことが必要となります。

そのあたりは、仏教における「戒律」が見極めの参考になるところであります。

「我」につきましては、実体としては成立していない「空性」ではあるものの、「縁起」として、つまり、この場合は、「五蘊仮和合」として成立しているものと考えるところとなります。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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