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子どもに教えていくこと。

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現在、3歳の男児を育てているシングルマザーです。未婚で出産しました。

子どもは、今はまだ自分にパパがいないことを疑問に思うことはない様ですが、これから、いつかは『なぜ自分にはパパがいないのか?』と思って、聞いてくる時が必ずくると思います。
その時の為に、今からいろいろと考えているのですが、まだ物事がよくわからない時期に、パパがいないことをどんな風に伝えるのが一番良いのでしょうか?

ちなみに、相手とは籍を入れる前に妊娠し、浮気をされたことにより、未婚での出産となりました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「どうして?」の多様性を知る

 こんにちは。3歳児ということは、会話が成り立って来た年代ですね。一応やり取りはできるけれど、まだまだ抽象的な言葉を理解するには経験が足りません。つまり。

 「どうして?どうして?」と聞いているけれど、「理由を話す」だけが応え方ではない

ということを、予め知っておくべきです。もちろん子どもに対して誠実でありたいと思うのでしょう。それはよく分かります。しかし、「どうして?」を連発し始めた時期に、「実はね…」と全てを話す必要はありません。
「ねぇお母さん、どうしてウチにはお父さんがいないの?」
「ん?そう、お父さんがいないのが寂しいのかな?」
と言えば、必ず「うん」と答えます。そのことで…
寂しさをフォローすればいい、という文脈になるのです。
言葉上ではなく、子どもの「寂しい」という気持ちをフォローすれば。言葉なしでもできますよね。

子どもはまだ、「どうして?」という言葉の持つ多様性を知らないのです。
「経緯を知りたい」「原理を知りたい」「やり方を知りたい」「理由付けを知りたい」などの応え方がありますよね、「どうして?」には。
 更に先、子どもが明らかに「経緯を知りたい」という意味で使ってきたら。
「うん、いつか話してあげるよ」でも良いのです。ただし!お母さんが、子どもから信頼される人になっていなければ、この言い方は通じません。お母さんが待てと言って、自分が待って、そして良い事がある。悪いようにならない。その信頼がないと、「待てる子ども」にはなりません。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

そのまま伝える

子供にはウソはいりません。
「そうだったんだ」で理解されることがあります。
ただし、伝える表現は優しくお伝えください。
叱られる事もあるかもしれません。
一つのウソは100の嘘が必要になります。
感情を捨て、事実だけをそのまま伝える他はないと思います。
詫びるべきは詫びましょう。

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有り難し
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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お子さんが悲しいことだとマイナスにとらえないように

あなたは、私が愛した人との間にできた子供なんだよ。と言ってあげてください。
愛の結晶なんだと。
別れてしまった理由は話す必要はないと思いますが、「いっしょにいるのが難しくなってしまってお別れした」と。

大人になるころには、話も理解してくれるでしょうから、話す時期が来たら話してもいいと思いますが、お子さんに寂しい思いをさせないように。いっぱい愛情を注いであげてください。パパの分まで愛情注ぐよと笑顔で抱きしめてあげてください。

悲しいことではないんだということも分かってもらえるように伝えてあげたいですね。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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