私が死んでも世界は回りますね
私は30代後半 独身 子供もおらず 友達もおりません。介護職です。
両親とアパートに同居、父は病気、 兄弟先日ガンが見つかるも不仲のため看取りになっても私は顔を合わせることはない。そんな兄弟に「お前は口が悪いから、施設の高齢者もう何人か殺してるんじゃないの」と言われ今もショックを感じています。
母もパートで肉体労働している高齢者
数年前、私は父の病気のため母に私の貯金を全て無心された
心の救いだった愛猫も数ヶ月前に死んでしまった
そこそこのやるせない人生を送らせて頂いてる気になっています。年も中年、この先結婚できる環境にもないと思うし
私は家族を送ったら孤独死確定だなと思っています。
我が家には親戚付き合いがないと言うか親戚がいません。父も母もその両親家族にネグレクトや死別や不仲などのネガティブ色の濃い関係性だったそうです。
それで思ったのですが
私や私たち一家が明日この世からいなくなったとしても、世界は困りませんし、身近に困る人もいないと思います。大家さんとか業者系の人には迷惑でしょうが。。
突然叫びだしたくなったり物を壊したくなったり暴れたくなったりします。
兄弟に言われた通り私は口がきついらしいので人を傷つけます。
そんなことなら介護の仕事もやめたほうが良いのかもしれないと考えています。
やるせない、むなしい気持ちでいっぱいです。
頑張る気にもなれません。
自分の価値をなくしたようで悲しいのかもしれませんが
世の中に、この世界に居ても居なくてもいい存在であると気がついてしまったことはとても
むなしいです。
読みにくい文章ですいません。
誰かに聞いて欲しかっただけです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の価値は自分で決めれば良い
あなた自身が「私には価値がある」と認めれば、あなたには生きる価値があります。
辛い時は、いくらでもこのhasunohaでその気持ちをぶちまけてください。
口が悪いのは、正直だということ。
お金を無心されて、言われたとおりに出したのは、あなたが優しい人だからですよ。
介護の職場でやりがいを少しでも感じることが出来るのなら、兄弟が何を言おうと関係ありません。
これまでの人生がどうだったかは関係ありません。
今この瞬間をあなたがどう生きるかですよ。
せっかくいただいたその命、誰かの役に立ててみよう。
きっとそこに意味が生まれるはず。
素晴らしい力を秘めていますね
hanako 様 お話ありがとうございます。
そうですか、何か虚しいですね。
兄弟の言葉は、無視しましょう。
あなたは、一生懸命頑張って生きているのだから。
あなたの魅力は、海外で放浪的にしても生活が出来たことにあるのでしょうね。
素晴らしい力を秘めていますね。
介護職もされながら、お父様の看病をされておられるので、
ストレスも溜まりますよね。
なにか、旅をしてきたことがいかせませんか!
私はインドを旅して(短期観光)帰ってきたら、たいてい、インドの御香を焚いて
気分転換をはかっていましたよ。家族は嫌がってましたが(笑)
介護施設にインドの御香を焚くわけにもいきませんでしょうけど、何か有効なアイデアを使ってみてください。
旅で得たもの、好きなもの、過去に感動したも、何でもいいじゃないですか!
最初はちょっと空いた時間にでも、ストレス解消にしてみましょう。
続ければ、段々何かのアイデアに繋がるかもしれませんよ!!
疲れたり、落ち込んでいると、視野が狭くなります。
眠る時はしっかり寝て、将来の不安はしばらく置いといて、疲れを少しは取り除いて、何かワクワクすることを考えてみてください。
あなたの人生はあなたが主人公!
是非、何か行動してみてください。
参考までに
一礼
自分が死んでも世界は回る
読まさせていただきました。「自分が死んでも世界は回る」になるほどと思いました。
が、それで、「自分は生きていても意味がない。」と悲観するのは間違っていると思います。
自分がしたことが、世のため人のために役立つのなら、それは死後も残り続けるのです。
一般的な仏教では、功徳(くどく)を積むといいますが。善行(ぜんぎょう。善いおこない。)をつめば、良い結果が出るし、悪行(あくぎょう悪い行い。)を積めば、悪い結果が出るのです。
善因善果悪因悪果(ぜんいんぜんがあくいんあくが)です。
自分が死ぬまでにいかに自分を高め、成し遂げていくかが人生の最大の目標ではないですかね。
その成し遂げたことが死後も残ると思えば、そんなに悲しくはないのではないですかね。
「自分が死んでも世界は回る。」されど、「自分が死んだら世界は終わる」わけではないのです。
自分の信じている仏教では、「自分が死んでも世界は続く」という教えですから。
この場合の世界は現世(げんせ今生きているこの世)ではなく、来世(らいせあの世)ですが。
質問者からのお礼
この度hasunohaにこの悩みを書き込むことにとても勇気が要りました。でも、書き込んでよかったと思っています。さらけ出させていただいた分、いただいた回答がすっと入ってきたように感じました。
井澤様
ご回答ありがとうございました。
ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで嵐が起こる、なんて言葉を思い出しました。テキサスで嵐が起こる時すでに羽ばたいた蝶は死んでいるかもしれない。でも事象が起こる。
自分の残すかもしれない影響に責任を感じます。
釋様
ご回答ありがとうございます。
そう言われるとコロナの影響で鬱々としていたのかもしれません。私に一生懸命生きているとお言葉かけてくださってありがとうございます。私の兄弟についても一生懸命生きていたのにきつい言葉をかけて苦しめていたのも私だったのだという事実も、気がついてしまいました。
インドの大きな笑顔を思い出しながら、何をしようか考えてみます。
林様
ご回答ありがとうございます。
これまでの人生がどうだったかは関係ない、ということ。頭ではそれがいいのだろうとわかっていてもなかなか理解できないでいることです。でも、今この瞬間どうするか、というのはわかる気がします。
人のために何か、、
考えていこうと思います。