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お経への向き合い方がわからなくなっている

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ある方から新興宗教への誘いがあり、お経というものに初めて触れました。
自分の人生色々あったので、懺悔とかそう言った意味での読経してみようと思い始めました。
ただ、その人と付き合い会うたびにその人のお友達を紹介され、その友達によるとSNSの情報は間違っているだのとか、
他の宗教は正しいお経を読んでいないから、うちのは正しい教えに沿っているから功徳があるとか、
持っているお守り、お札は功徳を得るには邪魔だから処分しろとか、読経を続けていれば社会がどうなろうと守られるとか言われました。
お守りやお札はとても大切なもので処分することは耐え難いものです。
宗派によってそう教えるものがあるものでしょうか。
そう言ったことを言われこの宗派での読経は止めるか迷っていますが、読経自体は辞めたくないと思っています。

2020年5月18日 18:04

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善き人の香りは、風に逆らいても匂う

 お経を読むお手ほどきをしてくれるのは、有難いことですね。せっかくお経を読むなら、美しく優しい心になりたいですね。仏教で教えを説くことを説法と言います。説法には、2種類の種類があります。一つは口業説法。言葉を用いて教えを説くことです。もう一つは身業説法。自らの在り方や行動を通して教えを示し伝えることです。

 お釈迦様の十大弟子の一人にサーリプッタ(舎利沸)という方が居られました。サーリプッタは道を求めて出家し、高名な宗教者サンジャヤに師事し、修行に励みました。或る時サーリプッタは、王舎城の北門近くで、アッサジという修行者が托鉢から帰るところに出会い、見事な立居振舞いとその端正な姿にうたれ、「あなたの師は誰で、どのような教えを説かれるのですか」と訊ねました。
 するとアッサジは、「私はシャカ族出身の偉大な聖者に師事しています。まだ入門して日が浅く、その教えを詳しく説くことはできませんが…」とことわりながら、自分が学んだことを伝えました。それを聞いてサーリプッタは大いに感銘を受け、お釈迦様の弟子と成る事を決意しました。
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510258701.html?frm=theme

 経典は大事です。其のことを言葉で伝えることも大事です。でも、教えをどのように受け留め、自分自身の立居振る舞いに活かしていくかがより大事ではないかと思います。

 と書きながら、我が身を振り返るとただただ恥じ入るばかりです。hasunohaでの私の回答はいつもダラダラと長く、多言を弄してばかりです。無駄な言葉ばかり多用せず、一言を以て一挙手を以て教えを示せるようになりたいと反省しております。
 宗教者でなくても、経典が説く内容を見事に短い詩に表している方が居られるので、紹介します。

 うしろ姿
 語る人貴し
 語るとも知らで
 からだで語る人さらに貴し

 導く人貴し
 導くとも知らで
 うしろ姿で導く人さらに貴し

詩集『一人のために』(安積得也)より

2020年5月18日 20:22
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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

執着は悩み苦しみの原因

新興宗教への執着も、お札やお守りへの執着も、どちらも悩み苦しみの原因になりますから善くありません。
七夕やクリスマスや節分の豆まきなどのように、イベントとして楽しむ程度ならかまいませんが、本気でのめり込むのは間違いだと思います。
お経は、書かれている内容(ブッダの教え)が大切であり、お経を唱えているから守られるとか、そのような魔法の呪文みたいなものではありません。
そのような新興宗教は、本気で相手しない方が良いと思います。

2020年5月18日 18:56
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

仏教は「抜苦与楽」

不安を煽ったり
他の宗教宗派を否定したりするような宗教は
邪教です。

読経がしたいなら
先ず伝統仏教の御本山の
HPをご覧ください。
御経本やCDが紹介されています。

追伸 浄土真宗の東本願寺の物をご紹介しますね。
https://higashihonganji-shuppan.jp/books/k00005/

2020年5月18日 23:05
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和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

質問者からのお礼

願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。執着とは思いませんでしたので思いがけず驚きました。

吉田俊英様
ご回答ありがとうございます。立ち振る舞い、活かし方ということこれからのことが見えた気がします。最後の詩はとても良く為になりました。

和田隆恩様
回答ありがとうございます。
先ず伝統仏教の御本山のHPをご覧ください。とはどう言ったものがあるのでしょうか?興味があります。

「お経・経典」問答一覧

読経

昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。

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お経をあげないと不幸になりますか。

昔から家は仏教徒で、私も産まれてから仏教を信じなさいと育てられてきました。 小学生の頃、学校環境になれず拒食症になってしまい、食べ物を見ると吐き気を催すようになりました。 その時に母が、「先祖が苦しんでいる。それがあなたに出てきてしまっている。きちんとお経をあげないから、ものが食べられなくなってしまったの」と教えられました。 その時は真に受止めお経を上げました。ですが、考えてみると、ストレスによるものではなかったのかと思うようになりました。 月日が流れ社会人になった時、やっかいな病気にかかり、毎日不安で泣いていました。 他の兄弟は、病気になることも無く、ごく普通にすごせているのに、私だけなぜこんなにも不幸が降りかかるのかと。 母に聞くとやはり、「先祖が苦しんでいるからだ」の一点張り。 私はただ不安な気持ちを聞いて欲しいだけなのに、私のせい、私のせいと言われ続け、仏教とは私を苦しめるものなのか?と思ってしまうようになりました。 確かに、先祖があってこその自分ではあるが、もし仮に母が言っていることが本当だとして、私ばかり苦しい思いになる理由も分からないです。 私ばかりお経をあげて、時間を使わなくてはならないのかと、疑問に思ってしまいます。 他の兄弟は、お経はおろか、仏教を信じていません。ですが、結婚もし、子供も生まれ、幸せな家庭環境を築いています。 このような場で、仏教やお経に対して罰当たりな事を書くのをどうぞお許しください。 私はどうやって生きていけば、普通に生きられるのでしょうか。お経を上げなくては私は幸せになれないのでしょうか。

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説法は邪道?お経は自己解釈すべし?

 いつもお世話になっております。私が最近通い始めた法座(読経会)の お寺の住職先生が、法話や説法を邪道とみなしているようです。  法座が終了し、私がノートを片手にお経について聞きに伺うと、 「本当のことを知っているのはお釈迦様しかいないから、説いてはいけない」 「僕のいったことも参考程度に耳に挟んでおいてね」 「説いちゃいけないって書いてあるから(確かに法華経にはそんな文言が あったと思いますが)」 「もしそれを説いて、その人の言ったことを信じてしまったら、変な新興宗教 ができちゃうよ」 「お経を直接読んで、自己解釈するように」(逆にそちらの方が危険な気が… 例:理趣経。それに漢文や中国語の文法が理解できない人はどうするの でしょうか)などと言い、教えていただくことができません。それどころか、 最後の文言のように、かえって危険な事態を招きかねないことを言われます。  法句経ーダンマパダには「教えさとせ」という文言があったような 気がします。対機説法という概念もあったと思います。  それに、積極的に法話会を開いている先生方もいらっしゃいます。  この先生のおっしゃることは、信頼しても良いのでしょうか? 私個人的には「う〜ん…」といったところです。

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