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心の健康のために

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有り難し有り難し 21

いつも大変お世話になっております。

自分は最近「心が健康である」ことが生きるうえで
とても大切だなとつくづく考えております。

ただ、心を健康にするために、何をするべきなのか、なにをしたらいけないのか、いまいちわかりません。

そこでぜひお坊さんの意見を賜りたいと思いました。

心の健康のために
・するとよいこと、
・避けた方がよいこと
をご指導ください。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

健康であろうとしない事

これはあなたが望んでいる答えではないと分かっていながらもあえて申し上げます。
健康病という言葉があるように自分でこれが健康だ、などと決めないほうがイイです。
どんなに病気の人でさえ、病気である事を忘れていられる時があるでしょう。
それは体は病気でありながらも、こころが健全な状態です。
上手に病気になる人は体の痛みに加えて心も病む。
下手に病気になる人は体の痛みのみで、心はアレコレと騒がない。
あなたもたった今の自分の心をご覧ください。
これをご覧の時に、健康だろうが不健康だろうが、生老病死だろうが、そんなことも一切オカマイナシに過ごせていた状態があるでしょう。
悟りも、健康も、要らぬ、知らぬ、存ぜぬ、存せぬ心の状態こそ、最高最上己健全、健康です。
心の最高の状態を握って、常にそこにとどまろうとする姿勢は正しいようでありながら、実はひと手間、ひと手続きがある。心に一物あるうちは、まだまだ半可通なのですわい。

「アレコレあれど、知らず知らずに流せていた状態を 成仏というなり」 弊師のおしえ

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「八正道」

hibikukagayaku様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

心の健康のために・・そうですね。やはり仏教的には、「中道」を保つということになるでしょうかね。。

「中道」につきましては、最近では下記問いにて扱わせて頂きました。

問い「不登校、学校に行くということ」
http://hasunoha.jp/questions/416

『・・仏教的な難しい言葉で言いますと「中道」となるのですが、とにかく無理できないならば無理しないことです。当たり前のことですが・・例えば、琴の弦は強く絞めすぎると、やがて弦が切れてしまって音が出せなくなってしまいます。かといって、絞めるのが弱すぎると弦はゆるんでしまって音が出なくなってしまいます。強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところで琴の弦は丁度良い音が出ます。このように、加減をしっかりと推し図りつつに、無理せずにご自身のペースで取り組んで頂けたらと存じます。・・』

とにかくストレスを溜めすぎず、無理しすぎず、また懈怠しすぎずなど、極端を避けるということが肝要になります。

あとは、やはり身体も心の状態に大きく影響して参ります。体調が悪いと気分も優れずに憂鬱になったり、不安になったりしますので、身体も健康に調えるというのも大切になるのではないかと存じます。

例えば仏教では、私たち人間の存在は、「五蘊仮和合」なるものとして成り立っていると説明致します。

五蘊とは、般若心経にも出て参ります「色・受・想・行・識」のことで、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、それら五蘊が因縁によって仮に集合していることによって私たちの存在は現にこのように成り立っている次第となります。ですので、健康のためには、それぞれの作用のバランスをできるだけ崩さないようにしていく必要もあります。

特にそのバランスを保つために、健康のために、あるいは「中道」を歩むために、「八正道」(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)( http://ja.wikipedia.org/wiki/八正道 )を意識的に心掛けて行うということが大いに役立つのではないかと存じます。是非、共に頑張って取り組んで参りましょう。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

丹下覚元さま、いつも大変お世話になっております。
「心の最高の状態を握って、常にそこにとどまろうとする」のが自分のこれまでの
心の健康法だったのですが、ちょっとちがうのですね!

生き方を少し方針転換する必要がありそうです!

「あなたが望んでいる答えではない」・・・いえいえとんでもございません。
まさに僕の求めていたアドバイスでございます。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いしたします。

川口英俊さま、いつも大変お世話になっております。
「ストレスを溜めすぎず、無理しすぎず、また懈怠しすぎずなど、極端を避ける」
中道は本当にすばらしい考え方だなあと改めて思いました。
精進してまいります。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いしたします。

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