悟りについていくつか質問
悟りとは何ですか?
本当にあるんですか?証明できますか?
なんで釈迦の時代以降ずっと悟った人が出ていないんですか?
ずっと悟った人が出ていないのは伝わった修行法に欠陥があったためとは考えませんか?
悟りはキリスト教の死後の世界のような鼻先に吊るされた架空の餌ですか?
なぜ悟ってないのに人に指導するのですか?知らないことを人に教えるのは間違いを産む原因を作ってると思いませんか?まずは確実に悟ってから人に教えた方がいいのでは?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの疑問は誰でも一度は考えることだと思います。当然の疑問だと思います。
私自身悟ってはいませんので、あくまで未熟な私個人の仏教の受け取り方であることを前置きして回答します。
お釈迦様は弟子たちが悟りに至る為にたくさんの教えを授けました。
その中に波羅提木叉(戒律)があります。
これは「別々解脱」という意味です。
戒律を一つ守れば一つの解脱つまり悟りがある、ということです。
嘘をつかなければ一つの悟りを得る、人を殺さなければ一つの悟りを得る、人の物を奪ったり盗んだりしなければ一つの悟りを得る、という具合に、良いことをすれば一つの悟りを得る、悪いことをすれば一つの悟りを失うということです。
その全てを満たしたお釈迦様を仮に100%の悟りとすれば、お弟子さんたちは0〜99%の間で日々精進して、お釈迦様に近づこうとしているのです。
お釈迦様の時代から現在まででお釈迦様のように100%の悟りに至った人が居たのかどうかは分かりません。
しかし、日々人々の為に奔走している人、誰かのために一生懸命働いている人、震災の時に無償で援助する人、身寄りの無い子供を大切に育てている人、この世には良い行いをしている人、あるいは良い行いをしたことのある人が沢山います。
彼らは一時的にでも例えばですが50%の悟りの境地に達していたのではないかと私は思うのです。
そしてそういう50%悟った人達からは、やはり50%の悟りに至る何かを教わることができるのだと思います。
例えばプロ野球選手じゃなくても、親が子にキャッチボールを教えることはできるようなものです。
東大を卒業してなくても、親が子に算数を教えることはできるようなものです。
そして、100%悟りに至ってない坊さんでも、数%程度の悟りなら人に教えることはできるのです。
ただし、この場合坊さんが数%は悟っていないといけません。その為に坊さんは日々戒律を守るように努めないといけないし、それぞれの宗派の教義を学び実践していないといけません。
ここハスノハの坊さん達もあなたを100%の悟りに至らせることはできないでしょう。
しかしあなたがより良く生きていく上でのヒントを伝えることはできると思います。
これまでの多くの人への多くの回答の中に1%の悟りが散らばっていると思います。
まあ長くなりましたが、つまり、一緒に頑張ろうねということです(^^)
論理的に考えよう
惜しいですね。
問い1,2は、悟りの性質上、答えにくいところです。
しかし3は、問いが間違っています。まず、あなたが「悟った人が出ていない」をどうにかして確定してからでないと、このように問えません。
以下の問いも、同様に、まだ問えません。
悟りが何か、経典の言葉だけでも、少しは知ることはできます。拙著『悟りの四つのステージ』(サンガ)をご参照ください。