私は高校の時、父の会社が潰れて
経済的に苦しくなり高校卒業後お金を貯めてから学費の安い専門学校へ自分で学費を払いバイトも掛け持ちして通いました。
結婚し夫は休職や転職し何度も経済危機になったり、子供がいますが産まれるまでに2回流産したり、最近子供に発達障害があることが分かりました。周りを見渡せば親に当たり前のように学費を払ってもらい、結婚後は旦那さんの稼ぎだけで裕福に暮らし、妊娠出産も順調に行き障害などなく育っている…という子ばかりです。なぜ自分にだけこんなに色々と苦しいことが起こるのだろうと不公平に思います。人と比べないのは無理です。どうやって生きる楽しさを見つけたらいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
"人生は平等ですか?"
はい、平等です。
お釈迦さんからみれば、
一切の生きとし生けるものは、平等に残念な存在です。
"どうやって生きる楽しさを見つけたらいいでしょうか?"
ないものねだりより、視点や発想の転換を仏教は教えています。
誰もが不平不満を持っています。
他人のこともよく分からないまま
自分と比べてしまうから
隣の芝生は青く見えてしまいます。
人生は不平等不公平にしか見えません。
立場上いろいろな方の相談を受けますが
質は違えど誰もが苦しみを持っています。
順風満帆の生活をしているようでも
その人なりの苦悩を抱えているのです。
そういう意味では
皆平等に苦悩していると言えます。
人間の苦悩は消えません。
今この苦悩が消えても
また別の苦悩が生まれるだけです。
その苦悩への向きあい方を学ばねば
ただ苦悩し続けるだけです。
あなたは確かに
大変な人生を歩んでいると思います。
よく頑張っておられます。
でもその頑張りが報われた瞬間は
全くありませんでしたか?
状況がいきなり好転することは
難しいですが
今の状況への向きあい方は
あなた次第だろうと思います。
仏教では、「わたし」という存在は概念にすぎないと考えます。
自我は概念上の幻。
ただ、物質(肉体)と心が瞬間瞬間ごとに刺激に反応して浮かんでは消えていくだけなのです。
昨日の「わたし」と今日の「わたし」は別の存在。ただ、記憶データを相続しているから、同一人物だと錯覚しているだけなのです。
いわゆる「無我」という教えです。
なので、今・ここの1秒間を平安に生きれば良いだけ。
過去の自分や未来の自分は、脳内データが創作した幻にすぎないのです。
お金に困っている人でも、ごみ箱にごみを投げて狙いどおりに「シュート」が決まれば、その1秒間は笑顔になれます。
まるでスポーツやゲームを楽しむかのように、この1秒間を楽しんでみてください。
何かの手続きの書類を書くときは、その1文字を集中して上手く書けるかゲームです。
洗濯機から洗濯物をとり出すときは、軽やかに無駄な動きなく楽しみながらとり出すゲームです。
「わたし」という概念に執着しているときは、自分と他人を比べてしまったり、過去や未来を妄想してしまったりしてストレスを感じますが、今の1秒を楽しむゲームにはあまり関係がない問題ばかりなのです。
そのように考えながら生きると、今の1秒の筋肉の曲げ伸ばしを楽しむゲームをやりながら死ぬまで生きれば良いだけなのです。
ただ、不思議なことに、毎日「今」に集中して楽しんでいると、人生の問題をいつの間にか乗り越えていたりしますが、それは後からついてくるオマケです。
ありがとうございます。これから視点を変えて前向きになれるよう心がけたいです。
ありがとうございます。ご回答を何度も読み返して前向きになれるよう努力したいです。