hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

全て無意味な気がします

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

最近、勉強や遊び、本を読んでる時など、「いつか死ぬのに生きる意味はなんだろう」と思う事があります。
頑張って何か功績を残せば、それが後世の人々に影響を与えるから意味がある、という考え方も出来るのですが、数億年後?には地球も無くなってしまうそうで、だとしたら私たちが生まれてきて勉強したり仕事したり遊んだりする意味って一体なんだろうと思ってしまいます。
意味なんかなくても良いのかもしれませんが、どうにも虚無感があり不快です…
お坊さんは、虚しくなった時どうされますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不快かもしれないけど大事な感覚です

ご相談拝読しました。

おっしゃるような感覚というのは共感します。私も感じることがあります。生きることに意味があるとするのも、ないとするのも、どちらの立場も同等に主張できる二律背反的な命題が「生きる意味」の問いです。

そこでパッと思いつくのは

『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』

というガンジーの言葉でしょうか。

確かに生産性とか改革とか革新とか享楽とか…あらゆる生きがいとされるものは死で奪われるであろうものであり、そこには虚無感が漂います。

しかし私たちはそれでも生きている。意味を見出そうと見出せまいと生きている事実が先にあります。

ならばその私がこの虚無感をどう生きるのかという「問い」こそが、これが生きる意味だという「答え」よりも私たちに生きる力を与え続け得るものなのではないでしょうか。「答え」は消費されてしまうものであるため究極的な満足には至らないからです。つまり、あなたの問いはとても大切なものであるということです。

虚無感に流されるままの生なのか、虚無感に問いをもって主体的に歩む生なのか。

それがガンジーの言葉から問いかけられるメッセージではないでしょうか。

酒や薬や刹那的な楽しみではけして埋められない問いが「生きる意味」という根源的課題です。薄っぺらいものではごまかせない深い課題です。

そしてその根源的課題に応えようとするものこそが宗教であり、教えというのは人々とその課題の格闘の歴史です。

私も虚しくなることはありますが、その時に虚しいという私の感覚を根拠とするのでなく、虚しさを感じるのは私が迷っているからであり、しかも迷いながらも真実を求めているからなのだ、という教えを根拠として根源的課題に立ち向かいたいと考えます。

勉強したり仕事したり遊んだり…どれも大切ですがそれだけでは済まないものがあることにあなたは気づいてしまったのでしょう。

その気づきを大切にしていただけたら有り難いです。よかったら仏教にその気づきを尋ねてみてくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

人生に意味を後付けすることを考えてみる

人生に関わらず、すべての事象に意味があるのだろうか?と私は過去に考えることはありました。
縁あって仏法を聞く身になり、次第に「あらゆる事象はある法則には従っているが、そこに『意味』というものが介入する余地はない」というふうに考えるようになりました。例えばですが、水が上から下に流れることに意味を見出すこと自体ナンセンスだなと…。
しかし、人生に素敵な意味を後付けすること自体は私にとって有意義なことであるように思えるので、私は私自身に「住んでいる地域に恩返しする」という人生の意味というか、生きがいを見出して精進しております。
ご参考になればと思い、お話させていただきました。
私も考えを文字化することで整理がつきました。

{{count}}
有り難し
おきもち

#浄土真宗本願寺派寺院住職#社会福祉法人理事長#島根県

不老不死なら有意義でしょうか?

「今を充実させたら死後は良い世界に往ける」
なんていうのも何の保証もありませんが…。

先のことを考える前に
今をどのように楽しもうかと
考えませんか?

今が楽しめないから
先のことを考えて
言い訳にしているように思えます。

{{count}}
有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ