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待つことは仏教でも大事ですか?

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有り難し有り難し 18

前の話と似たような内容なのですが、同じ職業(画家)の好きな人と疎遠になっています。
母親曰く「待て」と言われてます。
向こうの方が立場が上なので、まずは実力をつけろと言われてます。会うのはそれからでもいいだろうと。
私の中に、なんでこんなに頑張らないといけないんだ、という焦る気持ちと、
頑張って違った新しい自分という土俵でまたお会いできたらという気持ちがあります。

焦っている時、イライラして家族にも邪見にされるときがあります。
また逆におろおろしまってもっとゆっくり物事を進めなさいともいわれます。
親の言うことは正しいと思っているのにイラっとすることもあります。

でも待ちながらそれが正解だと感じることもあります。
画家の仲間が増えて、みんな同年代の人は凄く苦労されてその中でも夢に向かってひたむきに頑張っている。中には同業者に貶されている人もいる方もいますしバイトしながら、別の仕事をしながら頑張っている人も。
年上の人達は年上の人たちでライバルがいて、年下の人たちに追い上げられそうになる中、孤高に取り組んでいる方もみられます。
もっと年上の人は本当に素晴らしい絵を描くのに、それでも絵の事で悩んでいる人も見ました。
私も貶されたり叱咤されたこともありますが、励まされたり期待されたりしながらやってていて、しかも家族も一応応援はしてくれてるので救われてる方だなと思います。仲間の話をネットや現実で聴くのもためになっています。

そういう人たちを見てると、その人がきっかけで待っていた縁のパワーって侮れないなと感じました。

仕事を極めるというのは難しいですね。
もっとゆったりとした心で仕事や日常に向かい、精進したいと思ってますが、
中々できない自分に悩んでます。でももっと視野を広げて縁のパワーを広げたら、いつかまたその人に仕事を通じて出会えるんじゃないか、同業者として支えられるぐらいの力が持てるんじゃないかという不思議な気持ちがしています。

こういう待つ縁の話は、仏教のお話にもあったりしますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【追記あり】「待つ」ことの意義

前回のご相談とあわせて拝読しました。

何のために「待つ」のか、ということが大事なのではないでしょうか。そこには恋愛と仕事の問題が混同されているようにお見受けします。

その相手からの好意を感じながらも実力等の差もあってかあなたが心を開けず、そのうちに仕事のトラブル?も相まって関係が途絶えてしまったというのが前回のご相談であったと思います。

この状態で「待つ」ということがどのような目的のためで、どういった手段になるのか。そこはきちんと考えておかねばならぬでしょう。

そもそも相手からの好意があなたの勘違いであったならば一人相撲でになってしまします。一方、相手からの好意が事実であるならばこのまま待っても恋愛としての進展は難しいように思います。接触機会が多い方を好きになるのが人間の傾向ですからね。

仕事の面で言えば、一緒に仕事をしたいとか、認めてもらいたいという目的のため今はあなたが実力をつけるために「待つ」=「自己研鑽にはげむ」というのであればわからなくはありません。

相手があなたを好き、あるいは好きだったとしたら、それが仕事の実力と全くの無関係とは言えないかもしれませんが、大部分はそうではなく人間的な部分での好意なのではないでしょうか。そうでなく仕事の実力・評価云々に左右されるような好意であるならば、たとえ結ばれるにしろそれは難しい問題をはらむことになりそうです。お互いに自分の仕事にはプライドがあるでしょうから衝突が多くなることも予想されます。

あなたがお感じの縁のパワーというのは「待つ」ことそれ自体というよりも、そのお相手との問題へのとらわれから少し距離をおけて視野が広まったことにより見出されてきたものではないでしょうか。

仏様は私たちに真実に目覚めて欲しいとずっと待っていてくださっています。それもただ待つだけでなく、ずーっと願いをかけ、様々な方法で私たちの目覚めを促してくださっています。

あなたも待つならばその待つことの意義を明らかにしましょう。

【追記】
あなたが彼を好きな理由でなく、「こんなすごい人が私を好きなわけない」と前回の相談で書いているように、彼があなたを好きな理由について、あなたが仕事の内容を含めて彼の好意をとらえてしまっているようにお見受けしました。
もし、またご縁があったら素直に受け止められたらいいですね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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「時節因縁」の時を待つ

 祖師と呼ばれる高徳の禅僧たちが語った言葉を弟子たちが筆録してまとめたものを、語録と言います。長年禅の修行に打込んで悟りを得たエピソードが記されています。一生懸命修行したからと言って、必ずしも望んだ結果が得られるとは限りません。「機縁が熟す」ことが必要であると言われております。機縁が熟して、或ることがきっかけで、開悟した場合が多くあります。代表的な例として、「南岳磨甎」や「香嚴撃竹」というエピソードがあります。字数の関係で詳しく説明できないので、「」内の言葉を検索してみて下さい。
 或る結果を得るためには、当事者の行動(因)と其れを取り巻く環境等の条件(縁)が必要です。頑張って努力しても、傍目には必要な条件が充分に整ったとしても、結果が出ないことも多いと思います。結果を得るのは、時節因縁が必要です。私たちはいろいろなご縁の中に生きています。具体的な例を挙げれば、自分の身のまわりに起きるさまざまな出来事や人との出会いのことです。そして、「ご縁」というものは刻々と変化し続けています。 誰かと出会ったのは、そういう御縁が熟したからであり、別れの時が来たのも「御縁」に変化が生じたからです。そういうタイミングが到来し、結果が出たことを「時節因縁」と言います。
 画業の道は険しく遠いものだと思います。頑張って修行研鑽を積んだとしても、自分の納得し他者から賞賛されるような作品を描ける保証はありません。自分も納得できる作品を描き、相応の評価を受けるためには、時節因縁の到来を待つしかありません。「寝て待つ」人には、時節因縁は到来しません。ひたすら精進し続け、そして時節因縁にかなう時、やっと結果を得ることが出来るのです。

 道元禅師が書かれた『正法眼蔵 説心説性の巻』に「百不当の一老」という言葉があります。仏道を求める心をおこしてひたすら修行に取り組むのだが、一向に結果が見えない。すとんと腑に落ちない。しかし、初志を貫き、指導者の僧に教えを仰ぎ素直に行じていけば、やがて真実の道を得ることができるようになる。という意味です。

 「待つ」と言っても、ただボケーッとして待つという意味では有りません。ひたすら修行し続け、機縁が熟せば時節因縁の時が到来するのです。結果を求めず、修行を続けていきましょう。必ず時節因縁の時は来ます。

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質問者からのお礼

恋愛面では一度失敗しているので、まず仕事を一緒にできるぐらいになれるよう努力する意味で待つ(待ちながら実力をつける)という選択肢を取りました。
好きになったところは仕事の面ではなく、ある時助けてくださった優しさからです。
文章に誤解を生む表現があって、まるで私が仕事ができる人を好きになったみたいな表現になって申し訳ありませんでした。

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