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「師匠無しは外道です。仏教は世界を救うためにあります」

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有り難し有り難し 113

坐禅会で副住さんと二人きりだった。
気候に依るか、今日は二人だけという縁に依るものであったのか、僕がムカつく顔をしていたのか…なるようにして、そうなったのでしょうが…。
会話量は僕が2、お坊様が8くらいでした。法話聞きに行ってるので。
風の吹き方一つで虫の居所も変わるでしょうし…なるようになったのか?

「山には色んな入口と登り方があり、諸宗教も同じですよ。」
僕「山なんて本来無いのでは?」
「貴方と話してるとウンザリするんですよ…こう言うのも面倒くさいんです(半笑い)」
「えっ」
突然だったので驚きました。これは何らかの方便なのでしょうか?
縁が整った故の個人的な考えですが、神様には個々人の内に誕生日があって、各々が見聞していく中で神々の造形や威光が深められていき、その信徒が己の生み考えた偶像にひれ伏すようになっていく。そういった一切は縁起に依り、各々が思うように仕立て上げていると気付くために坐禅等の諸行によって三昧、思い込みの縄を解き、無自性=縁起に気付き、よくよく見極めていく。
「自覚」縁起の教えが仏教。そこが諸宗教と一線を画する所では?
と考えています。
そう思える縁が整っただけですが…。

上記のような屁理屈だって蹴倒れる程に悲しい。
因縁仮和合云々並び立てても殴られりゃ痛いし、彼の軽蔑は悲しい。
それで心相続していって変遷していく。
またその場の気分も風の吹き方一つで変わるので、次はお寺に行くかもしれないし、行かないかもしれない。嵐か地震が来るかもしれないし、実際は考えに依ってくれないし。

世界を救うって何を…?
僕「師がいなくて外道なら、在家信者は外道ですか?」
「師ならそこらじゅうのお寺にいるでしょう。
解釈に囚われているから、そういった考えになるんです」
僕「はい」
「ウチは檀家100件を超えておりますが、法事をして救いもして、救いもしない事が救いになる事もありますよ」

「師について学ばないとオウムと変わりませんよ。空だから〇してもいいっていう」
僕「え?(なんで突然オウム?そもそも誰かを〇すなんて)」

彼が気に入るだろう答案を提出できる縁に僕は恵まれなかった。

痛い位に今日の彼から伝わってきたのはもう僕に二度と会いたくないってこと。
僕が出来るのって出来る限り接する人に親切にしていこうと願う事位。
世界を救うって何?彼の真意は何でしょう?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目の前の人への親切を学びましょう

必ずしも優しく慰めるのが優しさというわけではありません。どストレートに書きます。

考え過ぎです。
「貴方と話してるとウンザリするんですよ…こう言うのも面倒くさいんです(半笑い)」
この言葉をそのまま受け止めましょう。

①揚げ足とりは面倒くさい

>「山には色んな入口と登り方があり、諸宗教も同じですよ。」
>僕「山なんて本来無いのでは?」

こういうのを「揚げ足をとる」と言います。とても嫌われる態度です。

また、揚げ足とりに教えがからむと、しばしばモラハラ(モラルハラスメント)になりがちです。相手を縛り、傷付ける恐れがあります。言った本人にその気がなくても“無意識の攻撃”になってしまいます。

②普通の話し言葉を使いましょう

>縁が整った故の個人的な考えですが、神様には個々人の内に誕生日があって…「自覚」縁起の教えが仏教。そこが諸宗教と一線を画する所では?

このように専門用語や文語を並び立てると、「自分の世界にどっぷりひたっていて面倒くさい人」という印象を与えます。
正直言いまして、読み手は「縁が整った故の個人的な考えですが」という書き出しの時点で読む気が半減し、「神様には個々人の内に誕生日があって」の時点で完全に置いていかれて読む気が失せます。言い回しの1つ1つがみな不親切な言葉選びになってしまっています。

③素直に謝りましょう

>風の吹き方一つで虫の居所も変わるでしょうし…
>そう思える縁が整っただけ…

自分に非があるかもしれないとは1ミリたりとも思ってもみない、あるいは思ってもすぐに逃げる人なのだなという印象を受けます。

>蹴倒れる程に悲しい。
因縁仮和合云々並び立てても…

どう転んでも自分は被害者としか思えない人なのだなという印象を受けます。

>またその場の気分も風の吹き方一つで変わるので…

相手の気持ちに配慮しない人という印象を受けます。
「副住職さんに不快な思いをさせてしまい、申し訳なく思っております」と言える素直さ、そして『人情』を身につけましょう。

かなり厳しいことを書きますが、お坊さんにここまで感じさせるということは、一般の方々にとってはこの数倍苦痛なコミュケーションになってしまっているはずです。マズいですよ、これは。
教え云々は全て手放し、社会人としてごく普通のコミュケーションを学びましょう。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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プライドの煩悩は誰にでもある

プライドの煩悩は誰にでもありますから、自分を否定されると嫌な気分になります。
あなたの返答が副住職のプライドの煩悩を刺激し、副住職の返答もあなたのプライドの煩悩を刺激し、煩悩のせいでストレスが生じたのかもしれませんね。
教えを聞きに来ているのではなく道場破りのように、あなたが、副住職を試すような挑戦的質問をしてしまった(そう受け取られた)可能性はあります。
「外道」というのは、本来は「仏教以外の宗教」という意味です。
六師外道(仏教以外の六人の思想家)という言葉もあります。
日本で間違った宗教(悪い外道)の例を挙げるときに、オ○ムは最も有名でわかりやすい例だと思いますので、単に思いついたからその名前を出されただけでしょう。
たしかに、仏教を学びたいならお坊さんから学ぶのが筋であり、勝手に経典や仏教書を解釈するだけだと危険です。
口伝など、書物に書かれていない伝承もありますし。
仏教用語をパクっているが内容は外道(僧侶から教わった内容ではなく勝手な解釈)というような新興宗教みたいにならないように、気をつける必要がありますね。
在家信者でも、菩提寺の住職など、お坊さんから学んでいるなら外道ではないと思います。
コンビニの数よりお寺は多いのですから、仏教を学びたいなら、師は日本全国どこにでもいるのでしょう。
「山などない」のかもしれませんが、せっかくお釈迦様が登った道の道標が残っているのに、わざわざ道なき道を行くのは効率的ではない気がします。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様へ
回答、ありがとうございます。
道なき道を征く…道無き未知…か…
響きがカッコイイから、その道を選ばざるををえないですね…
希望としては、やはり王道を往きたいですね。
お釈迦様が菩提樹下で悟りを開かれたその時、
釈尊自身に八万四千もの法門の内一つを選びだしたという自覚はあったのだろうか…?
悟りって奴には効率も非効率もあるのかな?と勘繰ってしまう…
何というか、人様のご都合で関門を拵え、難易、道が設けられているように思えてしまって…
例えると、敵を倒してレベルアップ、ボスを倒してクリアするっていうRPGみたいな感じに近いですかね?仏教がゲームみたいで…。何だかご都合な感じ。

色んな修行方法があり、南伝、北伝の違い…大乗でも初期、中期、後期で違って…、
巷で話題のヴィパッサナー瞑想にもパオ式やらマハシ式やらゴエンカ式やら…手動瞑想アナパナやら…
ヨーガでも種類が多いしなぁ…

もう多すぎ!たまげたなぁ…惑わされちゃいますよ!
在家者は何を選べばよいのやら…。だからこその独学は毒学って事なのですね!
導き手が必要不可欠だと…。
コンビニの数より多い寺から、また話し相手でも探してみますかね…
悟りを開かれたお坊様を見つけ出して是非とも直にお会いし、教えを乞いたいと思いました!!
頭の上にレベル表記があれば、分かりやすいんだけどなぁ…
こうやって考える機会を下さり、有難うございます。精進いたします。

大慈様へ
あなたの回答来るって思っていました。
大体いつもストレートな回答ですよね。注目しております。
あんま変化球は投げない感じの剛腕ピッチャーって感じ。

①揚げ足とりは面倒くさい

ですよね…。
阿難さんみたいな記憶力ないし…文面まんまの会話ですらなかったかもしれないけど、
ただ、もしまた会えたなら謝ろうと思いました。誰が悪いからとかじゃなくて。

②普通の話し言葉を使いましょう

お坊様相手の質問サイトだから、多少の用語を混ぜても別にいいんじゃないか?と思って書いちゃいました。早計でした。コミュニケーションって難しい。
読み手は、というより貴方がなのでは?と思っちゃった…w

③素直に謝りましょう

>「副住職さんに不快な思いをさせてしまい、申し訳なく思っております」と言える素直さ、そし>て『人情』を身につけましょう。

わかりました。次会えたなら素直に謝ろうと思います。人情も特盛ふりかけご飯で。

>かなり厳しいことを書きますが、お坊さんにここまで感じさせるということは、一般の方々にと>ってはこの数倍苦痛なコミュケーションになってしまっているはずです。マズいですよ、これは。
>教え云々は全て手放し、社会人としてごく普通のコミュケーションを学びましょう。

お坊さんにここまでってなんでしょう?…一般と何が違うのでしょうか?
その人をどこまで知っているのですか?
それに僕がその一般の方々(なにこれ?)とやらと、どんなふうに会話し過ごしてるかも知らんでしょう。
そこは正直余計なお世話かな…w

文章の書き方をお教え下さり、有難うございます。
これからはもっと注意を払っていきたいですね。読み手にもっと配慮して書こうと思います。
コミュニケーションにも細心の注意を払っていきたいですね。
難しいけど善処します。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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