意地悪をしてしまった罪悪感で辛い
過去、ある友達と喧嘩をし、そこから意地悪に発展してしまったことがあります。
喧嘩中はお互いにピリピリしていて、意地悪しあうような関係でした。
私は無視、悪口、悪い態度をとったりしていて、とても反省してます。もう二度とこんなことはしないと誓っています。
意地悪をしてしまった友達には謝り、こちらこそ、と言ってもらえましたが、どうしても自分の中で罪悪感が消えません。
私はいじめているつもりは無かったけれど、はたからみたらいじめ、相手にとってもいじめだったのではないかと考えてしまいますし、なんて卑劣なことをしてしまったんだろうと死にたくなります。幸せを感じるたびに、私にはその権利はないんだと辛くなり、罪悪感で日常生活に支障が出てきました。
毎日辛くて、意地悪をしてしまったくせに救われたいと考えてしまいます。
私が罪悪感から解放されるにはどうすればよいのでしょうか。お教えいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過去の事実は変えられないけど
私が尊敬していた恩師が生きておいでになっていた頃、よくおっしゃっていたことがあります。それは、「過去の事実は変えられないけど、それをどう意味づけるかという価値の転換はいくらでもできる」というお言葉です。
辛い過去をお持ちかもしれませんが、その痛みを通して他者に優しくできるのでしたら、過去の事実は大切な宝です。
同じ学校の先生でも、優等生でやってきた人と、何度も採用試験に落ちてようやく先生になった人では、人間としての幅や奥行きが違うとお感じになることはありませんか?
実は、上記と逆のことが私の日常の中にありました。家内は以前は、高校時代の思い出を楽しく懐かしく語っていました。しかし、私たち夫婦の紹介者で仲人でもあるオバサンが、実は家内と同じ高校出身のくせにウソをついて騙していました。そんなことウソをついてまで隠したり、騙したりするほどのことじゃないのですから、不可解です。でも、その後、家内は高校時代のことを話さなくなり、さらにたまたま高校時代の話題になると、辛そうにしてすぐに話題を変えます。楽しい思い出が一変して、嫌な思い出になってしまったのですから、上に書いたことと逆ですね。
あなたは、いま過去のことで後悔なさっているのでしたら、これからさきはあなたと同じ学校に行っていてよかった、と同級生に思ってもらえるような人になってください。いま後悔なさっていることを心の宝として生きてください。
毎日は懺悔の連続です
ゆきうさぎさん、はじめまして。質問を拝読しました。
ゆきうさぎさんは、過去に友達と喧嘩をして意地悪に発展してしまったことがあり反省をしているのですね。毎日、罪悪感に苛まれて解放されたいと願っているのですね。
仏教では心の汚れや濁りを泥に例えます。心は底が見えず、何がいるのか分からない汚いものであると考えます。しかし、泥から生まれるのは恐ろしい怪物ではなく、蓮の花です。仏さまが座る蓮です。どんなに汚れた泥にも蓮の種があるのです。
ゆきうさぎさんが友だちとけんかをして意地悪をしてしまったのは心の泥の中にある汚れたものです。誰でも持っているものです。
でも、必ず誰でも蓮の種を持っています。毎日、懺悔というきれいな水を注ぎ続けることによって蓮の種が見えてきます。
ゆきうさぎさんの心に蓮の花が咲くよう祈念しております。