意識と緊張
精神的な病気を持っていて、デイケアに通っています。
今日、デイケアに実習に来ている学生さんが、とても気さくに話しかけてきてくれて、いろいろな話をして、楽しかったのですが、気になることがあり、冷たい態度?をとってしまいました。理由は言って伝わるかわからないですが、その学生さんが兄と同じ名前だったため、何か縁があるんじゃないか、と過剰に意識し、緊張してしまい、その人と話をするのが怖くなってしまったからです。過去にも同じようなことを相談しましたが、同じことを繰り返してしまっています。これが私の病気なのだといえばそうなんですが、つらいです。
学生さんには、スタッフから、冷たい態度をとってごめんなさい、少し気になることがあって、と伝えてもらったのですが、これでは正確に伝えきれてないので、明日デイケアで会ったら、正直に、名前が気になって、と、言おうと思います。その学生さんは心理士になるために実習に来ているので、理解してくれることをねがって。
相談としては、どうしたら、私の、この、何でも緊張してしまう、意識してしまう癖が治るかというのと、
その、冷たい態度というのが、デイケアのプログラム中に、話かけなかった、というのですが、彼にはやはり冷たい態度か、拒絶されてるように感じただろうか?ということです。これをお坊さんに聞いてわかる話かというと、その状況をくわしく説明してないので、どうとも言えないならそう言って下さって結構です。ただ今日のことを誰かに聞いていただきたくハスノハへ投稿しました。なにか仏教に関わるお立場からのご意見あればうれしいです。
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過去は変えられないけれど、経過であることを知る
こんばんは。お話を聞かせてくださって、ありがとうございます。と言いますのは、「なるほど、そういう所に敏感な方もいらっしゃるのだな」と学べたからです。
名前については私も過去に衝撃を受けたことがあります。幼稚園の時、後から転入してきた子が、私と同じ名前でした。「え?この名前は僕のもののはずなのに…!」と、世界が揺らいでしまい、今に至るまで「あの時は恐ろしかったよ−」と昔話のネタにする程です。
ですから、貴女が今回体験したこと、分かる気がするのです。
その時、その衝撃によってとった行動自体は、今から取り返せるものではありません。過去を変えることはできません。けれど、それもまた人生というシナリオの一コマなのです。あなたが今、後悔しているとすれば、その時と今が繋がっているからです。過去に影響されて今があるのです。
ということは、未来も今日に影響されているわけです。彼の視点からすれば、もしかすると「拒絶された」と感じたかも知れません。けれど、これからの行動によって、「あの時は拒絶されたように感じたけれど、後から訳を聞いてみたらナル程、と理解できた」という流れになる可能性は大きいです。まして彼は心理職に就こうとしているのでしょう?人とは長い目で付き合っていくべきであることは理解していると思いますよ。
ですからね、「緊張してしまう傾向がある」、それはそのままに「でも、あとからフォローできることもある」と知り、試みていくことをお勧めします。
うっかり勢いで嘘をついてしまい、自分が気まずくなって「なーんて、嘘だよーん」と言えばよいように。仏教的には「人間は、自分が一番かわいい」。そのため自らを守ろうとして色んなことをします。しかし、そこに自覚的であってフォローするように努めていけば、それで良いのだろうと思います。いずれ「無理して自分を守らなくて大丈夫だ」に至るからです。
質問者からのお礼
お優しいお言葉をありがとうございます。今回のことは、スタッフにフォローしてもらったので、もういいかなと思えるようになりました。後からフォローできると言っていただいたのは、その通りだなと思いました。
幼稚園のときの体験を覚えてらっしゃるのは、こわかったとしても、思い出として大事になさっているのだなと思いました。
私に同じことができるかはわかりません。けれども、自分を守ろうとしてやってしまう行動については、後からフォローはできるよ、大丈夫だよと自分を安心させたいと思います。
夜中に考えが止まらなくなって、どこかに吐き出したいと思うときに、こちらのサイトで、だれかが私の思いを聞いてくれると思うことは、気持ちの負担が軽くなるような気がしています。ありがとうございました。