回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏の目当ては社会ではなく私やあなた
もしも完全無敵な理想的社会が実現しても、私もあなたも老い、病み、死ぬことは変わらない。こうした普遍の道理以外変わらないものは何もない。
根本的な苦の因はそこにある。
仏教のメインターゲットは社会でなく私でありあなたです。
お坊さんの要らない世界…ですかね
全ての人が苦悩を自己解決できて、導き手が必要なくなる世界。
悟りの岸への橋渡し役の『菩薩』がその役目を果たして『仏』となり、仏法護持のお役で厳しいお顔をなさっていた『明王』の表情も緩む世界。
「不動明王」の笑ったお顔が見てみたいです。
【無三悪趣】
社会の状態や仕組みではなく、あなた自身の心
わたしたちひとりひとりが、今の状況で満足と思えるような社会がいいよね。
どんな社会においても、それに不満を持つ人は必ずいますし、一方でどのような環境であっても幸せに暮らす人もいます。大切なのは、どんな社会や仕組みであっても、そのなかで、あなた自身がいかに気持ちよく幸せな気持ちで、周囲の人たちと仲良く生きていくかという事が大切なのだと思うんです。
うまくいかないことを、社会や仕組みのせいにするのではなく、今与えられた状況のなかで、自分自身で考え実行することだと思います。
願わくは・・・
「天下和順てんげわじゅん 日月清明にちがっしょうみょう 風雨以時ふうういじ 災さい厲󠄂不起れいふき 国豊民安こくぶみんなん 兵戈無用ひょうがむゆう 崇徳興仁しゅうとくこうにん 務修礼譲むしゅらいじょう」。『無量寿経』というお経の一節です。天下は太平であり、日と月は清らかに明るく照らし、風と雨も時に応じ、災害と疫病も起きず、国は豊かに人々は安らかに過ごし、兵や武器を用いる争いごともなく、人々は徳を崇め仁を尊び、努めて礼儀と謙譲の道を修めます、という意味だそうです。
みんなが幸せに生きていくことができる社会
共に苦難と戦う社会ですね。
ともやさん、こんにちは。
お坊さんの目指す社会は、お経に書かれている通り、極楽の世界なのでしょうね。
ただし、私たちの住む娑婆世界は、なかなか難しい。たとえ人間全員が仏になっても、自然災害はなくなることはありません。
大切なのは、極楽社会を目指して進むところに私たちお坊さんが目指す理想があると思っています。共に生きて困難に立ち向かうコミュニティ。そこに理想の社会があると思います。合掌