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ガキはぶつのが良いのか、いびるが良いのか。

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 私は、気に入らない事があると、突然スイッチが入ってしまい、人が変わってしまいます。表情も言葉遣いも変わり、まるでヤクザの様になってしまいます。

 自分の子供に対してもそうで、普段は「はるちゃ~ん、えへへへ。」と溺愛しているのですが、例えば、子供が振り回した物が自分に当たり、たまたま当たりどころが悪く、痛かったりすると、「てめえ、このやろう!」となってしまいます。

 叩くより叩かない方が良いのはあたりまえです。ただし、軽く一発叩かなければ、30分とかもっとの間、言葉でいびる事になり、精神的にもっとダメージがあると思います。また、次回に累積し、軽くじゃ済まなくなります。すると大きな怪我の恐れがあります。

 ちなみに、叩くのが良くないとする嫁は、風呂という密室の中で一時間に渡り、泣きやんじゃ泣かせといった具合にいびっています。

 もし、お坊様のありがたいお話が頂けたら幸いです。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を正当化してはいけない

怒ることと叱ることは全く違います。
あなたはただ自己の怒りを発散しているだけで、それは教育でも躾でもありません。
しっかりと何が悪いことで何が良いことなのか、何故今叱られているのかを説明しなければいけません。
子どもは何度言っても言う通りにはしてくれないかもしれません。
それでも親は子の幸せを願い言い続けていくのです。
それが親の愛情でしょう。

一時の怒りの感情に振り回されて大人という絶対的地位から小さな子に手をあげて、イビっているなど言語道断です。
恥ずかしいことと自覚してほしいものです。

仏様は絶対に怒ることがありません。
何故ならば怒りを持って他を教化することはできないと分かっておられるからです。
私たちはその真似は出来ませんが、その姿勢から学ばせて頂くことが大切だと思います。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

我慢をするのではない

殴る、いびる。
どっちもサイテーですね。
それに我慢するんじゃありません。
我慢するってことは、やっぱり既に怒っている。
まず「自分のルールを子供に押し付けないよう」にしてみてください。
あなたや奥さんが幼少期にそんなボコボコ、グチグチされたら、すごく悲しいでしょう。
あなた方も誰かにそうされてその結果、負の呪縛ループで「そうなっちゃった」んでしょうね。
お二人さんとも。
いずれにしてもそのような教育は、家庭の中に今後もずっとネガティブなオーラが続いてきます。
不幸になる事間違いなし。いつかヘタすりゃ事件です。
夫婦間でも、親子間でもお互い気持ちよくないですよね?
イカリやオコリ、不機嫌、怒鳴り、暴圧的になること、ネチネチ、いびりは「あなたがたの心の弱さ」。
それは強さではありません。弱い者いじめ。
奧さんと子供と一緒にアンガーマネージメントを検索して受講することをお勧めします。
「怒らない本」も沢山出ています。
多分抱えているもんが多すぎるんでしょう。
相手と家庭内の状況に対する「期待」や「求め」を無くしてください。
子どもには親ぶらず、友達で接する。
親ぶろうとするから生意気な口をきいた時にイラッとするのです。
ウチは毒づかれてもコミュニケーションをします。
殴る、いびるはただの暴力。
ただ、それをあなたが治そうと思わないことが問題です。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

返ってきます

 今は、あなたが絶対的優位者でしょう。けれど、いつか立場が逆になります。これは、どの家庭でも同じです。「親父のヤロウ、叩くのがいいか、それともいびるのがいいか。フフフ」と。
 何をしても、それは彼にとって無批判に行動原理として受け入れられます。もしもあなたができるのならば「正しい事」を教えてあげましょう。身体で教えたいならば、やって見せて、行動として教えることです。
 何か物を振り回して、お父さんに当たってしまった。「そういう時は、ごめんなさいって謝るんだよ」と口で教え、言わせます。取り敢えず形だけでいい。本心から言わせたいなら、お父さんがやってしまった時は、自ら謝ることです。「心から謝れ」とか口で言うだけだと、口先だけの人間になります。お父さんが謝れると、謝れる子どもになります。
 どうですか、今のままですと「トラブルは、叩くかいびるで解決する」と子どもは学ぶでしょう。周りに対して、そのように振る舞う子どもになります。そして、いつかあなたにそれを返すのです、いずれ。『暗殺教室』の浅野親子のように。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

どちも、やめましょう

お子さんの、こころの傷になってしまいます。

スイッチオン入りそうな時は 5秒で良いです。

『 落ち着いて 落ち着いて 落ち着いて 落ち着いて 落ち着いて 』

と、深呼吸してみてください。

少しずつでも、自制出来る様になります。

私も同じ様にスイッチが入ってしまうことが、ありますから、その辛さ分かります。

大丈夫です。

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おきもち

ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

はじめまして
私の感じたことをお伝えさせていただきます

私も人の親でもありますので
ときには感情的になりそうなときがあります
なのでよくわかります

気づいて欲しいのは
自分は親としてなにを大切にしたいのか
なにを子供に伝えたいのかではないでしょうか

怒ると叱るは違います
それは愛があるかないか

あなたはきっとお子さんに愛はあると思います
ぜひ愛のある行動を心がけてもらえたらと思います
その上であなたの愛のある言葉や行動が出てくるのではないでしょうか

子育てはある意味親育てでもあると思っています
私なんて日々子供に育ててもらっています
今回のこともあなたのさらなる成長のためへの学びかもしれません

ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです

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有り難し
おきもち

人の寄り添える僧侶をテーマに活動中! 僧侶、理学療法士、心理カウンセラー  それぞれの立場を活かして 現在における僧侶像を確立するべく こころ・からだから笑顔になれる人を増やすべく仏教用語から由来して「わげんせ」という活動を通して、日々模索しながら動いております ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください

質問者からのお礼

 どちらもダメだがマシな方を、と選択していましたが、どちらもガマンするという選択を努力します。
 ありがとうございました。

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