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死を身近に感じて生きていくのが不安です

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先日、ついこの間まで一緒に仕事をしていた方がお亡くなりになりました。

少し前まで死についてよく考えることがあったり、死にたいと思うこともしばしばありました。
そのようなこともあり、今回の身近な人の死を受けて、いつ何があるかわからない中で生きていくことに物凄い恐怖感と不安感を感じました。

このような世の中で今生きていられるということはとても幸せであり、毎日家族も大切な人も自分も笑顔でいられるということは奇跡なことだと思えるようになりました。
しかし、だからこそこの幸せが突然奪われるのではないかと物凄い恐怖感が湧いてきます。

誰もが思う不安だとは思いますが、もし明日大切な人が家族がいなくなってしまったらどうしようと、身近な人の死を受けて不安に感じてしまい、その不安をずっと抱えて生きていくことが苦しく感じてしまいました。

どうしたらこの苦しさを感じずに生きていけるのでしょうか?
死ということに敏感になってしまい苦しいです。
拙い文章で申し訳ございません。
ご回答いただけると幸いです。
宜しくお願い致します。

2020年5月12日 15:28

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大切なご縁からいただく大切な感覚

ご相談拝読しました。身近な方の死は私たちに強烈なメッセージを投げかけてきますね。

そこから私たちは不安や恐れなど様々な感情を呼び起こされますが、それらはなくすべきもの、感じなくなるべきものなのでしょうか。

たしかにその不安をずっと抱えて生きていくことは苦しいかもしれません。でもその苦しみと共にあることを受け入れられてこそ、私たちはけして避けることのできない死を忌み嫌うのでなく、生も死も私のご縁として全うしていけるのではないでしょうか。

真っ白いキャンバスについた黒いインク染みがどんなに小さなものであろうともう真っ白ではありません。その染みは消そうとすればするほど大きく滲んでくるかもしれません。死の不安というのはそういうものではないでしょうか。

人間はよくも悪くも慣れる動物です。身近な方の死というある種の非日常に揺さぶられた波もいつしか揺れは小さくなっていくでしょう。
でも実は死というのは非日常的なものでなく、日常的に私の事実として常に共にあるのです。ならば死の縁のたびごとに絶望や恐怖や不安のみに飲まれるのでなく、死の縁のたびごとに「私の事実を教えていただきました」といただきたいものです。

>もし明日大切な人が家族がいなくなってしまったらどうしよう

もしもその日を知ってしまったなら私たちはどうするでしょうか。どうにもできないのではないでしょうか。それとも特別なことをするのでしょうか。あなたならどうして欲しいでしょうか。いつもどおりでいてくれることが安心だったりもうするかもしれません。

とにかく、このたびのご縁は大切なものであったと思います。どうかその苦しみを見ないように感じないようにと避けるのでなく、自分の事実として引き受けていきましょう。

もちろんそれは一人では難しいですから、教えや仲間の存在が大切です。仏教はいつでもあなたを待っていますよ。

2020年5月12日 16:56
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

「死ぬのが怖い」問答一覧

大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

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