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悟りについていくつか質問

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

悟りとは何ですか?

本当にあるんですか?証明できますか?

なんで釈迦の時代以降ずっと悟った人が出ていないんですか?

ずっと悟った人が出ていないのは伝わった修行法に欠陥があったためとは考えませんか?

悟りはキリスト教の死後の世界のような鼻先に吊るされた架空の餌ですか?

なぜ悟ってないのに人に指導するのですか?知らないことを人に教えるのは間違いを産む原因を作ってると思いませんか?まずは確実に悟ってから人に教えた方がいいのでは?

2019年7月24日 4:36

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの疑問は誰でも一度は考えることだと思います。当然の疑問だと思います。
私自身悟ってはいませんので、あくまで未熟な私個人の仏教の受け取り方であることを前置きして回答します。
お釈迦様は弟子たちが悟りに至る為にたくさんの教えを授けました。
その中に波羅提木叉(戒律)があります。
これは「別々解脱」という意味です。
戒律を一つ守れば一つの解脱つまり悟りがある、ということです。
嘘をつかなければ一つの悟りを得る、人を殺さなければ一つの悟りを得る、人の物を奪ったり盗んだりしなければ一つの悟りを得る、という具合に、良いことをすれば一つの悟りを得る、悪いことをすれば一つの悟りを失うということです。
その全てを満たしたお釈迦様を仮に100%の悟りとすれば、お弟子さんたちは0〜99%の間で日々精進して、お釈迦様に近づこうとしているのです。
お釈迦様の時代から現在まででお釈迦様のように100%の悟りに至った人が居たのかどうかは分かりません。
しかし、日々人々の為に奔走している人、誰かのために一生懸命働いている人、震災の時に無償で援助する人、身寄りの無い子供を大切に育てている人、この世には良い行いをしている人、あるいは良い行いをしたことのある人が沢山います。
彼らは一時的にでも例えばですが50%の悟りの境地に達していたのではないかと私は思うのです。
そしてそういう50%悟った人達からは、やはり50%の悟りに至る何かを教わることができるのだと思います。
例えばプロ野球選手じゃなくても、親が子にキャッチボールを教えることはできるようなものです。
東大を卒業してなくても、親が子に算数を教えることはできるようなものです。
そして、100%悟りに至ってない坊さんでも、数%程度の悟りなら人に教えることはできるのです。
ただし、この場合坊さんが数%は悟っていないといけません。その為に坊さんは日々戒律を守るように努めないといけないし、それぞれの宗派の教義を学び実践していないといけません。
ここハスノハの坊さん達もあなたを100%の悟りに至らせることはできないでしょう。
しかしあなたがより良く生きていく上でのヒントを伝えることはできると思います。
これまでの多くの人への多くの回答の中に1%の悟りが散らばっていると思います。
まあ長くなりましたが、つまり、一緒に頑張ろうねということです(^^)

2019年7月24日 12:45
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

論理的に考えよう

 惜しいですね。
 問い1,2は、悟りの性質上、答えにくいところです。
 しかし3は、問いが間違っています。まず、あなたが「悟った人が出ていない」をどうにかして確定してからでないと、このように問えません。
 以下の問いも、同様に、まだ問えません。
 悟りが何か、経典の言葉だけでも、少しは知ることはできます。拙著『悟りの四つのステージ』(サンガ)をご参照ください。

2019年7月24日 9:49
{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

「悟りとは」問答一覧

悟りが得られないです

執着も捨てましたし、友人も恋人も物も殆ど捨てました。 生きていて色んなことを学んでもこちらで質問しても納得する回答は得られず日々悶々としています。 まず命への執着を手放す以外に残るものは今ありません。 しかし苦しみは消えません。 嫌な毎日です、それすら執着を手放しても苦しいままです。 1秒を我慢し続ければ耐えられると此方のサイトで言われましたが耐え続ける人生に何の安寧があるのでしょうか。 嫌な事も受け入れて、執着を捨て、全てを捨てて、あとは自分で死ぬだけです。 その死なない間にも嫌な事が沢山あります。 こんなに受け入れて、何も動じず、ただあるがままの苦しみを受け入れてるのにまだ苦しいです。もはや悟りなんてないのでは??? 例えるなら親を目の前で殺されて、まっいっかというレベルで執着を捨てていても苦しいままです。 誰か助けてほしいです。 悟りなんてないんじゃない? 私は科学ガチ勢だけど、死んだら解脱とかも無理じゃない? ただただ生まれつき運が悪いか、良いかの違いなんじゃない。 知的な障がいが脳にあればそもそも解脱する事は不可能です、それと同じで生まれつきの知能が低ければ高度な思考すらできません。 世の中運が良ければこの世界に満足して死ぬわけです。 つまり解脱も悟りもなくて、この世界で運が悪かった人が負け惜しみでそういう概念を思いついただけじゃね? ああ人生って意味不明すぎる。 このまま色んな人に説教されるか、曖昧な表現で反論されてこのまま人生続いていくんだろうな。。そしてその曖昧な表現の人たちもそのまま何の答えも得られず死んでいくんだろうな。

有り難し有り難し 48
回答数回答 4

この世に悟りなんてないのでは?

執着を捨てる事を前の質問で教わりました。 しかし、おそらくですがどんな人間もDNAレベルで執着を植え付けられていて仮に信じられないレベルのお坊さんが執着を捨てまくって生きてたとしてそれこそもはやお坊さんではなく飯もほとんど食べないホームレスかなんかではないでしょうか。 私は執着を捨てることで悟りを得るというのは懐疑的なのです。 まず考え方や解釈を変えても、火傷した皮膚に塩を塗られたら痛いし、知らない通り魔に家族全員殺されて解釈次第なんて思えないのです。 毎日の日々がここまで現在進行形で苦しくて色んなものを手放してて執着をなくしてるのに毎日皮膚に塩を塗られて幸福になれないし苦痛だ。 しかも、周りの人間は執着しまくって生まれつき色々なものを手に入れる。 ここまで地獄を見せられ全ての欲を減らして、普通に耐えられなくね? 次にこういう事を考えると坊さんに説法を色々教わりますが、それってつまり説法の理解する知性がないと一生悟ることはないのでは? 頭が悪く生まれて→間違いを犯して→説法されます。→また間違いをおかします。 つまり生まれつき(遺伝子的に)賢い人しか悟れない? また説法を知りまくったお坊さんこそが正しい生き方なのでしょうか? 仮に欲まみれのお坊さんがいたらそれが正解なの? やっぱり最近思うのは、この世に悟りなんて無くて苦しみは生まれつき分配される量が違って、執着を捨てる方法がなくただただ苦しみしかない世界ではないのでしょうか? おそらく、まともに悟りを目指して色々仏教勉強したり執着捨てるより、何も考えずに欲に執着して生きる美少女の方が幸福だろうしビルゲイツの息子に生まれるほうが幸福で不幸がないのではないか。 ここでの私の議題は、悟りはなく苦しみの量は生まれつき決まってるのではないか。 解脱こそがゴールならばそれこそこの世界からの抹消であり、抹消したくない者からしたら悟りなんてないのでは。 楽しく生きるならば、虐待されて死んだ子供はどう楽しく生きるのだろうか。 仮に人間界に生まれるのが解脱のチャンスならば、私が死んで輪廻を繰り返してその時に人間が絶滅してたら? 宇宙が生間ガスの関係で崩壊してたら? CERNのミニブラックホールで崩壊してたら? 悟りなんてないんじゃね? あるなら今すぐ誰でも幸福になれるはずだ。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 67
回答数回答 6

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