空について。
空とは例えば人間は肉と皮と内臓の組み合わせで出来ていて実態が無い。
他の動物や植物もまた家電製品や車ありとあらゆるものは何かの組み合わせで出来ていてなんら実態はない。
核がない、そんな感じでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【無自性空】
回転寿司
空ですね。そういうモノに即して理解することもできます。
では、なぜ「実体がない」などといい出す必要があったのでしょうか?
そこが大事だと思うのですが、それは私が例えるなら、回転寿司ですね。
あなたがいつも2、3個先のお皿を見ていて、かつて食べたウニをさがしているとしましょう。
しかし、その間に、ほかの美味しいイクラやカニやマグロが通り過ぎて、貴重な出会いを見逃しています。
いつくるかわからない「頭の中に描いてるウニ=現実に来てないから空です」を待つより、今自分に来ているものを「食う!」です。
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(以下はお好きであれば。。。)
回転寿司くらいであれば大したことはありませんが、これが車の運転などになってくると、ことはシリアスになってきますよね。
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快いものを経験すると、その快さが持続し、強まることを渇望する
(これをトンの煩悩といいます)
人は不快なものを経験すると、その不快なものを取り除くことを渇望する。
(これをジンの煩悩といいます)
したがって、心はいつも満足することを知らず、落ち着かない。
つまり、「続くように、または終わるように、渇望してしまう」という苦しみのもとをやめるために、
追い求めてるものは「脳内のイメージや言葉」でしかないとか、パーツの寄せ集めとか、その実体は空なんだよと説かれました。
もっとハイレベルな空もありますが、とりあえずそこらへんから入らないと、こんがらがりやすいです。
どのレベルの理解でも目的は、今起きてることを起きてるままに受け取れるようになるためですね。
理解が深まれば深まるほど執着から離れる助けになります。
空と縁起
しんさま
確かに「空」とは、「実体が無い」ということを表します。
また、言及されているように、全体と部分との依存関係としてあり得ているものは、それをそれ足らしめている本質的なものが、そのものの側のどこかにあるわけではなく、色々な部分、構成要素が依り集まっていて成り立つものとなっているということになります。
依って成り立っていることを「縁起」と申します。
全体と部分の依存関係の他にも、原因と条件と結果の依存関係、あるいは、ただ私たちの分別思考に依存して名付けられたものとしてあり得ているという依存関係の二つもございます。
一切のモノ・コトは、縁起してあり得ているため、何も無いという虚無、絶無ではありません。しかし、それらのどこにも何らとしてそのものをそのもの足らしめているような本質的な実体的なものが、どこかにあるというわけではないというところとなります。
空と縁起については、断辺と常辺のどちらにも偏らずに、バランスよく修習なさって下さいましたらと存じます。
川口英俊 合掌
「色(しき)」と「空(くう)」
「色」との対比で「空」を説明します。
「色」とは、「個」を区別・認識できる状態。
「空」とは、「個」の判別ができないほど細分化(分解)した状態。また、別の「個」にもなり得る状態を言います。
例えば、"ホットケーキ"という「色」は、小麦粉・ベーキングパウダー・砂糖・塩・卵・牛乳という元からできていますが、その原料1つ1つをホットケーキとは呼びません。
ホットケーキという実体のないものから、然るべき原料を混ぜる・加熱する…など然るべき過程を経て、初めてホットケーキとなるのです。
同じ原料を使っても、然るべき過程を経なければホットケーキにはなりません。
粉ものだけを混ぜ、卵だけを加熱しても、出来上がる「色」は、目玉焼きと牛乳とホットケーキミックスです。
人間という「色」の構成要素はほぼ同じでも、環境・条件によって「あなた」「わたし」という別の「色」となる。
「色」と「空」の関係は、ザックリこんな感じです。
ところで、仏教は物事の科学的な解明を最終目的とした教えではありません。
苦悩に溢れ、生きづらい世の中をどのように捉え生きるか?…という救いの教えです。
その身に直面する「苦悩」という「色」も、細分化してみると「苦悩」という実体はありません。
分解し、違う捉え方で再構築することによって、「苦悩でないもの」として苦悩の解決をはかる、苦悩からの解脱を目指す…
お釈迦様が説かれた『四諦説』です。
肉体も精神も仮に作られたものです
我祖一向上人は、四大偈という偈文を残されました。
書き下し文で紹介します。
四大もとより空なり 五蘊仮に建立す
宝号を所々に留む これを名付けて一向と言う
というもので一向派では伝統的に大事にしてきた
偈文です。四大とは地水火風を指し、この世の中の自然現象をさします。五蘊とは四苦八苦の中の五蘊盛苦で分かる通り、人間を成り立たせている五つの要素。色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)を指し、肉体および精神を指します。
先の偈文を私なりに訳してみます。
「この世はすべて空なのである。肉体も精神も仮に作られたものである。南無阿弥陀仏と遊行して所々にそれを定着させること それが一向の役目である。」との誓願文ですね。私は一向派ですからこの偈文が大好きです。
参考になれば。
質問者からのお礼
転落院様。
ありがとうございます。
川口 英俊様。
ありがとうございます。
沙門一緒様。
ありがとうございます。
井澤隆浩様。
ありがとうございます。
GALUCHAT様。
ありがとうございます。