仏教の不殺生戒について
アマゾンの森林火災が深刻な領域に達していると聞きました。遠い地の出来事ではありますが、彼の地を愛する方々の心中を想うと痛ましい限りです。
現在も、狩猟や採集によって生計を立てている人達が数多くアマゾンで暮らしているそうですが、皆さん私がぬくぬくと育ってきた環境よりも遥かに苛酷な生活を送っているようです。動物や他民族による襲撃などの脅威は私には想像もつきません。
仏教には不殺生戒という決まりがあるそうですね。文字のまま読むと、私の目にはなんとなく「誰も殺しちゃ駄目!」という意味のように見えました。
不殺生戒とはどのような決まりなのでしょうか。
もし、本当に「殺生、ダメ、絶対」という決まりなのであれば世界中の狩猟民族が困り果てると思います。(まあ仏教には異なる考えを攻撃的に批判する印象も躍起となって布教する印象もありませんが…不殺生戒がどのようなものかとは関係なく的外れな考えかもしれないとは内心思っています。)
前のアカウントのメールアドレスを忘れてしまったので作り直しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その通り殺してはならないという意味です。
ただ、一度でも犯したら地獄行き、というのでなく、一度殺さないようにしたら悟りに一歩前進する、という感じで受け取られたらいいと思います。
狩猟する人も、各個人が無益な殺生を一度しなければ、その人が悟りに一歩前進するということです。
不殺生戒はなぜあるのか
おはようございます。世界には様々な民族がいます。太古の時代から動物を始めたくさんの生き物を殺して食べて生き延びてきました。これは人間だけでなく、その大きな生態体系を食物連鎖という形で学習されたと思います。そのような連鎖があったからたくさんの種類の生き物も生き延びている不思議な体系です。
仏教では確かに不殺生戒があります。なぜあるのか。無益な殺生を諌めるためです。あるいは殺人など罪を犯さないためです。生きていくために殺生しないといけないのは生き物の定めですから、「なにものも殺してはならない」とは書いてありません。「無益な殺生」、これがダメなのです。戦争や小さないざこざ、世界で日本で数えきれないくらい色々あります。それが非難されて当然なのは無益な殺生としか言い様がないからです。不殺生戒は、人の心にそれをストップさせる戒です。それを考えると食物連鎖も含めて、ある大きな流れで生かされいる自分に気づきます。生き物の歴史=殺生の歴史、でもそれは必要な殺生の歴史だから命の連鎖につながっているのです。不殺生戒を思い、今を生きるあなたは、無益な殺生をしないように日々心がけていきましょう。私も日々、命をいただいて生きている自分を感じています。
あなたが疑問に思うことをしっかり知ろうという態度でいらっしゃることは素晴らしいことです。狩猟民族は生きるための狩猟。そこからの疑問ですが、本当に大切な気づきだと私は思います。南無阿弥陀仏
生きている限り殺生はしているわけですが
お釈迦様の教えに近いとされる南方仏教の高僧で日本で南方仏教を伝道しておられるスマナサーラ長老は、ほぼあなたの問いと同じ内容の質問に以下のようにお答えになっています。
https://j-theravada.net/dhamma/q&a/qahp03/
こうだろうと私も思います。不必要な殺生は避けなければいけないでしょう。貪るように殺害するとか、楽しみのために殺害するとかは当然、禁じられなければなりませんが、漁師さんが生活のために魚をとるのが殺生とはならないでしょう。自分の生命を守る必要のある場合も同様でしょう。