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仏は「やさしさ」について何か/何を語られていますか

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私の世界には、まだやさしさがあるから、やさしい人たちがいるから、それを受け止める力がまだあるから、まだ生きていたい。すべての人にではないにしろ、私にはまだやさしく生きる力が、やさしくできる力がかろうじて残っているから、まだ生きている意味はある。

そんなように、生きる意味を考えることがあります。

ただ、やさしさには、厳しさや面倒ごとからの逃避としての、悪い結果をもたらすやさしさもあるような気がし、また、思いやりや、相手の立場になって考える力、という表現も、やさしさ、ということの一側面しか表していないような気がします。

自分のやさしさを自省し、他人のやさしさを信じ続けること、直接的・間接的につながるやさしさの循環の中に生きようとすること、それが良く生きるということなのかな、とも思いますが、しかし肝心の「やさしさ」とは何かについて、考えるほどに、答えが拡散していきます。

「やさしさ」ということについて、仏は何か語られているでしょうか?

2019年7月12日 20:24

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私はただ書きたい回答を書きました。さぁ、どうする?

仏教とは、智慧と慈悲の生き方です。そんな仏教には八万四千通りの生き方があるとも言われます。それだけ人生とか優しさというものは、一筋縄ではいかない複雑で多彩なものだという例えでしょうね。

このご質問にもきっと八万四千くらいたくさんの回答の切り口があろうかと思います。そんな中で、パッと私が書かせていただきたいと頭に浮かんだのは、『相手に目を付けない優しさ』です。

例えば托鉢。托鉢では、「施した物やお金を受け取った人がどう使うか」という結果に目を付けません。施す側は施す側の善意で完結します。
逆に、受け取る人も目を伏せたり笠で視線をさえぎって、施した人と目を合わせません。「どのような人がどのように施したか」に目を付けないのです。受け取る側は受け取る側の善意で完結します。

非常識に感じられるかもしれません。でも、今の日本に欠けているものはコレです。

例えば電車で席を譲りました。「私を年寄り扱いした!悲しい!怒ったぞ!!!」となります。何故でしょうか?答えは簡単。善意を受け取るのが下手くそだから。席を施した人を勘ぐり、「レッテルを貼られた」というレッテルを貼り、善意を善意ではない悪いものにすり替えてしまう……日本中で、一事が万事でこんなことばっかりやってるから、クレームだらけ、マイルールだらけの窮屈な社会になってしまったのです。

施す人が偉くて施される人が弱者なのではなく、施す人は施させていただくという優しさで完結。受ける人は受け取らせていただくという優しさで完結。おのおのが、おのおのの優しさをまっとうできれば世界はきっと生きやすくなるでしょう。
変に話を大きくしないことです。

まず小難しいことを考えるのは止めて、他者の行いに感謝と敬意を持って受け取るということをやってみましょう。他者というのは人に限りません。陽の光も、水の一杯も、鳥の声も、ご飯の一膳も、もちろん人々の営みも……。
相手のことはどうでもいいんです。ただ感謝と敬意を起こしているその瞬間、その心は、生きやすい穏やかな心でしかないのです。そういうことを積み重ねると、頭ではなく感性が自然と優しさの循環の味をしめてくれるでしょう。

2019年7月13日 0:22
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 生きとし生けるものが幸せでありますように
 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
 生きとし生けるものの願い事が叶えられますように
 生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

 私の嫌いな生命が……

 私を嫌っている生命が……

 生きとし生けるものが幸せでありますように

というセットになっています。これが、あいまいではない完ぺきな「やさしさ」だと思います。

 問題は、自分が、この「やさしさ」をどのくらい強く持てるかどうかです。本来は利己的な生命がこの気持ちを持つためには、この言葉を唱えたり心の中でしっかり念じることが大事です。
 宗教法人日本テーラワーダ仏教協会のホームぺージで見ることができます。
 

2019年7月13日 7:56
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こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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