天道は目標ではないのですか?
お世話になっております。
柴田秋です。
私は10年ほど前に自殺に失敗しました。
複数回の失敗の上、死ぬのは少なくとも生きることと同じくらいには面倒で疲れることだと感じたため、久しく実行には移していません。
それから、どう生きるのかと同じように、死について考えるようになりました。
死後の世界とかではなく、死ぬことで私の周囲に与える影響についてという意味です。
迷惑云々や、コストや、私の心とは関係なく死後に振り分けが行われるのであろうなということなどです。
こちらの質問の回答に対して、疑問が浮かび上がりました。
https://hasunoha.jp/questions/38774
余談ですが、今は少なくとも怒りは自覚していません。
「仏教は死んだらどうなるの教えではなく、生きているからどうするの教えです」
とあります。
多分、きっと心構えのことをおっしゃっているのだと思いますが、疑問が沸き起こってきます。
背景は語りましたが、それはあくまで単なる動機です。
私のことは私で考えるとして、他者のことは私には分かりません。
よろしければ、質問に応えていただきたいです。
仏教の最終的な目標は、悟り、無限に続く輪廻から脱し、六道のひとつである天道に行くことではないのですか?
仏は天道に在すもののことですよね?
つまり、死後のことこそが目標なのではないですか?
あくまで、そこに至るための過程として、どう生きるかが重要なのだと思っているのだと思いました。
つまり、生き方は手段で目的は死後の行き先であると。
なんとなく、キリスト教やイスラム教、パスタファリアニズムの天国を目指すのとは異なるのだとは思ってはおりましたが、疑問が起こりました。
仏教は天道を目指し、輪廻から脱すること、つまり解脱が目標ではないのですか?
絶対の正解を求めているわけではありませんので、ご自身の考えで構いません。
※私の拠り所とする科学(科学的方法)にも絶対の正解はありません。
あれらは、今のところ否定されていないというだけです。
当然、ご回答なされた方以外の方には、天道へ行くことを目標とされている方もいるかも知れません。
それぞれのご回答を伺いたいです。
よろしくおねがいします。
SEです。 父、母、姉がいます。 男性らしさや女性らしさを強要されることが嫌なトランスジェンダーです。 発達障害者です。 宗教全体に忌避観念を持っています。 ただし、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教をパロディとして信仰し、パスタファリアンとなりました。 先日、按手証明書をいただきました。 他、科学的方法、特に数学を信仰しています。 嘘やごまかしが苦手で慇懃無礼に感じる方もいるかもしれませんが、質問は真剣な悩み故です。 怒ることには疲れているので、最近は怒ることは稀です。 酒、煙草、コーヒーが大好きです。 自由に生きたいです。
自らを由としないことに耐えかねています。 らしさを強要されるとストレスです。 考えの転換が難しいです。 嘘に抵抗があり、故に損をし易い気がします。 曖昧さに不安感を感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
お釈迦様は、弟子から死後の世界についてたずねられたときに、「そんな事を考えているヒマがあったら修行しなさい」と言いました。(毒矢の譬え)。お釈迦様は死後の世界について重要視していなかったようです。六道輪廻の思想は仏教誕生以前からあったインドの世界観で、お釈迦様は、悟りを得た時にその(六道輪廻的な)考え方から解脱したとおっしゃったわけで、六道輪廻を解脱したと言った訳ではありません。私は悟りを目指しますが、「天道」を目指す訳ではありません。
私が学んだ仏教では、天道を目指すという教えはありませんでした。
解脱という表現も使いません。ただひたすら成仏を目指す。ということですが、その成仏も、仏なりと読めます。
どうやら、私たちは、仏になるのではなく元々、仏と同等(魂)の存在である。すでに仏なので、すでになっているものにはなれない。
でも、それを確かめたくて、こうして生き、様々な体験、経験を通じて確認(目覚め)していると、大雑把に捉えるとそうなります。死んでからではなく、今、まさにその経験ができているのでしょう。
死後の世界のことも、そうですが、生まれてくる前のこともよく分かりません。
どちらの世界も、私たちの能力を超えた計り知れない世界なのでしょう。でも、本当は、そのことも知っているのかもしれません。ただ、忘れているだけなのかもしれません。お釈迦様が説かれなかったのは、説明しても理解不可能だからだったのかもしれません。
質問者からのお礼
>光禪様
ご回答ありがとうございました。
今まで誤解をしていたようです。
>鈴木海祥様
仏になることにも、仏であることにも、何かしらのものを感じない私には後半はよく分かりませんでしたが、兎に角、六道や解脱とは異なる考え方だということはわかりました。
ありがとうございました。