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お浄土に行けば逢いたい人に逢える?

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有り難し有り難し 26

仏教が好きです。
お浄土や浄土宗、浄土真宗の教えに詳しくないのですが、お浄土に行けば逢いたい人に逢えるとは本当なんでしょうか?

人間なら誰しも逢いたい人はいると思いますが、誰もが寿命を全うしたら、逢いたい人に逢えるなんて有難い教えですね。

お浄土についてもっと知りたいのですが、お浄土って一体どんなところだと云われているのですか?
それから、お浄土に行くにはどうすれば良いですか?生前の行いが評価されるのですか?
質問がたくさんあって申し訳ありません。
初歩的な質問ですが、お坊さまのご見解をお尋ねしたいとおもいまして質問させていただきました。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

広大無辺際

ご相談拝読しました。

仏教が好きなのですね。「そして逢いたい人に逢える」ということから浄土に興味を持たれたのですね。

その興味関心はとても大切なものです。そこからでないと私たちは始められないですからね。

さて、浄土とは阿弥陀仏という仏様のお覚りの世界です。一切の生きとし生けるものをそこに往き生まれさせて救いたいというのが阿弥陀仏の願いです。逢いたい人に逢えるというのはこの願いからくるものでしょう。

でも浄土はそれだけではないのです。「一切」ですからね。つまり具体的には逢いたくない人にも逢える世界ということです。

そもそも、仏のお覚りは無分別といい、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかそうした二項対立を超えたものです。浄土に往き生まれるからには私たちもそのような分け隔てる在り方を超えさせていただくのです。

さてさて、浄土とは歴史的に実在した世界や科学的に実証される世界ではありません。宗教的事実の世界です。信仰を通して実体的な有無を超えてはたらきかけてくる世界ですね。

そのはたらきはいつでも・どこでも・誰にでも呼びかけています。より具体的には今・ここで・私(あなた)に願いをかけているのです。

この宗教的事実において浄土を観た天親(てんじん)という方がいます。そのお方は浄土を

「広大無辺際(広大にして辺際無し)」

と言い表しました。浄土は広大な世界であり、辺や際(きわ)が無いというのです。つまり「ここまでは浄土でなく、ここからが浄土である」と線を引くような辺や際が無いというのですね。

では辺や際を作るのは誰でしょうか?浄土に生まれる人とそうでない人を区別するのは誰でしょうか?あらゆる区別・差別を作るのは誰でしょうか?

浄土の教えはそうした広い願いと、その願いに照らされるこの私の現実を教えてくれます。
是非とも、その大切な興味関心から学びを進めてみましょう。

浄土については浄土三部経といわれるお経である

・仏説無量寿経
・仏説観無量寿経
・仏説阿弥陀経

のこれらを学ぶと良いでしょう。

お浄土に往くのは南無阿弥陀仏を申す人であり、南無阿弥陀仏を聞く人です。それはそういうことか?学びの中で浄土という宗教的事実に遇うことを念じます。

その時、きっと逢いたい人も逢いたくない人も共に仏様から願われている世界を見出せるのではないでしょうか。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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倶会一処

浄土系の教えでは供会一処(くえいっしょ)を説きます。お墓にも良く彫ってありますね。好きな人と浄土で再会できるのです。昔の話で、浄土での再会を誓い合って、別れたという話が私は好きです。必得往生(ひっとくおうじょう)ですから、必ず西方極楽浄土に行けます。そのためには、念仏を唱えなければなりません。それが正定業(しょうじょうごう)だからです。念仏を唱えるだけです。生前の業(ごう)は関係ありません。それで、行き先が決るのは従来の六道輪廻(ろくどうりんね)です。極楽は、『阿弥陀経』『観無量寿経』に詳しいですが、素晴らしい荘厳(しょうごん)の素晴らしい世界とされています。そこでは、阿弥陀様の説法を聞いて、確実に仏になれるとされています。

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

吉武文法様
お返事ありがとうございます。
逢いたくない人にも逢う世界との事、やはり今生を悔いなく生きる生き様も重要そうですね。そうでないと顔向け出来ませんからね。
お浄土をみた天親という和尚様がいらっしゃるのですね。興味深いです。教えて頂いたお経からもお浄土について調べてみますね。
ありがとうございました。南無阿弥陀仏

井澤隆浩様
わかりやすいご説明ありがとうございます。
六道輪廻とお浄土はまた違うのですね。
お二方からおすすめしていただいたお経をネットで調べてみました、難しいですが、まずは念仏を始めてみようと思います。

「浄土真宗」問答一覧

浄土真宗のお念珠を教えて頂きたいです。

私は真言宗のお坊さんを目指している中学生です。 将来おばあちゃんが亡くなった際、おばあちゃんは浄土真宗(代々の)で供養し、 私と母は真言宗に改宗して、おばあちゃんのお墓は墓じまいする。と決めました。 (おばあちゃんと母は苗字が違います) お寺とのお付き合いもないので、おばあちゃんの葬式は新しいお寺さんになるかと想像しています。 しかし浄土真宗は浄土真宗です。私達が真言宗でもお墓参りと法事にはしっかり浄土真宗で臨みたいね。と母と話しました。 そして私は来年高野山の高校(通信)に行きます。急に仏教学校に入りたいとお願いし、認めてくれて応援してくれた。今まで育ててくれたお礼に、仏教好きな私なりに、お念珠をプレゼントしたいと考えています。 その際、今後使える真言宗の念珠+ おばあちゃんの供養や墓じまい後のお参りの時に使える浄土真宗の念珠をプレゼント予定なのですが、 Amazonで見ていて、いいのは見つけましたが2連の念珠が多いように感じます。 しかし浄土真宗本願寺派や真宗大谷派は公式には略式念珠、単念珠を紹介しています。 しかし葬儀サイトにはみな女性用は2連なんです。 そこでお聞きしたいのは、お坊さん的に浄土真宗の女性用のお念珠は2連なのか単念珠なのか、どちらをおすすめだとお考えでしょうか。 西本願寺、東本願寺共にサイトで2連は蓮如結び、単念珠なら松房と書いていたので、そのものを購入予定です。

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厭離穢土欣求浄土の意味

「厭離穢土欣求浄土」の意味について、今年の大河ドラマをはじめ昨今の小説やドラマでは「この世を浄土のような平和な世にする」というスローガンだと説明されていることが多いですが、浄土宗は唯心の浄土ではなく指方立相の浄土を説くはずで、凡夫に浄土は築けないと教えているはずですから、この解釈は浄土宗の教義に矛盾していないでしょうか。元来の意味が厭世的過ぎて現代人に受け入れにくいので無理矢理こじつけたように思えます。これはむしろ即身成仏を説く真言宗や娑婆即寂光土を説く日蓮宗の考えに近い解釈ではないでしょうか。 凡夫に浄土が作れるのなら弥陀も念仏も要らないことになってしまいます。 ただ、「浄土宗は死を待つだけの教えではないのか? 法然上人の時代のように道を歩けば死体がゴロゴロ、いつ自分もその仲間入りするかしれない世ならともかく、現代ではそんなに今生きているこの現世を否定しなくてもいいんじゃないか?」というこの胸に芽生えた疑問への答えとしては厭離穢土欣求浄土の現代風解釈は便利なので、指方立相の浄土とは矛盾すると知りながら都合よく取り入れてみるのも悪くないかなとも思っています(真剣勝負と八百長との狭間をウロウロするプロレスファンなので、こういう曖昧な考え方は得意なのです)。 できれば浄土宗のお坊様のみならず、他宗のお坊様のご意見も聞きたいです。

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私の宗派は、選民思想の厭世主義?

 いつもお世話になっております。動画サイトで私の好きな、 リテラシーの啓発にも取り組んでいる、少しだけ破天荒な 科学者さんのチャンネルの動画を観ていたら、宗派名こそ 出しませんでしたが、 「この世はクソだから、自分たちは神様的な存在に祈って、天国 的な場所に生まれ変われる特別な存在だと思い込んでいる、 選民思想的な陰謀論者。つまり、異世界転生を本気で信じている んですよね」 と出演者さんが言っていました。遠回しに浄土宗のことを言って いるとすぐにわかりました。ショックでしたが、頷かざるを 得ませんでした。  前後編に分かれた、陰謀論に対する注意喚起の動画の、前編の セリフです。後編では、 「誰からも認められない人が陰謀論者になるのです。認めてくれる 人を見つけましょう。極論、人間ではなく、天の神様でもいい」 とフォローしてくださっていました。  なぜ浄土宗だと分かったのかというと、実際に、浄土宗の 寺院でたくさんそのような考えの人を見、浄土宗公式の チャンネルの法話でも、 「この世は苦しいことしかない、だから阿弥陀様に祈って、 極楽浄土に行きましょう」 ということしか言っていないからです。  お寺は本山でした。そこでお説教をしている布教師と、聴聞に 来ている信者は皆、 「他の宗派はろくでなし」 「他の仏や経、真言には利益がない」 「この世は汚いから、念仏だけして、お迎えを待つ」 などという考え方でした。怠惰な人たちだなあという印象でした。  これでは、誤解されても仕方がないよな、とも思います。  しかし、hasunohaでたくさんの(浄土宗含む)お坊様と 出会ううち、 「本山の人たちの言う事は、間違った暴論では?」 と思うようになりました。  確かに、この世は思うようにならないことだらけ…「苦」 だらけだと私も思います。  しかし、「死」や「苦」を意識し、世のため人のため、 「利他」行や「布施」行に、あらゆる形で全力で励み生きるのが、 仏教ではないか。そう考えるようになりました。  だとすると、「厭離穢土、欣求浄土」という考えは?先ほどの、 「この世はクソだから…」という思想になってしまうのでしょうか?  それとも、「この世を浄土にする勢いで」努め励もう、という ことでしょうか?  浄土宗は、選民的な厭世主義なのですか?ご高見を賜りたく 存じます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ