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空性とは

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 藤岡俊彦 様 から「色即是空」の空は「空性」であるとのお話がありましたが、私がある宗教学者から教えてもらったのは次のようでした。

  「空の実名」〔解説〕
  ところで、空が形容詞か名詞かということに関してですが、サンスクリット原典で言えば、五蘊皆空の場合は「五蘊の自性はみな空(ZUnya)」となり、ここで空は形容詞です。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、諸法空相、是故空中は、いずれもサンスクリット原典では空性(ZUnyatA)であり、これは「空であること・その性質・その状態」といった抽象名詞です。

 空がそのまま空であれば一意に決まりますが、空性となれば、具体的に何かを決定しなければなりません。

 それは般若心経に明確に記述されています。

 そのキーワードが「諸法空相」です。

 花山勝友先生の解説によれば諸法とは「この世の中のあらゆる存在や現象」となっていますから、星座やオーロラも含まれて「宇宙」と考えるのが妥当と思います。

 般若心経はその大部分が「色(身体)」と「受想行識(心)」に関する記述です。

 その中で「諸法(宇宙)」という突拍子もない巨大な話が割り込んでいますから、その必然性が問われます。

 花山勝友先生は「諸法空相」を「諸法は空であるから」と解釈していますが、「空である」と言う理由では「色」も空ですから色で代用して充分だと思いますので諸法の必然性はありません。

 諸法の必然性は自然界の中で唯一「閉じた系」であるからです。

 「閉じた系」の利用価値は皆さんも中学か高校で学んだように「エネルギー保存の法則」ですね。

 これから推測して、「空性」は「エネルギー」と断定して間違いないと思います。

 その傍証として、それに続く「不生不滅」は「初めに空(性)ありき」ですから、エネルギーは宇宙の生成元として適合しています。

 そして「不増不減」は空性が計量単位を持っていることを示しています。

 エネルギーも計量単位を持っています。

 因みに「不垢不浄」は直接エネルギーとは関係ありませんが、諸法実相との顕著な対比として例を挙げたと考えます。

 空性をエネルギーとしてみれば、「色即是空」は「e=mc^2」を示していると考えられます。

 このように般若心経は、最後の呪文を除いて、人体の空性の科学的記述に満ちていると思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「空性」とは

来生さま

「空性」とは、簡単に申せば、「実体が無い」というありようのことを申すところとなります。

もちろん、「実体」は無くても、存在は確かに存在しています。何も無いという虚無ではありません。

しかし、私たち凡夫は、その存在の現れについて、その存在が、まるであたかも、それがそのもの自体の側において実体としてあるかの如くに現れてくることに囚われを起こしてしまうのが問題となってしまっているのであります。

しかし、そんな実体は微塵も無いということが、「空」、「空性」ということになるのであります。

では、存在、現象とは、どのように成り立っているのかと申しましたら「縁起」としてあり得ていると考えるところとなります。

エネルギーも、実体として成り立っているものではなく「空」であり、もちろん、「縁起」としてあり得ているものであるとお考えを頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

川口英俊 様 ご回答を有難うございます。

 仰るとおり「空性」は「実体」がありません。

 私が「空性」を「エネルギー」と解釈したのは、エネルギーが実体ではないからです。

 誤解されやすく、エネルギーは常時慣れ親しんでいますので、物質と間違えられるのですが、「動き」や「力」であって物質を動かす働きをします。

 それが、過去ビッグバンによってエネルギーの一部が物質化(実体化)したのです。それは不思議なことです。

 質量のある物質はすべてエネルギーの産物です。アインシュタインはそれをe=mc^2 と関係式を成立させました。

 釈尊は般若心経でそれと同じことを2500年前に瞑想だけで発見し、「空性」と名づけて伝えたのです。

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