告知
86歳父親が肺がんになり食事するたびに胸がいたいらしいです
痩せてゆく父親に癌の告知するべきか悩んでます
ボケてはいませんが、母がこのまま告知しないで死なせてといいましたが、私は癌とゆうことを父親に告知して何かしたい時間を過ごさしたいと思ってます。いろいろな考えがありますが よろしくお願いします。入院まだしてません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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その前に心得ておくべき事
お父様ががんを患いながらも、心安らかで、長生きされますことを祈っております。「人はがんが治っても死にます」これはちゃんと心得ておかねばなりません。
私も死にます。いつか死にます。できたら静かに安楽に死にたいものですが、それも自分の思うとおりにならないのが人生。思い通りにならないことを苦しみと言います。
ですから思い通りにさせようとのぞまなければ苦しみはありません。
人間がこちらに良かれと仏の川の水を引き寄せれば我田引水。
仏の川の流れに逆らわず順ずれば、法にかなった生き方。
お母様はお父様に安らかに、自然に気づいてほしいと願っておられるのかもしれません。自分の体のことは自分が一番分かるものですから自然にお気づきになられる方がショックは少ないと思います。告知よりも大切なことがあります。
どんどん会話をしてください。残り物のない会話をすることです。親子であれば多少のいさかいごともおありだってでしょう、深奥までお話することです。多くの方は亡くなった後に話したくても話せないことが残り、亡き後も苦しい思いを引きずられます。きちんとした親孝行、家族愛からの話し合いができた方は亡くなっても喪失感がないと言います。
お母様にもご一読願えたらと思います。命は有限です。
不完全な対話、不完全なコミュニケーションは生きている者同士だって辛いです。
どんなことでも話し合うことです。男同士ですと意地の張り合いもあるでしょうが、生前に懺悔、いさかいを赦し合うまで話すべきです。親をありがたいと思える敬い、敬愛、孝順の心が自分で確信が持てるまで自分を優先させないことです。
一切が有限であるという事がすべにお見えになられ得ておられるのですから、お父様の御背中に自然に手が合わさるはずです。生あるうちにあなたと、ご家族が為すべきことがきちんと見えてこられますよう、祈っています。
インフォームド・コンセント
hiro様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
この度はお父様のこと、誠にご心配でございます。
お父様は、医療機関の受診時に何かインフォームド・コンセント上の明示をなされてはおられないのでしょうか。
最近の傾向としましては、特に初診の際に告知についての本人への意思確認を行う場合がございますので、それも少しお確かめを頂けましたらと存じております。もしも、お父様が告知を拒否なされておられれば、告知をすることは本人の意思に反することになってしまいかねず、そこは慎重に致す必要もあるかとは存じます。
ご本人のインフォームド・コンセント上の明示が特に無いとなれば、最近は、緩和ケアを導入する医療機関も多くなっており、告知することでご本人の意思を尊重しての緩和ケアを受けつつ、余命を有意義にお過ごし頂けることもあるかとは存じております。
もちろん、この告知の判断は、後々に遺恨を残さないためにできるだけ家族間の合意によってなされるのが良いのではないかと存じております。特に長年連れ添われてお父様のことを十分に熟知されておられるお母様の意思も当然に無視はできません。改めてお母様とも今一度十分に話し合い、必要となれば医師や他の家族・親族も交えて話し合われてお決めになられるのが良いのではないかと存じております。
愛する者と別れなければならない苦しみである「愛別離苦」・・これまでのご質問の中でも誠にこの苦しみにつきまして僭越にも多く扱わせて頂いて参りました。
いずれ来たる臨終のことにつきましては、問い「末期がんの父親にどう接したら良いかわからない」( http://hasunoha.jp/questions/227 )におきまして、また、尊厳死におけることは、これまでも、問い「死について」( http://hasunoha.jp/questions/324 )・問い「後悔の毎日」( http://hasunoha.jp/questions/172 )・問い「最期に苦しむということ」( http://hasunoha.jp/questions/95 )にてそれぞれ扱わせて頂いておりますので、宜しければどうか少しくご参照を賜れましたらと存じております。
川口英俊 合掌
寄り添い、聴く
hiroさま
お久しぶりです、なごみ庵の浦上と申します。
以前のご相談の件、その後いかがでしょうか。
今回は、hiroさんのお父さまのことですね。
私は基本的に、本人への告知はするべきだと思います。もちろん伝え方は熟慮しなければなりませんが、伝えなかったことによる後悔は、後々ぬぐえないものとなります。
それに、回りが何と言おうと、ご本人は勘づくのだと思います。ご高齢ではありますが、死に直面してやっておきたいことなどあるかもしれません。それを「肺炎だから、調子が良くなったら」などと伝えてしまえば、ご本人も死を直視するのは辛いでしょうから、「そうか、そうしよう」と無理にご自身を納得させることになるかもしれません。
いずれにしても、お父さまもお母さまもhiroさんも、ギクシャクしてしまうのではないでしょうか。それに、伝えなかったことによる後悔は、お母さまやhiroさんの、その後の悲嘆をより大きなものにしてしまいます。
…とは言っても、伝えて後悔する可能性も皆無ではございません。
私の母はこういう話題になると「怖いから告知しないで!」と言います。もし病気になったら、どうしようかと悩みますが、それでもきっと最大限の配慮をして告知をすると思います。
寄り添って支えるよ、という姿勢を示しながら伝える。
そして告知後は、お父さまの思いを聴き続ける。
それが最善の道だと、私自身は思っております。
告知
難しい問題でありますが。私の大学時代の研究は生死論でした。現在も取り組んでおります。私の両親も告知いたしました。お釈迦様の教えは 生老病死。しかしながら本当は 死病老生 臨終を習えと言うこと。ご家族でよくよく話し合われ、最後の時間をどのように過ごすか。そして一番大事なのは尊厳死。本人のご希望です。もしご本人様が今までに告知や隠し事をしないでくれといっていたならば、告知するべきでは・最後の時間はあっという間に過ぎ去ります。後悔をされないことが一番ではないでしょうか?おそらく僧侶の間でも意見が割れるのでは。そのくらい大切な大事な問題です。開運寺 住職 秋山現信