hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

欲と我の違いは何ですか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 41

私は欲と我はほぼ≒だと思っています。
合ってますか?

仏教では我はどう定義されますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

我が在る故に欲が生まれる。

質問読ませていただきました。

仏教で「我」について明確な定義があるのかどうか、浅学な私にははっきりとはわかりません。
ですので、私見を述べさせていただきます。

「我」というのは「自己」であり「自分」であります。つまり自分の存在そのものです。
ですので、「我」があるから「欲」が芽生えてくるという関係になるのではないでしょうか。
たとえば「我を通す」という言葉は、「自分という存在や意見を認めさせたいという欲を押し通す」というように解釈できるでしょう。

また、「我利我利」「我利私欲」との言葉も、「自分という存在を利する為に、欲を生じる」という現象に由来する言葉であります。

このように「我≒欲」というよりは「我→欲」という関係の方がしっくりくると思います。
理屈上「欲」を消し去ることはできたとしても、「我」という存在そのものを消すことは不可能ですから。

どちらにせよ、欲望のままに貪ぼったり、我を押し通すのではなく、「自利他利」の精神で人生を歩んでいくことが大切なように思います。

何か参考にしてみて下さいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお勤めさせていただいております。山手の方にある、自然に囲まれた日蓮系宗派のお寺です。 13才から僧侶となり、たくさんの方と関わってきました。 現在は42才となり、3人の子育てに奮闘中です!また、教育関係の仕事にも勤めたことがあります。 自分の経験したこと全てが私自身の糧となり、それが人を救う力になればいいなと、何があってもポジティブに考えるようにしてます。 その経験を活かし、 ・人間関係 ・将来の不安 ・仏事全般 など、様々な質問に答えていきたいと思っております。 何か悩み事がある、個人的に相談したい、質問について他の人に知られたくない、という方は遠慮なくメールにてご相談下さい。 今までにたくさんの方からメールにてご相談をいただいておりますので、気軽にご相談してみて下さいね! また、ハスノハの回答には字数制限があり、私の回答に対するお礼に返事が出来ない場合も多々あります。ですので、返事を望まれる場合もメールにてご連絡下さい。 メールアドレスは下記をご参照下さい。 一両日中に返事をするようにしておりますが、こちらからの返事が届かない場合は、 ・メールアドレスを間違えていないか ・受信拒否設定はどうなっているか を確認して、もう一度メールを送っていただければありがたく思います。 また、お寺に直接訪問されてのご相談も受け付けております。その場合は、まずメールか電話にてその旨をお知らせ下さい。 お寺の予定と照らし合わせて、日時を調整させていただき、お寺の詳しい場所などをお伝えいたします。 ただし、電話回線が1本しかないこと、他の法務の電話が多いことから、失礼ながら電話での悩み相談は承っておりません。 直接お寺に参詣されての相談か、メールにての相談に限らせていただきます。 また、直接お寺に参詣されての法事や、ZOOMを通じての法事なども受け付けておりますので、希望があれば何でもご相談ください。 メールアドレス joukai4378+soudan@gmail.com 電話番号 0774-65-0161
法事や行事がなければ、平日・休日共に 9:00~12:00 14:00~17:00 の時間帯で相談できます。 土曜日や祝日の前の日なら、お寺の予定が何もなければ 21:00~ でも相談できます。 他にも調整できる場合もあるので、お問い合わせください。 人に話をしたり言葉に出すことで、気持ちが晴れたり、考えがまとまったりすることもあります。 どうぞ遠慮なくご相談ください。

「五蘊仮和合」

仏教好き様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「我」とは、「私」、「自分」などと同じものと考えれば、「自分を自分足らしめているもの」ということですが、あくまでも、それも、「五蘊仮和合」として、色々な要素としての色・受・想・行・識などが集まってできているもので、では、どれが一体、「我」、「私」、「自分」なのかと申しましたら、「これだ」と言えるような実体が、実はどこにも見当たらないのであります。

そんな見当たらない「我」(という実体)に囚われて、必要以上のものを求めようとするのが、「欲」であると言えるのではないだろうかと存じます。

その「欲」も全てが悪いというわけではなく、善い欲と悪い欲を見極めていくことが必要となります。

そのあたりは、仏教における「戒律」が見極めの参考になるところであります。

「我」につきましては、実体としては成立していない「空性」ではあるものの、「縁起」として、つまり、この場合は、「五蘊仮和合」として成立しているものと考えるところとなります。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ