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悟りについていくつか質問

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有り難し有り難し 24

悟りとは何ですか?

本当にあるんですか?証明できますか?

なんで釈迦の時代以降ずっと悟った人が出ていないんですか?

ずっと悟った人が出ていないのは伝わった修行法に欠陥があったためとは考えませんか?

悟りはキリスト教の死後の世界のような鼻先に吊るされた架空の餌ですか?

なぜ悟ってないのに人に指導するのですか?知らないことを人に教えるのは間違いを産む原因を作ってると思いませんか?まずは確実に悟ってから人に教えた方がいいのでは?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの疑問は誰でも一度は考えることだと思います。当然の疑問だと思います。
私自身悟ってはいませんので、あくまで未熟な私個人の仏教の受け取り方であることを前置きして回答します。
お釈迦様は弟子たちが悟りに至る為にたくさんの教えを授けました。
その中に波羅提木叉(戒律)があります。
これは「別々解脱」という意味です。
戒律を一つ守れば一つの解脱つまり悟りがある、ということです。
嘘をつかなければ一つの悟りを得る、人を殺さなければ一つの悟りを得る、人の物を奪ったり盗んだりしなければ一つの悟りを得る、という具合に、良いことをすれば一つの悟りを得る、悪いことをすれば一つの悟りを失うということです。
その全てを満たしたお釈迦様を仮に100%の悟りとすれば、お弟子さんたちは0〜99%の間で日々精進して、お釈迦様に近づこうとしているのです。
お釈迦様の時代から現在まででお釈迦様のように100%の悟りに至った人が居たのかどうかは分かりません。
しかし、日々人々の為に奔走している人、誰かのために一生懸命働いている人、震災の時に無償で援助する人、身寄りの無い子供を大切に育てている人、この世には良い行いをしている人、あるいは良い行いをしたことのある人が沢山います。
彼らは一時的にでも例えばですが50%の悟りの境地に達していたのではないかと私は思うのです。
そしてそういう50%悟った人達からは、やはり50%の悟りに至る何かを教わることができるのだと思います。
例えばプロ野球選手じゃなくても、親が子にキャッチボールを教えることはできるようなものです。
東大を卒業してなくても、親が子に算数を教えることはできるようなものです。
そして、100%悟りに至ってない坊さんでも、数%程度の悟りなら人に教えることはできるのです。
ただし、この場合坊さんが数%は悟っていないといけません。その為に坊さんは日々戒律を守るように努めないといけないし、それぞれの宗派の教義を学び実践していないといけません。
ここハスノハの坊さん達もあなたを100%の悟りに至らせることはできないでしょう。
しかしあなたがより良く生きていく上でのヒントを伝えることはできると思います。
これまでの多くの人への多くの回答の中に1%の悟りが散らばっていると思います。
まあ長くなりましたが、つまり、一緒に頑張ろうねということです(^^)

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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論理的に考えよう

 惜しいですね。
 問い1,2は、悟りの性質上、答えにくいところです。
 しかし3は、問いが間違っています。まず、あなたが「悟った人が出ていない」をどうにかして確定してからでないと、このように問えません。
 以下の問いも、同様に、まだ問えません。
 悟りが何か、経典の言葉だけでも、少しは知ることはできます。拙著『悟りの四つのステージ』(サンガ)をご参照ください。

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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ