死を身近に感じて生きていくのが不安です
先日、ついこの間まで一緒に仕事をしていた方がお亡くなりになりました。
少し前まで死についてよく考えることがあったり、死にたいと思うこともしばしばありました。
そのようなこともあり、今回の身近な人の死を受けて、いつ何があるかわからない中で生きていくことに物凄い恐怖感と不安感を感じました。
このような世の中で今生きていられるということはとても幸せであり、毎日家族も大切な人も自分も笑顔でいられるということは奇跡なことだと思えるようになりました。
しかし、だからこそこの幸せが突然奪われるのではないかと物凄い恐怖感が湧いてきます。
誰もが思う不安だとは思いますが、もし明日大切な人が家族がいなくなってしまったらどうしようと、身近な人の死を受けて不安に感じてしまい、その不安をずっと抱えて生きていくことが苦しく感じてしまいました。
どうしたらこの苦しさを感じずに生きていけるのでしょうか?
死ということに敏感になってしまい苦しいです。
拙い文章で申し訳ございません。
ご回答いただけると幸いです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大切なご縁からいただく大切な感覚
ご相談拝読しました。身近な方の死は私たちに強烈なメッセージを投げかけてきますね。
そこから私たちは不安や恐れなど様々な感情を呼び起こされますが、それらはなくすべきもの、感じなくなるべきものなのでしょうか。
たしかにその不安をずっと抱えて生きていくことは苦しいかもしれません。でもその苦しみと共にあることを受け入れられてこそ、私たちはけして避けることのできない死を忌み嫌うのでなく、生も死も私のご縁として全うしていけるのではないでしょうか。
真っ白いキャンバスについた黒いインク染みがどんなに小さなものであろうともう真っ白ではありません。その染みは消そうとすればするほど大きく滲んでくるかもしれません。死の不安というのはそういうものではないでしょうか。
人間はよくも悪くも慣れる動物です。身近な方の死というある種の非日常に揺さぶられた波もいつしか揺れは小さくなっていくでしょう。
でも実は死というのは非日常的なものでなく、日常的に私の事実として常に共にあるのです。ならば死の縁のたびごとに絶望や恐怖や不安のみに飲まれるのでなく、死の縁のたびごとに「私の事実を教えていただきました」といただきたいものです。
>もし明日大切な人が家族がいなくなってしまったらどうしよう
もしもその日を知ってしまったなら私たちはどうするでしょうか。どうにもできないのではないでしょうか。それとも特別なことをするのでしょうか。あなたならどうして欲しいでしょうか。いつもどおりでいてくれることが安心だったりもうするかもしれません。
とにかく、このたびのご縁は大切なものであったと思います。どうかその苦しみを見ないように感じないようにと避けるのでなく、自分の事実として引き受けていきましょう。
もちろんそれは一人では難しいですから、教えや仲間の存在が大切です。仏教はいつでもあなたを待っていますよ。