hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

空性とは

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

 藤岡俊彦 様 から「色即是空」の空は「空性」であるとのお話がありましたが、私がある宗教学者から教えてもらったのは次のようでした。

  「空の実名」〔解説〕
  ところで、空が形容詞か名詞かということに関してですが、サンスクリット原典で言えば、五蘊皆空の場合は「五蘊の自性はみな空(ZUnya)」となり、ここで空は形容詞です。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、諸法空相、是故空中は、いずれもサンスクリット原典では空性(ZUnyatA)であり、これは「空であること・その性質・その状態」といった抽象名詞です。

 空がそのまま空であれば一意に決まりますが、空性となれば、具体的に何かを決定しなければなりません。

 それは般若心経に明確に記述されています。

 そのキーワードが「諸法空相」です。

 花山勝友先生の解説によれば諸法とは「この世の中のあらゆる存在や現象」となっていますから、星座やオーロラも含まれて「宇宙」と考えるのが妥当と思います。

 般若心経はその大部分が「色(身体)」と「受想行識(心)」に関する記述です。

 その中で「諸法(宇宙)」という突拍子もない巨大な話が割り込んでいますから、その必然性が問われます。

 花山勝友先生は「諸法空相」を「諸法は空であるから」と解釈していますが、「空である」と言う理由では「色」も空ですから色で代用して充分だと思いますので諸法の必然性はありません。

 諸法の必然性は自然界の中で唯一「閉じた系」であるからです。

 「閉じた系」の利用価値は皆さんも中学か高校で学んだように「エネルギー保存の法則」ですね。

 これから推測して、「空性」は「エネルギー」と断定して間違いないと思います。

 その傍証として、それに続く「不生不滅」は「初めに空(性)ありき」ですから、エネルギーは宇宙の生成元として適合しています。

 そして「不増不減」は空性が計量単位を持っていることを示しています。

 エネルギーも計量単位を持っています。

 因みに「不垢不浄」は直接エネルギーとは関係ありませんが、諸法実相との顕著な対比として例を挙げたと考えます。

 空性をエネルギーとしてみれば、「色即是空」は「e=mc^2」を示していると考えられます。

 このように般若心経は、最後の呪文を除いて、人体の空性の科学的記述に満ちていると思います。

2019年6月4日 16:52

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「空性」とは

来生さま

「空性」とは、簡単に申せば、「実体が無い」というありようのことを申すところとなります。

もちろん、「実体」は無くても、存在は確かに存在しています。何も無いという虚無ではありません。

しかし、私たち凡夫は、その存在の現れについて、その存在が、まるであたかも、それがそのもの自体の側において実体としてあるかの如くに現れてくることに囚われを起こしてしまうのが問題となってしまっているのであります。

しかし、そんな実体は微塵も無いということが、「空」、「空性」ということになるのであります。

では、存在、現象とは、どのように成り立っているのかと申しましたら「縁起」としてあり得ていると考えるところとなります。

エネルギーも、実体として成り立っているものではなく「空」であり、もちろん、「縁起」としてあり得ているものであるとお考えを頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

2019年6月5日 12:12
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

川口英俊 様 ご回答を有難うございます。

 仰るとおり「空性」は「実体」がありません。

 私が「空性」を「エネルギー」と解釈したのは、エネルギーが実体ではないからです。

 誤解されやすく、エネルギーは常時慣れ親しんでいますので、物質と間違えられるのですが、「動き」や「力」であって物質を動かす働きをします。

 それが、過去ビッグバンによってエネルギーの一部が物質化(実体化)したのです。それは不思議なことです。

 質量のある物質はすべてエネルギーの産物です。アインシュタインはそれをe=mc^2 と関係式を成立させました。

 釈尊は般若心経でそれと同じことを2500年前に瞑想だけで発見し、「空性」と名づけて伝えたのです。

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 42
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 42
回答数回答 3

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る