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生まれてみたら 偶々人間だった、それだけのことなのに...

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有り難し有り難し 16

私は小学六年生の時の日記に
『人間は そろそろほかの生き物たちに恩返しをする時代にならなければおかしい』と書いていた者です
この、根の深い痛切な感覚には、その後は自ら強い麻酔を打ち続ける思いで何とか半世紀ばかり長らえてきたのですが、8年ほど前から、その麻酔もすっかり効かなくなってしまったようで
今や、人類の殆どあらゆる所業が、私には受け入れ難いものになっています
他の天体から見たなら、何千万種もの生き物の中、一種族だけがこれ見よがしに繁茂している星なんて、なんと残酷な・・破滅が近いな・・なのでは?

3/27にもお書きしましたが
現在、人類が行き詰まっている 大もとの根っこにある大問題は
我々の存在も《この星の成分の欠片(の一瞬の姿)》であることを忘れ捨てたような、はち切れんばかりの傲慢さであると思えて仕方ないのです

きれいな夜景..? この星の命である「表土」がぐちゃぐちゃにされて..としか、私には見えず.. (癌細胞が光っているようにすら見えてしまいます)
 生命に満ち満ちた、緑深きこの国の山々にゴルフ場..?
この星の生き物の一員として、正気の沙汰とは思えません
(家を建てるだけでも夥しい生き地獄が発生しているわけで..
地鎮祭の意味も、もはや茫漠として..)
人間だけが快適な空間へと破壊が進む街なかでは、縁の下という空間は消え、水を飲める場すら潰され...
苦痛に喘ぐものたちの悲鳴を聞く耳もなく..
更に、惨殺という過去の真事実を忘れたのか「〇〇危惧種」などとは どの口が..と、苦しすぎて、耳にも口にもできない事象が日常に溢れています
ほんの0.何%の 極めて幸運な動物に対して「かわいい・癒やされる」という言葉が出てくる感性が、理解不能です

私は(“奇跡の一本松” よりも、更に幾重もの偶然の結果、何とも有り難いことに)
【生まれてみたら、偶々人間だった】
それだけのこととしか思えないのです

何十世代も語り継がれてきた口承文芸の中には、たいへん大切な
《我々は大昔から、ほかの生き物たちにどれほど助けられてきたことか..その感謝の気持ちを忘れてはいけない》という深い心が伝えられてきたものと私は思っています
かつて「日本昔ばなし」というTV番組の主題歌 “いいないいな人間ていいな” との歌詞を耳にして愕然としました
これは全く真逆なのではないでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

地球も宇宙も人間も共に生きれると良いですね

共生は日々願う事が最も大事かと
そうする事で己の日々の生活が寄っていくものです
私は山深いところで人より沢山の動物に囲まれて育ちました
長い間自分が人間であるという事実より
動物でありたい
自然の一欠片でありたいと
幼くもそう願ったものでした

人間となった今も^_^
その思いは生きてます
私は自然農を研究し続けてまして
「おそらく初」と言われておりますが
無農薬でさくらんぼも作れるようになりました
暖房も近くの農家さんの老木になった果樹を利用し
薪ストーブで暖をとります
鶏が産んだ卵を頂き
作ったものが多ければ
物々交換したり
多過ぎればお金に変えます

節には山に入り山菜やキノコを学び必要最低限頂きます
カモシカや猿に一歩的に話しかける変態ぶりは子供の頃と変わりません^_^

一人でこういう大きな問題を抱えて生きるのは苦しく暗いものです
どうしようもない問題と向き合う時
真剣になってはいけません
解決できない問題はケセラセラです
本当に思っていれば考えるより行動を変えるべきです
もし土いじりに興味があれば「パーマカルチャー」や「自然農」をやっていたっしゃる方々などと交わると
良い共感やヒントがあるかもしれません

土は宇宙に繋がってます

合掌

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おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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想像して苦しむよりも実践してみてください

全生命に対する人間の有様についてのお考えは、まことにその通りと思います。

一方で我々は全く偶然に人間に生まれたわけではありません。生命は因果によって輪廻を繰り返しますが、我々が今生で人間の形で生まれてきたことには、まぎれもなく「因」があり、我々の今生の生命の形はその「果」です。

これは生命の形として、かなり良い線をいっているのです。
道元禅師は次のように言われています。
「われらは過去の善の因によって、なかなか生まれ難い人間として生まれた。そして、会い難い仏の教えに会うことができた。これは繰り返す輪廻の中で、実に稀有な幸福である。またとない好機である。そのような貴重な今生の生命をおろそかにして浪費してはならない」

「暗いと不平をいうよりも、自らすすんで明かりをつけなさい」という言葉はキリスト教の聖パウロの言葉だそうですが、仏教においてもその考え方に違いはありません。

人間は想像することによって自分の苦しみを増やします。
テーブルの上に垂れたお醤油を見て「あー、テーブルに匂いがついちゃう」「間違って、その上に手を置いたら、手まで汚れてしまう」「ほっておいてカビが生えたらどうしよう」等々と自分の想像によって、悩み苦しみが増えてしまいます。
この問題を解決するには、自分でこぼれたお醤油をふき取るのが一番です。

人間ひとりができる事には限りがありますが、それは誰にとっても、どんな生命にとっても同じことです。
全生命に対する人間の有様に疑問があるのならば、それについてあれこれ想像して苦しむよりも、自分自身は自分のできる範囲でより良い有り方を実践してみるのが、自己にとっても全生命にとっても最善の道だと思います。

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有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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「生きるのが辛い」問答一覧

どうしていいか分かりません

いつも素敵なお言葉のお陰で幸せに生きております。前提としてこれは贅沢な悩みなんだと思います。 仕事も安定し趣味のイラストも沢山の人に見てもらえ多分幸せなんだと思います。ただ、私自身幸せというのがよく分からなくなりました。 前から好きな人がいます、私自身暇な時間が多くどうしてもその人を考えてしまいます(よくないことは分かるのですがなかなかうまくいかず....。) 少し前に会う機会があったのですが、私自身は人生で一番かというくらい楽しく笑顔で話せたのですが、好きな人はあんまり楽しくなかったようで、また少し距離ができました。 好意を持ってほしいですがこれは他人の気持ちなのでコントロールできないとは言い聞かせ、引き続き自分ができる範囲の努力をしていこうとは考えてます。 好きな人が他の人と楽しく話しているとどうしても悲しくなります。 私の悪いところで一般的に楽しいという事が最近楽しくないです。 ・簡単な会話やただ褒めるだけの会話 ・美味しいものを食べるとか、いいねが多いとか一般的に楽しいというもの ・孤独が好きなこと ひねくれているし人間関係が悪くなるのは当然だなと思いながら毎回こんな風に生きているので、最近何が何だか分からないです。 幸せなんだと思うんです、お金も生活も安定して好きなことして、。好きな人もいて好きな人は最近幸せそうで。 ただ、1秒でも好きな人にハグされたかったなぁ

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休めない五月を生きるために

いつもお世話になっております ここ数年、副業が複数ありフリーランスに近い働き方です 五月の労働時間は、週50時間を超えそうです 仕事上の成果も、おかげさまでそれなりに実を結んでいます 今までの経験を活かし、新人や若手を育てる役目も担える立場にもいます 相手や自分の未熟さを受け入れた上で、焦らずにじっくりと正しく成長に繋がる選択をする、相当の忍耐や心の広さも周りの重鎮・長老的な立場の方から教わり、なおかつシニア層の心身のケアをお返しして長期雇用継続を支えているような毎日です 毎日が自己実現のための勉強や経験、プラスの成果・収穫に富んでおり、有り難く充実しています 副業先からは「もう少し来てほしい」と請願されています そしてまた子育てもあります 腹を割って話す、本気で向き合う時間と労力の必要な時期です 子のいないところで、伴侶とも話し合いをし、お互いの方針への理解を深めようと思っています 親の背中からの子の言動に、頭を抱えてしまうこともしばしばです 悪い芽は早く摘む「今のままでは自立が遅れ本人にとっても親にとっても良くない」と感じた時は、折に触れて伴侶にもちかけたり、子にも心の内を打ち明けています 一時期干渉をし過ぎたこともありましたが、なかなか距離のとり方は難しくも、子どもの反発は成長のあらわれだともわかり、それほど自己嫌悪=凹まなくなりました 家の事は特に課題が多く、正直氣の休まる時間はもっと必要です 忙しさに追われるとますます余裕がなくなるため、週3〜お寺に伺い読経や御詠歌の稽古で心身を落ち着け、行事にも出仕しています 治療家からの助言 若手専門家 「自分のからだと相談」「今は(定期的なメンテナンスで)安定しつつある」 指導員級専門家 「体調が崩れる原因は頑張り過ぎ、とにかく無理をしないこと」「なるべく温存するぐらいで、ちょうど良い」 自分自身、心と体の健康バランスを保つために 「空白の時間をつくる」「何もしなくてよい時間」疲れを回復させる時間が必要だと思いつつ 有り難いことに仕事が入ってきます 過信をせず 仕事の調整が必要だと判断し 余力を持ちながら 5月を乗り越えたいです 仕事を受け貯金もし 学校への目標達成へ 走り続ける目先の得より 自分を大切に ちゃんとエネルギーを 残しつつ皐月も勤しむよう お坊さんからの慈悲のお諭しをいただけますか

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学校に行くのがつらい、生きるのがつらい

こんばんは。見て下さりありがとうございます。 最近生きる気力がありません。 おそらく原因は数ヶ月前、仲がいいとおもっていた友人に裏切られたことです。 信じていたのにと、どうしようもなく勝手に思ってしまいます。他人に過度に期待を寄せすぎたのかもしれません。 自分にも非や自業自得な部分もあり、相性が合わないのは仕方ないことだと思うので、お互いのために距離を置いたりすること自体は普通だと思うのですが、最近その友人と友人のグループから嫌がらせのようなものを受けていて、私は写真を撮られること自体が嫌なのに勝手に写真を撮られて挙句の果てにはTwitter(鍵垢)に載せられたり、いろんなところで悪口を言われたりしていて、今まで信用していただけにとても悲しくてつらいです。 4月になってからクラス替えをしてその子たちとはクラスが別々になったのですが、廊下などですれ違う時にくすくすと笑われたり、わざと聞こえるように気持ち悪い、死ねなどと悪口を言われたりします。 私が気にしすぎなところもあるとおもいますが、気持ち的にかなりしんどいです。 言葉にするのが難しいのですが、宿題をしようかなと思った時に親に宿題やれと言われるとやる気が無くなるのと同じような感覚で、なにしようとおもったらいつも誰の声が聞こえる訳でもないのに誰かにそういったことを言われてる気がして、怖くなったりすべてに怯えてしまってなにもできなくなってしまいます。 頑張って生きようと思っても、誰かに生きるなだとか、あの子たちにしんでしまえと言われている気がして、苦しくて生きるのがつらいです。 私はこれからまともに生きていける気がしません。 どうしたら、今より楽な考え方で生きていけると思いますか。 お坊さんのお考えをお聞きしたいです。

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行動への強迫観念?と推しへの不安

私は、自分のちょっとした行動が不幸をもたらすんじゃないかという不安にずっと取り憑かれています。 「不幸をもたらす」の対象は、自分だけでなく自分の大切な人だったりしてかなり苦しいです。 その行動一つ一つは大したことなく、「洗い物をしなかった」みたいな少し悪いこともありますが、大抵「ジュースの缶を左手で持った」みたいな本当にしょうもないことです。 どんな行動に対してそう思うのか、ということに決まりがある訳じゃなく、急に「こうしないと悪いことが起きてしまう」みたいに思います。 別に昨日はジュースを飲む時に缶をどっちの手で持ってもよかったけど、今日は左じゃダメって缶を持つ瞬間に思って、持ち替えたり、或いは間に合わなくてそのまま左手で持っちゃったり、という感じです。 ところで私は競馬が好きで、推しの騎手を応援するという楽しみ方をしています。 ですが先日、ある騎手の方がレース中の事故で命を落としました。 今まで怪我は見たことがありましたが、死亡というのは私の見ている中央競馬では長い間なかったことで、なんだかんだ帰ってきてくれると思っていただけに、とてもショックでした。私の推しではありませんが、推しの相棒とも言える馬の調教によく携わっていた方で、お子さんも産まれたばかりだったそうです。 そして改めて騎手という仕事の危険性を実感しすごく不安になりました。それでも競馬は楽しいし、見るのをやめるというのは亡くなった騎手の方にも、これからも頑張り続けるであろう自分の推しにも失礼だと思うので見続けますが……。 そして、その不安がそうさせるんだと思うんですが、上に挙げたような自分の行動が推しやその周囲のことを傷つけないか不安です。 回避できたらまだいいですが、行動を途中で止められず回避できないことも多いです。さっきもそうでした。 車は急に止まれないって言いますが、そんな感じだと思います。たとえばジュースを左手で持ったらいけない、って思ってもその時左手がジュースを持つ体勢に入ってたらそのまま持ってしまいます。 頭の中で「〇〇したらダメ!」ってなるのが、回避できるか否か微妙なタイミングだったりする時があるのも大きいです。 うまく説明できなくてすみません。 自分でも馬鹿だと思いますが、日常が少ししんどいです。

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日々を過ごすための気の持ち方

30代の男性サラリーマンです。未就学の子供が二人いるのですが、幸い私の仕事がほぼリモートワークで家事や育児もかなりこなすことができています。子供たちは勿論大事なのですが、例えばお風呂に入ろうだとかやらないといけないことを声掛けしても無視したり逃げたりと、正直うんざり気味でかわいくないなと思うことが最近増えてしまっています。内心一秒でも早く成長して好きなことを見つけ、早く家を出て欲しいです。 夜は夫婦日替わりで子供を寝かしつけ、20時には自由時間になるのですがやりたいことも何も無く、少しスマホをいじって21時には就寝してしまいます。昼のうちは夜になったらあれをやろうとか考えるのですが、いざ子供が寝ると何もやる気が起きず、眠くなるまで虚無のような時間を過ごしてしまうのがここ数年の悩みです。 妻は夜遅くまでネット上の繋がり等で好きな時間を過ごしており、それも妙に居心地が悪いのも私が早く寝るようになった原因な気がします。 最近、子供への苛立ちや妻との距離感、やりたいことも皆無な日々を過ごすにつれ、早く歳をとってさっさと死にたいという無気力な諦めのような気持ちが強まっています。 そんな自分の感情に向き合うのも疲れてきて、最近はイライラしたり子供に怒鳴りそうになったらあえて感情を抑えて無表情でやりすごす術を身に着けたので少し楽になってきましたが、より一層諦観が満ちて悪循環に陥っている感じです。 仕事に打ち込めればいいのでしょうが、生来無気力な人間なので労働自体が好きではなくそれも難しいです。育児のままならなさと比べれば仕事のストレスは極めて些細で心身の負担にならず、家族を養うのにも十分な収入をいただけていることはことは唯一の救いです。 振り返ると幼少期より怪しい宗教に借金にとろくでもない両親のもとで育たことで、期待せず自分の意志を殺して生きるのが身に染み付いているのかと思います。 長々と書いてしまいましたが、私のような不平不満ばかりの無気力な人間はこの先何十年もどう生きていけば良いのでしょうか。自分が恵まれた環境にいることは重々理解しており、甘えるなというのが回答かもしれません。自分の気持ちを前向きに切り替えて頑張るしかなく、きっとこんなところで人頼みにするようなことではありませんが、家族や周囲の人にこんな甘えた相談もできず、何かアドバイスがもらえないかと思い相談いたしました。

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仕事を変えてでも地元に帰るか悩んでいます

何度かこちらでお世話になっております。 前回は実りあるご回答頂き、誠に感謝いたします。 あれから根っこの問題について。 地元に帰る事について改めて考えました。 身内の事情も考えて、心機一転と安易な気持ちでと事前に下調べもせずに移り住んだ事は軽はずみであったと思います。 身内とも相談しました。 「私の事はよいから自分を優先して私たちの故郷へ帰りなさい」と言いますが、現に経済的支援や通院などの必要性が出ているので口でそう言われてもと思ったりもしてしまいます。 身内と共に帰るとなれば、私が養っていかなければならないのですが、それも悩みの一つです。 地元に帰っても長年続けてきた仕事は出来そうになく、全く違う分野の仕事になりそうです。 年収も減るのでその心配もあります。 同じ仕事を出来ない理由は特殊な施設で働いていて、数少ない求人が出ていても労働条件が基本悪いです。(有給を年間5日以上使えない、年間公休日について、時間外労働など)今の業界は職員の自己犠牲の上に成り立っている部分があります。 なので、同じ施設の求人が出ていても、ある程度選り好みをしなければ元の木阿弥ですので慎重になってます。(人不足は人間関係の悪化、雰囲気に影響する) この前履歴書を書いていたのですが、職歴が2枚目になってしまいました。 今の仕事内容はとても好きで、手足が自然に動くほど慣れ親しんだものです。一番の悩みは今の仕事の人間関係、大半の人の人柄です。 今の地に長い事居たら自分主義の適切でない利用者への対応など、価値観が自分に染まっていくのでは?と漠然とした不安もあります。そうならないよう自分を強く持ち続ける事の大切さも理解しています。 どうしても帰りたいのなら違う仕事でも挑戦してみるべきでしょうか? 自身の拙い社会人歴を振り返ってですが、、 地元(および近郊都市)でおそらく余程の万年人不足のところを選ばなければ、今より人間関係においては改善される可能性は高いのかなと思っています。 お導き頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

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人のために生きること

人のために生きることってダメなことですか? 親が離婚し母子になってから、母に自慢に思ってもらえる娘であることを目的として勉学進路職業を決めて生きていました。他にも彼氏や友達、自分の手の届く範囲の人のために何かをすること、相手に嫌われないことを第1に生きてきました。 誰かのために生きていると、当然ながらその誰かはいつか居なくなることもあります。彼氏と別れる、友達と疎遠になるなど。その度、異常なほど心を病み、代わりを見つけたくなってしまいます。大人になるにつれ、それはどんどん加速し、あまりの落ち込みに仕事に行けなくなる、常に不安で涙がでる。そんな症状がでるようになりました。 先日、人生の目的の大部分を占めていた母が、見ず知らずの男性との再婚を希望したこと、それにより自分はその知らない男性の家には帰れず、実家を失うに等しい状態になったことに、頭が真っ白になりました。 突然、目的を失ったような感覚です。 彼氏や友達との別れ、母との距離に落ち込んでいると、必ずと言っていいほど、 人のために生きてるからダメなんだよ。自分のために生きないと。そのようなニュアンスのことを多くの人に言われます。 恐らく私は他人に依存している、そのような意味合いで言われているのだと思います。 確かに、生きる意味になってる人を失った時、周りから見たら恐ろしいほどに傷つき、目的を失うことで無気力になるのもわかっていますし、これを何度も繰り返すことは自分の心に良くないことも分かっています。 それから人のために生きることはダメなんだと思い、代わりを探すのをやめてみました。すると、ふわふわしてなんとも言えぬ不安に襲われ暴れそうになってしまいます。 生きる目的になる人を探さないと、心が安定しません。いけないことでしょうか?いけないのだとしたら、自分のために生きるってどういう状態を言うのですか?教えてください。

有り難し有り難し 14
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新しい環境への不安で潰されそう

先週知っている人も全くいない土地に引っ越してきました。一度住んだことのある市ではありますが全く馴染みのない場所で実家も同じ市ですが車でも電車でも1時間以上掛かります。 引っ越した理由はマンションの購入、そして夫が以前の場所では勤務先まで2時間ほど通勤に掛かっていたので職場に通いやすくなること。 私は前の住居がとても気に入っていて一歳の息子がいることもありママ友がいたり、子育て広場があったり、近くの商業施設などが充実していたり、、、と本当は引っ越したくなくてかなり夫とぶつかりましたが、妥協も必要だろうと結局引っ越すことになりました。 (引っ越しても、近くにスーパーがある、子育て広場もある、駅にバス一本でいけるなど過ごしやすい環境が充実しているということ) 出来るだけポジティブに前向きに考えようとインテリア探しをしたり、引っ越しても新たな楽しい場所を開拓しようと息子を連れて出掛けたりしていますが、ふとした瞬間に今まで週3回ほど通っていた以前の子育て広場の保育士さん、顔見知りのママたちに会えないことを痛感し凄く寂しくて心が潰れてしまいそうになります。 まだ今の場所では子育て広場に行ったこともないし知っている顔も1人もいなくてこれからもずっと友達出来ないかもしれないと思うと切なくて涙が出そうです。 母に相談しても心配されるだろうし、夫には引っ越す時でさえもママ友は新しい場所で作っていくもの、今のママ友と離れるのが寂しいと言ってもそんな深い関係じゃないとあんまり気持ちを分かってくれなさそうで話しにくいです。 (といいつつ昨晩気持ちを、素直に話しましたが私を責めるわけでもなく友達できるよみたいな軽い感覚で、、、) 新しい環境なんてみんな緊張の連続であることは重々承知なのですがあまりに狭い世界で生きてる気がして辛いです。 今妊娠6ヶ月で更に一歳の息子を育てていて心がいっぱいいっぱいになっています。 不安ばかりが勝ってしまう新生活でどうにか明るい気持ちを持って新生活に臨みたいです。 ポジティブになりたい、元気に過ごしたいこの気持ちは常にあるのになかなかそうは行かず辛いです。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ